前半はつまらない。
前半はつまらない。
確かに日常から逃れ、興奮と感動を期待して映画を観に行く。
躍動感や疾走感あふれるストーリーや映像と強いメッセージが共存する宮崎駿の作品は、その期待を背負うだろう。
冒頭の眞人が群衆を抜け走るシーンは、予想を超えた表現である。
しかし構成や演技など基本的な手法を丁寧にカットに落とし込むことで観客の心掴むいつもの宮崎駿とは違い、アニメ表現で魅せる手法に違和感が残る。
その違和感は、不安となり、そこから物語はいつものように走り出さない。
フィアット500のカーチェイスはない。
巨大な王蟲は森から飛び出してはこない。
かっこいいアシタカは見当たらない。
徐々に不気味さを増す青鷺や塔ではワクワクしてこない。
なぜ、ワクワクしないのか。
前半がつまらないのは、現実を描いているからである。
それも、われわれが生きる現実である。
戦争があり、貧困があり、自然との共存に苦しむ世界で、人間関係に悩み、仕事に悩み、将来に不安を感じる現実は、我々には間に合っている。
現実に意味を求めるより、映画に感動し、生きる意味を感じたいのである。
しかし、この映画の前半には意味がある。
われわれの世界が眼を背けたくなるほど悲惨で、退屈で、そこに意味があるように。
物語前半の、映像、音、演技、構成。
そこにある表現全てに、意味が何層にも込められている。
そして人はそれ以上の意味をそこから感じることができる。
物語後半のオマージュとメタファーに溢れた表現から得られる意味より、人それぞれの意味が前半にはある。
現実世界もそうであるように、この映画は前半の方が面白い。
おわり
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