見出し画像

横浜での活動について

パーキンソン病の診断を受けて、2年くらい経って

私はある運動療法の指導者と出会った。

彼は欧米で盛んにおこなわれている、パーキンソン病に

特化した、エクササイズを取りいれたリハビリプログラムを

当事者や介護者と共同で運営していこうという呼びかけを

自身のHPやSNSで発信していた。

私は当時、病気のことが知りたくて、ネットで検索しまくり

国内の製薬メーカーのサイト、アメリカの患者団体、フランスの患者団体

イギリスの患者団体、Parkinsonというキーワードでヒットする

個人のブログ、あらゆるものを探しまくったつもりだった。

彼が提唱する運動プログラムは残念ながらヒットしなかったが

アメリカやイギリス、アイルランドのパーキンソン病のコミュニテイ

には、多くのパーキンソン病だけどアスリートの存在を示す記事が

あって、あくまでネット上での私の受け取り方だが、とても前向きで

日々、挑戦している、そういう印象を受けた。

海外の英語圏で発信しているパーキンソン病の情報は医療関係者だけでなく当事者個人や団体のものがとても多かった。

今でこそ、ツイッターやフェースブックで多くの当事者が発言,発信しているが、当時は皆無といってもよかった。

さらに言うと、国内のコミュニテイは障害や難病の方が集まって,障害支援への愚痴や、周りの方の無理解を嘆く発言が多く、私は違和感を感じてあまりかかわらなかった。

何より、私はまだ働く気でいたから、家族や行政の支援受けて。夢や希望を語れない方とかかわるのが、とても時間の無駄と思えた。その頃はパーキンソン病の患者団体が日本にあることすら知らなかった。(というか私の検索にヒットしなかった。)

2016年の確か秋、私は彼の主催する運動教室に参加した。

いわゆる体験教室というやつで、いろんな地域の当事者や介護関係者が、彼を招いて定期不定期に開催する集団での運動療法。

私は、そこで初めてリアルに同じ病気の方とお話をする機会に恵まれ、ネットで見聞きしていた、愚痴ばかりの方と違う方がたくさんいることを知った。 

自分も、この運動を体験し、体だけでなく、心も軽くなった気がして、もっと自分の近くでできないか考えた。

私は、彼に自分が主催者になれるか尋ねた、答えはOKだった、ただし主催者が会場と参加者最低10名これが条件だった。

私は、仕事の合間を見て、会場についての情報収集、SNSで情報発信、を始めた。しばらくして、知人から障害をお持ちの方のご家族が所有する事務所の会議室を貸していただけることになり。日程を調整し開催日を決めた。

当初の予定より半年遅れくらいだったが、自分が主催者となっての体験会の開催が決まった。

私は、SNSでの発信に加え、会場州周辺の薬局、介護施設、鍼灸院に運動教室のビラを配り歩いた、完全に持ち出しで大赤字もいいとこだった。仕事も解雇寸前、しかも離婚調停が進行中で、ほんとならこんなことしてるときじゃないのはわかりきっているのに、私は活動をつづけた。もともと活動資金なんてないから、途中で交通費が足りなくなって、20キロも30キロも歩いたり、今思えば無茶なことしたもんだと、反省の日々😞  そういえば。そのころよく救急車のお世話になりました。電車で座っていたら立ち上がれなくてストレッチャーで運ばれたり、点字ブロックで躓いて、膝から大流血したり、短期間で8回くらいは乗りました。🚑🚑🏥🏥

そして、いよいよ初めての運動教室、会場に案内を出して、来るのを待ちます。最初にネットで知り合った同じ病気の知人、そして指導者の方がきて、チラシを見てきた方も数名いて、参加者11人でにぎやかに行うことができ、私はこの主催者のどきどきが忘れられなくて、今でも続けているのかもしれない、そして多分これからも続けていくでしょう。

ここまで読んでいただきありがとうございます。重複した内容が含まれているかもしれませんが、記憶を頼りに徒然に書いています、お許しください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?