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お姉ちゃんになりたかった

姉の最期に流した涙は「悔し涙」だった
自分のほしかったものを全て持っていく姉
姉のおかげで人生が狂ったと思っていた
心のどこかでずっと姉に嫉妬していた・・・

カマの社説。
14回目になる今回は「アタシのお姉ちゃん」について書いてみようと思うわ。
19歳に離れていたお姉ちゃん。アタシが20歳の時に亡くなったの。
アタシの名前を考えたのはお姉ちゃん。
アタシがオカマになったきっかけのひとつもお姉ちゃん。
お姉ちゃんに心から感謝できたのは父の最期のときだった。
今までちゃんとお姉ちゃんのこと書いたことがなかったから、今回お姉ちゃんのこと書いてみるわね。

アタシとお姉ちゃんは「腹違いの姉弟」だった。歳も19歳離れていて、一緒に散歩すると「あら、お子さんですか?」って言われることがよくあったわね。
もともと、母が妊娠した時に「女の子がイイ」と言っていたお姉ちゃん。
だから、アタシの本名は「ユウキ」になったの。どっちの性別が生まれてきてもイイようにお姉ちゃんが決めたんだって。
アタシが生まれてからは可愛がってくれたっけ。ドライブに連れてってくれたし、アタシにおままごとセットを買ってくれたのもお姉ちゃん。アタシの顔に化粧をしてきたのもお姉ちゃん。鏡の前にアタシを座らせてお母さんの持ってた真っ赤なルージュをアタシの唇に乗せてきた。明らかに違和感しかなかったアタシを見て「似合ってる!」って言ってきた。段々とお姉ちゃんにほだされてまんざらじゃない顔になっていったのを思い出したわ。
思い返してみれば、お姉ちゃんって私に直接何かしてきたことってあまりなかったと思うの。

でも、お姉ちゃんの狂気性は小さい頃から感じていた。
アタシには3つ、5つ、9つ違いの甥っ子がいるんだけど、お姉ちゃんは甥っ子たちには暴力を振るったりしてた。

でも、そんなお姉ちゃんのことを父はいつもかばっていた。
我が家で一番偉かったのは父。父の子であるお姉ちゃんは何があったとしてもかばってもらえて母に「お前の教育が悪い!」っていつも怒鳴っていた。
そして母はアタシに「アナタはお兄ちゃんなんだから甥っ子たちのことちゃんと面倒見てあげなさい」って言ってきた。
幼心に「お姉ちゃんと自分の差」というものをすごく感じていたの。

お姉ちゃんなら許されることが自分には許されない。
アタシの学校行事には何ひとつ参加しないのに甥っ子たちの行事には参加する父。
どんなに成績が良くても「アナタならもっとできる」と言って褒められることもなく独りになるのに、いろいろできないお姉ちゃんは家族みんなが構っている光景が羨ましかった。
「あなたは男の子なんだから女の子を守らないと!」って母にいつも言われることがイヤだった。
お姉ちゃんが金銭問題を起こす度に自分に被害を被るのが本当に辛かった。

アタシの欲しかったものを全て手に入れているお姉ちゃんが正直羨ましくて悔しかった。
そして、お姉ちゃんという存在が嫌いになっていった・・
でもね、実は心のどこかでお姉ちゃんに憧れていたの。自分がどうしても手に入らなかったモノをいつもお姉ちゃんは手に入れていたから。
アタシがオカマになっていったのも
「お姉ちゃんみたいになれば、みんなから愛してもらえる」って
どっかで思うようになったからかも知れないわね。
愛情が欲しくてオカマになったのかも知れない。

アタシが20歳の時にお姉ちゃんが亡くなった。自殺だった・・・
その時アタシは新聞配達をしていて、朝刊を配り終えて寝ようとした時に実家から電話がかかってきた。
急いで荷物をまとめ、お姉ちゃんの姿を見た時に出てきた言葉は「なんで死んでんの?」だった。
長い間嫉妬してきたんだもの、素直にお姉ちゃんが亡くなったことを悲しむことができなくて。悲しみよりもただただ悔しくて、泣いた涙も「悔し涙」だったことを覚えてるわ・・・

そんなお姉ちゃんを赦すことができたのは「父の死」がきっかけだった。
父をきっかけに自分が見ないようにしてきた部分と向き合うことになっていく中で、お姉ちゃんのことに対しても自分が抑えていた気持ちを認めることができて、お姉ちゃんの繋いでくれた縁を改めて感謝できるようになった。

正直、お姉ちゃんに感謝できた今でもお姉ちゃんと重なる瞬間があると嫉妬したりしてしまうこともあるのよね😅
でも、お姉ちゃんがいたから私は自分のアイデンティティをみつけることができたし、自分が自分でいることの大切さを見出すことができた。
最期に、35歳になって初めて書くけど
「アタシはお姉ちゃんが大好き!」
ってことをココに書いて終わりにするわね😊


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