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【フルーツパフェをあなたに】 フィクション

 「防衛戦の勝利、おめでとうございます」
 その声を聞くと同時にそれまで席に浅く腰をかけていた男が立ち上がり「あなたが今日のインタビューを?」と声の主へ言葉をかけた。

 ずんぐりとした屈強な体格をしたインタビュアーは体の厚みだけで言えばもう一人の男よりあるだろう。分厚い胸板に揺れずに芯の通った体幹、丸い拳、目深に被ったキューバ帽。
「今日はよろしくお願いします」
 そう言った後、お互いの言葉のリズムを合わせるかのように世間話をした。新宿のマルイから大通りを隔てた区域のビルの2階にある重厚な喫茶店。一杯が千円はするであろうコーヒーはゆっくりと淹れられ、アロマを損なうことなくテーブルに運ばれる。

「チャンプ、先日の試合は正直不安もあったのではないですか?」
 インタビュアーの男が姿勢をやや前傾気味にして問う。
「もちろん。どの試合も不安はあるものです。相手はレスリングのオリンピック金メダリストですから試合の前の日は緊張してなかなか眠ることができませんでした」
 男はそう言うとにっこりと笑顔を浮かべた。
「と言っても多分相手も同じことを感じていたと思います。僕はボクシングの元世界チャンピオンです。彼のタックルか僕のパンチか、どっちも強烈な武器ですからね」

 リズム良く的確な言葉のやりとりが続く。その空間を行き来するコーヒーのアロマ。ひと口分を舐めるように飲む度に、手繰られるようにしつこさのない丁寧に焙煎された豆の余韻が押し寄せる。心地よい。インタビュアーの男は目の前のチャンプの清々しい態度に感動しながらこの店を選んでよかったと実感していた。
「チャンプ、甘味はお好きですか?」
 突然切り出した。
「ええ。大好きです。特に試合の後は目がありません」
「このお店のパフェを試してみませんか?丁寧に研がれたナイフで果汁を無駄にすることなく切り分けたみずみずしいフルーツの盛られたパフェです。味は私が保証します」
「ええ。とてもおいしそうな響きです。頂きましょう」

 ボクシングに人生の多くを捧げてきた男がいい笑顔でフルーツパフェを食べる。実にいい男っぷりというべきか、ひょっとするとこの街では男っぽいという言葉自体が時代遅れなものなのかもしれない。その姿を写真に撮らせてもらっているとチャンプからインタビュアーに質問をした。
「でも珍しいですよね。今まで沢山の取材を受けてきたけれどボクサーにデザートを勧めるインタビュアーは初めてです。しかもフルーツパフェは僕の大好物です。でもこのことを雑誌などに話したことはないと思うんです。それになんだか不思議なくらいあなたとは話のリズムが合う。あの、失礼ですが以前どこかでお会いしたことがあるような気がするのです」

 少しの間店内の時間が止まったように感じた。正確に言うのにならば、チャンプはどこか昔、自分が体験した時間の中にいるような気持ちになった。
「六年前です。突然でした。あなたは何度か防衛したボクシングの世界チャンピオンのベルトを返上し、ボクシングを引退しました。そして鳴り物入りで総合格闘技の世界へその足を踏み入れました」
 丸っこい両手を重ね正面から向き合うインタビュアーは話を続けた。
「迎えた初戦。世界最強のボクサーと呼ばれたあなたは総合格闘技の中堅レベルの選手に何もすることができないまま判定で敗れました」
 チャンプが返す。
「ええ。その日のことを忘れたことはありません」

 窓の外はまだ寒い。せいぜい10℃あるかどうかだろう。それでも少しづつ緑の色づき始めた木々の枝の揺れる様はインタビュアーの男の心を穏やかにさせた。ゆっくりと空気を吸い長く静かに吐き出し話を続ける。
「恥さらし、無謀な挑戦、おとなしくボクシングをやっていればよかったんだ。そんな言葉がマスコミやネット上に溢れていました。動画などであなたの戦いを叩くものもいた。そんな中であなたは自身の敗北を認め一切の言い訳をしなかった。なぜですか?試合前日にあなたの娘が急に体調を崩して入院した。あなたは一晩中病院の待合室で眠らずに過ごした。なぜです?なぜその話を隠して今に至るのですか?」
「そのようなことは負けた理由にはなりません。試合当日に小柴選手が僕より強かった、それだけのことです。それに娘が、里奈の病気が負けた理由にはなりませんよ。ましてや僕を弱くする理由になんてなるわけがないんです。僕に強さを与えてくれる存在なのですから。でもなぜそのことを?家族以外誰も知らないはずだ」

 追加で注文したインタビュアーの分のフルーツパフェがテーブルに運ばれてきた。パフェグラスに実っていると思わせるほどに見事な果物のパフェだ。チャンプがそれを愛おしそうに見つめた瞬間、その目に驚きが見えた。
「そうだ。あの敗戦の数日後に里奈とファミリーレストランに行ったんです。一時的なものだったようで体調もすぐに良くなりその快気祝いに美味しいパフェを食べようってことになって。その時です。お会計をしていた数人の男が遠くから僕に向けて言ったんです。そんなもん食ってるから負けるんだよ、と」
 チャンプはふうっと空気を吐き出して背中の向こうに広がる景色を振り返り見た。
「悔しかったのではないですか?人には皆事情というものがある。でもその全部を理解されるなんてことはない。有名になればなるほどそんなことが増えていく。そうでしょう?でも、それでもあなたは何も言い返さなかった。それどころか穏やかな笑顔を浮かべた。なぜなら次の試合で見事なものを見せて今度こそ最高のフルーツパフェを娘に食べさせてやりたいと思ったからです。そしてそれをやり遂げる自信があった。そうでしょう?その後レスリングに空手に柔術、ラグビーや陸上競技などを必死に取り組み一度不可解な判定負けをしたものの勝利を重ねて総合格闘技でもチャンピオンとなった。あなたの誓いは本当に強いものであったのです」
 チャンプは目を丸くした。
「なぜそれを…」
 インタビュアーがチャンプの顔をしっかりと見る。
「苦虫ですよ、私は」
 そして目深に被っていたキューバ帽をとり、チャンプの両手を握りながら「私はあの日あなたが噛み潰さなかったから救われた命なんです」と。

 外から風の音がする。それがするりと窓のサッシを撫でる。
「そうか、そういうことだったのですね。わざわざ会いにきてくれたのか。こんなに立派に大きくなられて。ありがとうございます。さあ、苦虫さんもパフェを食べませんか」
「はい。頂きましょう。うん、今日も最高にうまい。こんな季節の変わり目にここまで見事なフルーツをこんなに!いやぁ、いつ食べてもうまいです。チャンプ、突然こんなインタビューをもうしわけありませんでした」
「いやいや、本当にびっくりしましたけど、お会いできて本当によかったです」
 二人が大きな笑顔を映し合う。いろいろな話をした。その多くは苦虫があれからどんな生活を経て今に至るかであった。予定されていた終了時間に差し掛かる頃、意を決して苦虫が聞いた。
「チャンプ、最後に質問なんですが、強さってなんなんでしょう」

 苦虫が先に店を出て、チャンプは喫茶店に残り苦虫の座っていた椅子に座り直した。苦虫にはどんな景色が見えていたのだろう、それを見ておきたかった。

 元の席に戻り窓の外の景色を見おろしていると、道を歩いていた中年の男性が自分に気づいた様子でこちらに握った拳を突き出しにっこりと微笑んできた。そっと手を振ってそれに応える。ありがたい、そう思いながら店を出るとまだ触れていないことだらけの世界が午後の陽に照らされるようにそこにあった。感謝、希望、憧れ、それをなんと呼ぶかはわからないけれどとにかくそこにある確かなもの。それを掴みぐっと拳に握り込む。春だ。





















【おしまい】















本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。