折れても折れるな(ショートショート)

チラシチャンバラ全国大会決勝。
相手は若手のホープ、タケシ。互いに棒剣を持ち向かい合う。
俺は全神経を研ぎ澄まし、棒剣に魂を込める。
するとタケシは、まるで俺を逆撫でするかのようにこう言った。
「ジローやぶれたり」
目上の人間に対して、なんて無礼なやつ。俺の心は乱れそうになったが、すぐに深呼吸して落ち着かせる。俺はベテランだ。この手の挑発には慣れている。それに、挑発なんてするやつの実力なんてたかが知れている。
だが、試合開始直後だった。
タケシの攻撃を受け止めた俺の棒剣は、情けないほど綺麗に折れた――
人生初めての敗北。俺はチラシチャンバラを引退した。

引きこもり、酒を飲む毎日。もう引退した身だ。健康に気を使う必要もない。
『折れても折れるな』
師匠が口を酸っぱくして俺に言い聞かせてくれた言葉。向かうとこ敵なしだった頃は、老害の戯言だと思って、俺の心には響かなかった。
チラシチャンバラ界、最強の男『佐々木ジロー』――そう呼ばれていた頃の俺は、完全に調子に乗っていた。大会に出ては当たり前のように優勝して賞金をかっさらい、良い車乗って、高い腕時計買って、良い女抱いて――まるでロックスター気取りだった。
「俺が相手の棒剣を折っても、俺の棒剣が折れることは絶対にない」
そう師匠に言い返していた。
だが、タケシにやぶれてわかった。師匠の言葉の本当の意味。折れてはならないのは棒剣ではなかったのだと。
初めての敗北を喫したあの日以来、俺の心は折れたままだ。まるで、タケシに折られた棒剣みたいに――
でもせめて再戦の機会があったのなら、違っていたのかもしれない。きっと酒をやめて、朝から晩まで稽古しているだろう。
だが、それは叶うことはない。
俺に唯一の黒星をつけたタケシは、もうこの世にいないのだから――
シラフじゃいられない。酒を飲もう。

ある日のこと。いつものように酒を飲んでいると、酔っ払った俺は何かにつまずいて転んだ。
いったい何が落ちているんだ? 拾い上げて見てみると、師匠からもらった餞別の入った箱だった。たしか引退したときにもらったものだけど、開けるのをすっかり忘れていた。
俺は箱を開けてみた。
すると中にはまた箱が。でも形が変だ。サイズ的には貯金箱なのだが、お金の入り口が硬貨の形じゃなくて、細長い木の棒が何本も張ってあって――あっ! 思い出した。神社とかにある、賽銭箱だ。なるほど、餞別は賽銭箱の形をした貯金箱か。現役時代は金使いが荒かったから、引退したら節制しろってことか。師匠らしい。俺はとりあえず、賽銭箱に五円玉を入れてみた。
「ご縁があると良いのう」
どこからか声がした。辺りを見回したが誰もいない。なるほど、俺は飲みすぎたらしい。きっと幻聴だ。
「おーい、どこを見とる。ここじゃよ」
また声がした。今度はハッキリと聞こえた。
声がしたのは賽銭箱からだった。目を凝らすと、小さなおじさんが賽銭箱に座り、足をプラプラさせている。
かなり飲みすぎたみたいだ。幻覚まで見えている。俺は頭を押さえた。
それをよそに、おじさんは俺に問いかける。
「おぬし、再戦したい相手はおるか?」
その一言に思わずハッとなった。
「再戦したい相手?」
「そうじゃ。再戦箱に五円玉を入れたということは、誰かと再戦を望んでいるからじゃろう?」
賽銭箱だと思っていた貯金箱をよくみると、『賽銭箱』ではなく『再戦箱』と書かれていた。書き間違いだろうと目を擦る俺に、おじさんは構わず話し続ける。
「再戦箱と書いてあるのに、受験祈願や安産祈願や病気平癒祈願、はたまた復縁なんてお願いする輩が多くてな。そんなの、ワシにどうにかできるわけがないじゃろうに。まったく、近頃の若者は欲が多くて敵わんわい。おぬしは誰か再戦したい相手がおるのか? おらんのならワシは帰らせてもらうぞ」
一気に酔いが覚め、俺は思わず聞き入ってしまっていた。
「まっ、待ってくれ。まずは質問させてくれ。あんたはいったい何者なんだ?」
「ほう、質問を質問で返すとは無礼じゃが、自己紹介がまだじゃったのう。ワシは都市伝説に出てくる小さなおじさんではなく、れっきとした神様じゃ。ただし、再戦箱に祀られた神様じゃから、再戦以外の願いは聞いてやれんがのう」
ところで、と神様は続ける。
「おぬしは再戦したい相手はおらんのか? 過去にワシが担当した案件には野球の決勝戦の再戦や、ボクシングの世界戦の再戦などがある。まあ再戦したからといって歴史が変わるわけではない。あの日の後悔から立ち直るきっかけになるよう、幻の再戦を機会としてあたえるだけじゃよ。さあ説明は終わりじゃ。再戦したい相手がおらんのなら帰らせてもらうぞ」
一気に言い終えると、神様はよいしょと、再戦箱に入ろうとした。おそらく帰ろうとしているのだろう。
タケシのことが頭に浮かんだ。タケシと再戦できたら、俺の折れた心は――
この機会を逃したら俺の心は一生折られたままになってしまう。
「待ってください! 再戦したい相手がいます! タケシと……いやっ、宮本タケシと再戦させてください!」
俺は酒焼けした声で思い切り訴えた。
すると神様は再戦箱からひょっこり顔を出すと、満面の笑みを浮かべた。
「ご縁があると良いのう」
神様はそう言うと、再戦箱の中に入った。
何が起こるのか期待したのもつかの間、俺は急な眠気に襲われ意識は途絶えた。

     *

目が覚めると海岸の砂浜だった。
夢でも見ているのか? でも意識は鮮明だ。そういえば再戦箱に五円玉を入れて……神様が……あっ!
前方から誰かがやってくる。
「よっ、久しぶりだなジロー。元気してたか?」
タケシは二本指を眉に当て、気取ったようなポーズで言った。たしか初めて会ったときもこのポーズを取っていた。
「なんでタケシが! 死んだはずじゃ――」
「ホッホッホ。ご縁があったようじゃな」
タケシの肩に、神様がいた。
「神様! なんでタケシがここに」
「ホッホッホ。おぬしはこの者と再戦したいと願った。そして、この者もおぬしと同じ気持ちみたいじゃ。五円玉のご利益で、ご縁があってこうして再戦することができたのじゃ。さあ、思う存分戦うがよい」
そう言い残し、神様は消えた。
目の前にテーブルがあった。テーブルの上にはスーパーのチラシと、セロハンテープ。
「やろうぜジロー!」
タケシはニッコリと笑みを浮かべそう言った。俺もなぜか笑みがこぼれ、こくりと頷いた。
チラシを丸めるなんて、どれくらいぶりだろう。ましてや今から試合。しかも相手は因縁の相手、タケシ。
折れた心を取り戻すためにこれから再戦するというのに、嬉しくてたまらない。まったく、俺はチラシチャンバラが好きなんだな。
チラシを丸め、セロハンテープで止める。
俺は細長い棒剣を構える。
タケシはチラシを半分に切って作った、二本の棒剣を構える。二刀流はタケシの十八番。
砂浜の波打ち際で向かい合う俺とタケシ。
「ジローやぶれたり」
まるであのときの再現のようにタケシはそう言った。
「そっくりそのまま返してやるよ。でも、また会えて嬉しいよ」
少しだけ、俺の目は潤んだ。
大波が押し寄せ、俺とタケシの足が海水に浸かったのを合図に、棒剣を振りかぶり互いに突進した――

俺の棒剣は折られ、またもやタケシにやぶれた。でもなぜか、気分は清々しかった。
師匠の言っていた『折れても折れるな』。なぜ『折れるな』ではなく、『折れても折れるな』なのか。その真意はおそらく『折れる』ことにあるからだと思う。人生において、折れることは誰にでもある。たとえどんなに強いやつでも。棒剣と心は同じ、折れるものなのだ。つまり『折れても折れるな』とは、『折れても心は折れるな』という意味ではなく、折れたあとにどう立ち振る舞うのかを説いた言葉なのだ――
「ありがとうタケシ。負けたけど、めちゃくちゃ楽しかった。俺、引退したけど、またチラシチャンバラやってみるわ」
「おうよ! いつでも相手になってやるぜ! それと、俺からも礼を言わせてくれ。ありがとうな。楽しかったぜジロー」
海、砂浜、タケシの順に消え、目の前が真っ暗になった――

     *

目が覚めると家にいた。
身体を起こし辺りを見回すと、再戦箱が落ちていた。拾い上げテーブルに置くと、思わずハッとなった。再戦箱と思っていたソレには、『賽銭箱』と書かれていたからだ。どうやら夢でも見ていたみたいだ。
頭がクラクラする。俺は立ち上がり、水でも飲もうと台所へ向かう。すると足裏に感触が。何かを踏んでしまったらしい。足をどかすと、折れた棒剣が床に転がっていた。
なぜこんなものがここに……。折れた棒剣を拾い上げ、まじまじと見つめる。
『折れても折れるな』か。折れた棒剣も悪くない。正々堂々向き合った結果じゃないか。
俺は折れた棒を賽銭箱の隣に置いて一礼した。
『タケシ、待ってろよ。練習して、もっともっと強くなってやる。そのときまた勝負だ』
俺は道場に行く支度をする。今日からチラシチャンバラ復帰だ。
そう思った矢先、玄関のドアが開いた。
どこか見覚えのある女が入ってくるなり、ぺこりとお辞儀した。女の両手にはスーパーの袋。一目見て酒瓶が入っているのがわかった。俺は不思議に思い尋ねた。
「あの、どちら様でしょうか?」
「あら、忘れたのかしら? 私はタケシさんとお付き合いしていた者です」
思い出した。この女がタケシの葬式で大号泣していたのを。まさか彼女だったとは。
「そういえばお葬式でお会いしましたね。その節はどうも」
「どうも」
素っ気なく女は返した。
「失礼ですが、何用ですか?」
「はい。あなたに代理の再戦を申し込みに来ました」
女の言っている意味がわからなかった。いきなり尋ねてきて、代理の再戦……まったくもって意味がわからない。
俺が質問する前に、や女は話し出した。
「タケシさんがあなたに勝ったあの日、打ち上げをしたのを覚えているかしら? タケシさんはあなたと飲み比べをして、負けてしまいました。そして帰り道。酔っ払ったタケシさんは、信号を無視して車に轢かれ亡くなった――」
あのときの記憶が蘇る。大会のあと、参加者全員で打ち上げをしたんだ。そして悪酔いした俺は、タケシに「飲み比べしよう」と、つっかかったんだ――
女は話を続ける。
「べつに、タケシさんが亡くなったのを、あなたのせいにしているわけではないの。そこは誤解しないでね。ただ、あの強くてかっこよかったタケシさんが、酔い潰れたみっともない姿で亡くなったのが悔しくて……だからお願い! タケシさんに代わって、私と飲み比べしてちょうだい!」
女は吐き捨てるように言うと、スーパーの袋から一升瓶を二本出し床に叩きつけた。
突然の申し出と、タケシの死の真相を知り、俺は複雑な気持ちになった。けど、再戦したい人の気持ちは痛いほどよくわかる。
「わかりました。受けて立ちましょう」
俺は快諾した。
ふと女の肩に人影が見えた。目を凝らしてよく見ると、神様がちょこんと座っていた――

     *

「おらあ! こんなもんじゃねえだろう、ジローちゃんよお!」
「ヒッヒィぃぃ! すいません、すいません! 僕の負けですう!」
「まだ終わりじゃねえんだよ! さあさあどんどん飲もうぜ、ジローちゃんよお!」
「勘弁してくださいよお」
女はかなりの酒豪だった。めちゃくちゃなペース配分で酒に付き合わされた俺は、その場で嘔吐した。
『折れても折れるな』
ゲロまみれの床を見ながら、師匠の言葉が頭の中をぐるぐるまわる――
酒は二度と飲まないと、俺は心に決めた。


※この作品は光文社文庫Yomeba!第20回「箱」テーマの落選作品です。
私事ですが、四月から昇進が決まりプレッシャーのかかる毎日で
アルコールを入れない日はありません。

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