勉強は伏線を作るためにあるのかも(有吉クイズ4/11放送分を見て)
有吉クイズ4/11放送分を見た。
有吉とメシのスタジオ側のコメントが嫌だったなあ。
テレビに毒されすぎというか、なんというか。
最初は良いんだけど、2回目もコメントしないのは想像つくんだからは変化つけろよ、と思ってしまったなあ。
まあ、初見の代弁みたいな役割は必要とはいえ、過剰すぎるなと。
そもそも有吉が行きたい店に行く企画で、食レポする企画じゃないし、そんな義務もないし。
まあ、こっちは初見の視聴者の気持ちを忘れたと言えばそれまでだが。
普通の食レポをやらないところがこの企画の肝と言えるから、何か興ざめしたんだよな。もう少しバランス取れるキャリアだろうに。
まあ、これが面白いのも、一般的な食レポがあればこそではあるが。
(とはいえ、最近の有名なタレントがやる食レポが無理やり考えた決め台詞を言って成立させようとする、「我が我が感」がしゃくに触る部分はあるが。主役は料理のほうだろ、とは思うんだがな。)
ある程度型がわかってるがゆえに、こういった新しさとか、珍しさみたいなのを求めてる部分が自分にはあるんだわな。
歴史なりなんなり、勉強する一つの理由として、こういう基本形を知っておくことがあるのかなとも。
知っておくことで、裏切りがわかるから、人生が面白くなる可能性がある的な。
言ってみれば、勉強って自分で作る伏線なのかもなあ。
今日の駄文はここまで。
好き勝手やっても愛される個性を育てるのが、これからの生きる道かもなあ。
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