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【マグロラーナの二週間】 むつぎ大賞

 流れ星すら見ることがなく(といってもシャトルも流れているのではあるが)もう70時間ほど経っただろうか、変わり映えのしない真っ暗な景色に飽き、船員が昼か夜かもわからないまま睡眠を貪っていたところでホノルルから通信が入った。コーディーはもうしばらくでマグロラーナにかなり近づくことを三度繰り返した後、宇宙での生活を冷やかすように酸味の強いコナをゆっくりと抽出する音を聴かせ、ふうふうとアロマを部屋に漂わせた後にそれをひと口啜る音をたてた。まったく嫌なやつだ、アンドレユスがそう言ってカプセルに入ったコーヒーを二つばかり口へ放り込み、融解性のカプセルを舌と上顎でネシネシと押し潰した。アンティーク・ショップのような香りのコーヒー・カプセルだ。
「おいコーディー、本当にこっちで合ってるんだろうな」
 アンドレユスはつま先を苛立たしく揺らしながら充血した目でモニターのスイッチを入れる。
「もちろん。生体反応はしっかりと確認できているし問題ないと思うよ。むこうも多少移動しているようだね。移動速度は健康的なものだから保護さえできれば何も問題なく80時間以内には地球へ帰れる。あ、そうそう、これから数時間のうちに見つけられるだろうからこのままモニターはオンのままね」
 コーディーはそういった後メイプルシロップのたっぷりかかったベーコン・パンケーキをテーブルに乗せた。その湯気とコナ・コーヒーの湯気、それを羨ましそうに眺めていたアンドレユスの隣でイチョウが銀色のパッケージを破り、こんがり焼かれたトーストを取り出した。その後に絵の具のチューブのようなもののキャップを細かく回し、ペーストをトーストに塗りつける。
「おい、おいおいおい、お前なんだそれ。俺たちそんな食い物を積んでたっけか?」
 目を丸くしたアンドレユスがそのチューブを奪い取る。
「ホーリーシット!スシ・ジャム!」
 


「トゥーナ、サーモン、アマ-エビ、選び放題やで!」
「ホーリーシット!メニー スシ・ジャム!」
「シメ-サーバ、ホターテ、アナーゴ、サビヌキシャリショウ!」
「ミスター イチョウ イズ スシ・マジシャン!」
「まて、ハイタッチしてないであれ見ろよ!」
 ジェイコブがモニターを指差して割り込んできた。
「あれってどれやねん!」
「そうだ、お前はいつだってあれとかそれとかひどく抽象的なんだ。いいかいジェイコブ、俺たちはお前じゃない。だからお前の脳内であれがどれかなん」
「いいから見ろって!あれだ!反応があるぞ!」
「ジェイコブ、だからあれってどれだ!」
「あれってあれだ!見ろって!」
「なあ、ジェイコブ、いい加減にするんだ。お前のあれは毎度毎度よくわからん。現場はその度にこんら」
「あれだ!俺の指の指す先を見ろ!わかるか?俺の言うあれは俺の指の先でモニター上に反応を示しているアレだ!なあイチョウ、この場合なんて言うんだっけ?耳の穴かっぽじって?」
 ジェイコブは指をモニターにトントンとぶつけてそう言った。
「ほんまじゃ!アンドレユス!ほら見てみろ!お前さっきから色々言うとるけどいっこもモニター見てへんやないか!あれじゃあれ!」
「おいおい!イチョウまでそんなこと言い出すのかい?」
「ええからはよ見てみろって!あれじゃ、モニターのあれじゃ!」
「モニター?そうか、あれだ!モニター上でスシを選べばベルトの上を回ってくるってやつだろ?」
「おいアンドレユス!目をひらけ!心もひらけ!そして直ちに俺の指の指す先を見ろ!これは命令にゃ!」
「は?」
「上司命令にゃ!」
「しもた!しもた!しもたぁぁぁ!」
「緊急緊急!アンドレユス、イチョウ!ジェイコブから距離をとって!もうジェイコブは猫化が始まってしまっている!」
「くそっ、アンドレユス!お前が言うこと聞かへんからこないなっとんねんぞ!」

 ジェイコブは船内の隅に置かれたダンボールの中に入ったまま寝息を立て始めた。おそらくアンドレユスと口論をしている時に防護服に多少の隙間が生じたのだろう。船内に残された二人とホノルルのコーディーは突然のことに言葉を無くしていた。
 イチョウはヒラメのスシ・ジャムを少し絞りそれをジェイコブの方に投げた。ジェイコブはそれに反応せずころんと寝返りをうち、その尻尾をかすかに揺らすだけだった。
「ちっ、ジェイコブの野郎。せっかくのヒラメのジャムに見向きもしねえ。夏のヒラメは猫も食わんとかそんなとこだろうよ。贅沢なお猫様だぜ」
「やめろアンドレユス。一度感情をフラットな状態へ持っていけ。これは本部からの指令だよ。もう背くことは許されない」
 モニターには惑星マグロラーナを示す大きな赤い点が点滅を繰り返している。
「そろそろだよ。ここからは遠隔操作でこっちからもっと詳しい位置情報を探っていく。大体の位置だともうそんなに遠くはないはずだよ。マグロラーナよりもずっと手前にいる」
「で、見つけたらこいつの出番ってことだな」
「そう、炭焼きのカツオを使ってうまく船内に誘導してほしい。でもその際には防護服に気をつけて。少しでも隙間ができればマグロラーナの磁力で君も猫化が始まってしまう。もし全員が猫化してしまったらタマを保護することが出来なくなってしまうからね」
 イチョウが窓の外を見ながら息を遠くに吐くように話し始める。
「でも不思議なもんやな。人間が猫になってまうなんて。なんや映画の世界みたいな話や思ってたらほんまにこんなんなるなんて」
「イチョウ、でもこれはそんなに不思議な話ではないよ。元々人間と猫のDNAは90%くらい一致しているんだ。ちょっとしたきっかけで残りの10%が埋まることなんてちっとも不思議じゃない」
「へっ、ほぼ一致してようがなんだろうが俺は猫にはなりたくなんかねえな」
「アンドレユス!君が猫をどう思おうとかまわない!でも猫を蔑むことだけは絶対に許されないよ!人道的にも、社としてもそのような発言は慎むべきだし恥ずべきことだよ!」
「わかってらぁ」

 コーディーの追跡は正確かつ迅速であった。ごく短い時間でタマの位置を特定し、シャトルを近くに寄せることに成功した。
「okアンドレユス。手順は何度も練習した通りだ」
「わしは周囲の点検をしっかり見てまわるか安心して作業に集中せえよ」
 イチョウはゴーグルを装着し、全方位を円滑に見渡せることを確認すると、何度も指差し確認でその感触を確かめた。
「さあアンドレユス、そのマジックハンドで炭焼きのカツオを!新鮮な初カツオを藁焼きにした美味しいカツオであることを伝えながらね!」
「ちょっと待ってくれ、緊張している上に混乱している。炭焼きのカツオなのか藁焼きのものなのかどっちだ?ひどく混乱している」
 船外に出たマジックハンドの先にぶら下がるカツオがわずかに揺れた。
「すまない、すぐにメーカーに確認するよ!今は集中してタマを引きつけるんだ。いいねアンドレユス、君ならできるはずだよ」
「なあ、メーカーからの返事はすぐ来るのかい?すまんが緊張で震えている」
「前方よし!六時の方角よし!」
「アンドレユス、ちょっと待って。今ここが昼の一時半だから、そうだね、日本は朝の八時半だ。そろそろメーカーも誰か出社してくることだと思う」
「すまん、早くしてくれ、気が持ちそうもない、俺はひどく緊張している」
「九時の方向よし!十一時の方向に発見!タマを発見!」
「頼む、そのメーカーは何時から仕事開始なんだ?」
「九時だよ」
「六時の方向よし!九時の方向よし!十一時の方向にタマ!」
「頼む、ややこしいからイチョウを静かにさせてくれないか」
「ok、イチョウ、タマの位置はこっちでも確認できた。アンドレユスは作業に集中しなきゃいけないから少しの間口頭での確認作業は中止してもらえるかい?」
「もちろんええで!」
 そう言うとイチョウはいろんな角度に指差し確認を続けた。十一時の方向だけ指を二度指してそこにタマがいることを示唆する。
「あかん、気が散ってダメだ、おいコーディー、イチョウの野郎を何とかしてくれ。気が散って仕方ねえ」
「イチョウ、アンドレユスは今とても重要な作業を行なっている。指差し確認の動作をもっと小さいモーションでお願いする」
「もちろんええで」
 イチョウは小さく腰を振りながら胸の前でリズミカルに指だけを器用に動かし周囲の安全を伝えながら、十一時の方向だけは二度指を揺らしその方向にタマがいることを何度も示唆した。 
 
 アンドレユスの持つマジックハンドの先端にぶら下がるカツオが香りを振りまくように揺れる。モニターが小さく警報音を鳴らしてタマがカツオのすぐ近くにいることを知らせた。宇宙空間を何日か彷徨っていることから、タマがカツオに釣られて船内に誘導されることは確実であった。
「まもなくタマとの接触をはかるよ。アンドレユス、もう少しだけ頑張って」
 マジックハンドが宇宙空間の中で伸びていく。タマは落ち着いた様子で香箱座りをしながらその様子を見ていた。
「コーディー、すまない、緊張で手が上手く動かない。カツオは炭焼きなのかそれとも藁焼きなのか、まだ返事はないのか?」
「アンドレユス、今再度確認を行なっているよ、もう少しだ。もう少しで業務開始するはずだから」
「そうか、俺ももう少し頑張るとしようか、ぐっ」
「どうしたアンドレユス?」
「なんでもない、少し肘をひねっただけさ」
「あれぇ、おかしいな。タマ以外にもう一個の反応がジェイコブだとしてもう一匹分の反応が十二時の方向にあるで」
「すまないがイチョウ、もう少し静かにしていてくれ。アンドレユスはまもなくタマと接触を開始するよ」
 
 イチョウは小さく腰を動かしながらリズミカルに十一時の方向と十二時の方向に器用に指をピンと伸ばしながら周囲の警戒をしていた。モニターの隅には船内の多少の気圧の変化を感知する表示が出ていたが誤差の範囲だろうと言うことでそれについてコーディーが深く調べることはなかった。
 その時日本からホノルルに一通のメールが届いた。

 毎度ありがとうございます。弊社の【土佐の究極一本釣り!藁焼き新鮮初鰹!!】は釣り上げられてから6時間以内の新鮮な初鰹を素早く柵状に捌き伝統的な藁での加熱調理を行なっています。真空パックで閉じ込められた濃厚な土佐のカツオの旨みをお楽しみください。

「アンドレユス、このカツオは藁焼きだよ!炭焼きは間違いだ!」
「オーライ、そうだと思った。これで俺も安心だ。さあ、タマよ!最高の初ガツオだ、こっちへおいで!」
「おっかしいなあ、にゃんこ三匹おるで」
「よし、アンドレユス、タマが近づいてきたよ!そのままゆっくりとマジックハンドを船内に戻せば無事に保護終了だ!飼い主の方もきっと喜んでくれるはずだよ!」
「へへ、ちょっと苦戦しちまったが何とかいけそうだにゃ」
「ん、アンドレユス、何か最後おかしくなかった?」
「なんでもねえよ。緊張で口の中が乾いちまって語尾がおかしくなっちまった。気にするこたあねえ。もう終わりにゃ」
「おかしいなあ。もう一匹にゃんにゃおるはずやでどっかに」
「アンドレユス!もしかして!あ、その肘の部分!破けてるじゃないか!」
「へ、何てこたあねえ。かすり傷にゃ!」





「にゃ!タマがついてきてるにゃ!もう少しにゃ!」
「アンドレユス!あとはイチョウと僕で何とかする!君はすぐに後ろで処置をするんだ!さもないと猫化が進んでしまう!」
「かまわにゃい!俺は人間だろうと猫だろうとこのタマを救い出すのにゃ!くそっ!」
 マジックハンドを掴んでいたアンドレユスの手に肉球が現れ繊細な操作が難しくなってきていた。そしてタマは船内へ続く猫窓のすぐそこまできていた。
「もう少しにゃ!タマ、藁焼きの美味しい初ガツオですにゃ!ほら、こっちにゃ!」
「あれー、あれ見て!ねえあれ見て!あかんて、あんなんあかんて!」
「イチョウ、もう少しだから静かにしておくれよ!」
「ちゃうねん、八時の方向、あれ見て!」
「あれってなんにゃ!お前のあれはいつもよくわからにゃい!」
「あれって言うたらあれじゃ!わしの指差す方向や、八時の方向!八時!」
「あ!あれは!」
「八時!見て!八時!」
「にゃあぁ」
「マグロラーナ名物、大回遊無塩鮪の群れ!本当にいたのか」
「八時、鮪」
「あ、タマが!鮪に向かってく!」
「タマ!行っちゃダメにゃ!」
 アンドレユスが右前脚を精一杯伸ばした。
「八時、鮪、八時」


【続く】




こちらの企画に参加しています。むつぎさん、初めまして。クリオネと申します。

楽しい企画をありがとうございます。











本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。