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【猫にゃんにゃんにゃん🐈】

先日5年ぶりに会ったにゃんこがいました。まだわたしを覚えていてくれたのか、玄関にあがり近づくわたしを見つめながら「久しぶりやないか、元気にしてたんか?」といった感情が伝わってきました。

再会し、数秒で打ち解けわたしの膝の上でお尻を向けて寝始めたにゃんこ。ごろごろと小さな声をだしながらモフられるにゃんこ。生きてるって素晴らしいな。お互いが別の地域や空間で生きていて、なにかのタイミングでふわっと出会いが訪れる。人、動物、植物、物、さまざまな事象がそこで重なる。

いいこともわるいこともある。いいこととわるいことの範囲も皆異なる。命を繋ぐために食事を摂る。それだっていいこととわるいことが混在している。それはとてもシンプルで、日々に散らばっている。

少し引いた目線で自分の生きている姿を見つめる。そこはどんな場所で、どんな人がいて、そんな景色を見つめる。時々その目線を近づけてみたり、遠ざけてみたり。そうするといろんなことが映り、いろんなことが見える。

🐈 🐈 🐈

noteをはじめて3年たったみたい。ものすごく評価される作品もなければ目立つわけでもない。交友範囲が広いわけでもない。極めてわたしらしい3年間だと思う。

時々考えるんだけど、このままなにかを書き続けてなにになるのだろう。そんなことを考える。

例えばnoteというプラットフォームでなにかを成すというのはどんなことがあるだろう。

  • ものすごく優れたものをつくる

  • たくさんの人からフォローされる

  • 交流を盛んにして人と繋がる

  • 有料noteを売り収入を得る

こんなところだろうか。

冷静に考えるとそれ自体はなにも悪いことではないけれど、下の三つはなにかと批判の対象になることもある。なぜならnoteはなにかを作り発表するだけではなくてSNS的な一面もあるからです。

これも人それぞれの観点が違うので、こればかりは万人に受けいれられることを目指すのは難しい。

でも誰かの発表した作品がnoteの記事ではなく書籍であったならどうだろう。無料であることが前提のものでなく、SNSの人に伝わりやすい一面を残した書籍であったなら。

小説でもエッセイでも実際に書籍として並んでいる商品よりある人にとっては価値のあるものはたくさんあると思う。そんな素晴らしい作品を実際の書籍のようにデザインして販売できるシステム。表紙つけたり縦書きだったりいろいろできるの。

この作品をそんなふうにして読みたいなって思ったことは多々ある。作り込むのが難しければそこを誰かが作品を共有しながらサポートできる機能もあればもっと創作というものが深まる可能性もある。好きな作家さんのマガジンが単体の記事のあつまりではなくて、書き足されていく一冊の書籍であったなら?こんなステキなものはなかなかないって思うよ。写真を用いたレシピ集だって作れるし、旅行記だって本格的なものになる。

そうすると【有料note】を売るというよりも【商品として説得力のある作品】を売るという方向に変わっていくと思う。何万字もある作品だってもっと読みやすくなる。

わたし自身は有料であることは作者から受け取った価値への対価として良いイメージを持っています。素晴らしいものにはサポート機能でサポートすることも多々あります。実際に価値のあるものはたくさんあるし、それを作った方が少しでも多く収入を得られたらと思う。

だからこそしっかりとした作品を作り込めて、自信をもって売り買いできる場ができたらなって。なんかせこいイメージのついてしまいがちなものではなくてね。いつものように話が逸れたままだけど筆を置こうと思う。

みなさまいつもありがとうございます。

猫にゃんにゃんにゃん🐈



本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。