「オカマと自分が名乗ること」
※セクシャリティーについて書いてあります。苦手な方はご遠慮ください。
皆さんこんにちは。「男と女のセンターライン 時代を作るニューカマー」ことおぴんきーよ❤
先週から始めた「カマの社説」読んでいただけたかしら?
今回の話題は「オカマと自分が名乗ること」について書くわよ。
ここ数年でセクシャルマイノリティーに対する社会の風は大きく変わり、自分が何者であるかをだいぶ名乗りやすくなったわよね。
私も自分のことをオカマであると名乗る機会が増えたわ。
そもそもオカマとは江戸時代の俗語であり、1980年代ごろから女性的な男性を指す言葉として使われるようになったの。
私個人の認識として「ゲイは性癖・オカマは表現方法」だと思ってるの。
私は自分のことを「オカマ界のサラブレッド」だと思っているわ。
私が生まれる前、姉は女の子が欲しかったらしく生まれた時に男女関係ない名前として「ユウキ(本名)」という名前をつけたと聞いてるわ。実際、小さい頃から我が家にはままごと用のオモチャとミニカーやプラレールがあり自分は両方楽しく遊んでいた記憶があるし。
それが小学校くらいから「男なのに女々しい」と言われるようになり、それが苦痛になっていったの。それも自己否定の原点の一つなのかも知れないわね。
それに私にとってオカマとは「愛されるための手段」になっていたとも思うわ。私にとって「姉」という存在は私の欲しいものを全て手にしている存在であり、「女性」というだけで許される。自分は「男性」である以上許されない。そう思っていたために形成されたものだと思っているわ。
いつから自分のことを「オカマ」とちゃんと名乗るようになったかと言うと、ちょうど2010年ごろだったかしらね。
その時の私は自分の存在全てを否定して生きていた時に自分の存在を受け入れてくれる仲間と出会えたの。その時くらいから「ピンキー」と言う名前と共に「オカマ」だと名乗るようになっていったわ。
今の私にとってオカマと名乗ることはひとつのパッケージだと捉えているの。「オカマな部分」もあるけど「男性としての部分」もある自分というのが素直な自覚よ。むしろ、両方受け入れて表現することが自分の表現だと思ってる。自分にどんな肩書きがあったとしても、自分自身が受け入れて表現していく先に「自分らしさ」があると思ってる。
オカマに苦しんだ自分がオカマを使って自分を表現する。そこには他の人となんの差もないということをこれからもいろいろな媒体を通して発信していけたらと思ってるわ。
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