宝塚G-man #23

昨日は、ライブビューイングでGOATを見に行った、ソワレの方。
いや、「ソワレ」なんて言い方はまだしたことがない、ちょっと言ってみた。「15:30から開始の方」である。六本木ヒルズに観に行ったが、結構満席かと思ったらそうでもなかった。実は前の方はガラガラで、あそこに座ったら、前には誰もいなくて、かなりの没入感なのではないかと思った。

ちなみに、今日は、日曜日で時間もあるので、PCで書いているから、長文になりそうな予感。

宝塚を見始めて、ライブビューイングを初めて見た時に、ライブビューイングでも拍手すればいいのになぁ、と思ったが、昨日ふと考えたら、映画館のとあるスクリーン部屋だけから拍手がしたら他に迷惑だから、そりゃそうかw と思った。

ただ、昨日も、前の方で前のめりに「寸止め拍手」をされている方がいて、その気持ち私もわかります、と声をかけたい気分だった。人を「前のめり」にさせるエンタメってすごいなーって素直に思うのであった。
ちなみに、ライブビューイング会場では、月城先生のドンに合わせて席から跳ねている人はいなかった(一番後ろから観察していた限りw)

さて、感想。「すごかった」。
桜嵐記から全部見てきて、その前の作品もスカステで見てたり見ていなかったりだが、私の学習に対してご褒美をもらえたような冒頭であった。ドリチェだったり、ポッキー巡査だったり、「あーわかるわは俺ー、楽しいわー」「月城さんのセーラー服の映像も道先案内人に見せてもらったから、3人の会話もわかるわー」「Me and My Girlも観に行ったから、顎もわかるー」と、なんか嬉しい気持ちになる公演だった。
こうして、はまって行くんですね。と改めて認識させられた。これは戦略的なのか、おそらく、毎日のお客さまに対する最善の向き合いの結果生まれた歴史であり文化でありファンなのだろうと思う。あんまり難しい「戦略」だとか考えずに、実直にお客様と向き合う、という積み重ねが大事で、実は「戦略だー」とかいうのは後付けなんだろうなとか、そんなことを、見ている間は思わんが(興奮で)、終わった後には思う。勉強になります。110年の歴史はとにかく尊い。のだろう。

「銀の龍の背に乗って」は、聞いていて泣きそうだった。
何か、「神がかっているな」と思うほどに、じんわり私にも沁みるものがあった。

私は、「趣味:宝塚」とプロフィールでは恥ずくてなかなか書けないが、自分しかみない自己紹介だったら、堂々とそれを1番目、2番目、くらいに書けるくらいになって、それはそれで嬉しいことだが、ここまでの人生で1番目は「サッカー」であった。ずっとやってきて、いまだにやっている。相当な時間とエネルギーを割いている。

昨日、とある名門クラブで10年近く務めた名監督が今シーズン限りで引退を表明した。話は長いのだが「エネルギーが枯渇した。このクラブの監督は、毎日最大限のエネルギーを注がないと務まらない」というのが理由としてインタビューで語られていた。

月城さんも「終わりを決めないとできないと思っていた」というようなことをおっしゃっていたが、やはりTOPオブTOPの人たちのエネルギーの注ぎ方は尋常じゃないのだろうなと思ったし、そうしたエネルギーの注ぎ方が「神がかった」現象を引き起こすのだなと感じた。この監督も数々の神がかった試合を演じている。なんか、重なる部分があり、「銀の龍の背に乗って」を聞いていて、すごいなぁ、と思って涙がちょちょ切れそうになったのだと、自己分析している。同時にそうした姿に対する憧れが自分にはあるんだなとも思ったのは否定できない事実。深みのある「かっこいい」である。
そして、そうした毎日を過ごした時には、「ずっと」は続けられないことも彼らの言葉を通じて学ぶ。一つの時代の終わりは悲しいことではあるけれども、そんな10年間を見せてくれたその当人には感謝しかないなとも思う。物凄いエンターテイナーたちであると。

今日は、PCで打っているのでなげぇな。
私の好きなジブリ作品に(またまた話が飛ぶがw)、「風たちぬ」がある。映画を通して特別好きなわけではないが、一つのフレーズがずしんと印象に残っていて

「創造的人生の持ち時間は10年だ。設計家も芸術家も同じだ。君の10年を力を尽くして生きなさい」

というフレーズ。今ググった。詳細は覚えてなかったので。

この10年。というのが、自分の中ではできていない。それには物足りなさを感じる。そこそこ自分なりに頑張っては来たが、上がったり下がったりであり、覚悟を決めた「10年」はまだ過ごせていない。そこに憧れがあり、きっと私だけではないはずだ。

ちなみに、先の監督は「少なくとも1年は監督を再開することはない」と語り、そのライバル監督は笑いながら「(大丈夫)彼は必ず帰ってくるよ」と言っていた。

我らが、トップスターも、銀の龍の背に乗ってまた帰ってくるのだろう。

と締めます。


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