「復讐」の是非について
今回はツイッターでは定期的に浮上する話題である、“復讐”の是非について語りたいと思います。
ツイッターでは「またやってんのか」と言いたくなるくらい繰り返されている話題ですが、だいたいはジョジョのエルメェスやら平野耕太やらが引き合いに出され、個人の感情を決着させるために復讐は肯定されるべき、というような流れで議論の趨勢は決まる印象を受けます。
正直なとこ言うと、ホントにこいつら自分で考えて納得して復讐を肯定してんのか?と思っています。
復讐を肯定するのが“トレンド”だからそれに乗っかってるだけなんじゃないの~?って。
ワタクシは復讐は否定されるべき、という立場から語っていきますのでヨロシク。
なお、この記事では「自分の親しい人が殺され、その仇を討つ」というような復讐の状況を想定して論を展開させていきます。
復讐の動機
始めに復讐を肯定する側の意見を整理しなくてはなりません。
以下に私が考える復讐の動機を書き出しますが、これ以外にも何かあればコメント欄にでも書き込んでみてください。それに対して随時、反論の文を追記したり負けを認めたりする予定です。
ではいきます。
・殺された本人の希望である
復讐は殺された人の恨みを晴らすため、自分がその人の代わりに殺人を代行する、という動機。
これは、死んだあの人の魂はいまも恨みを抱えて──みたいなフワフワした推測によるモノではなく、死の直前に「オレの仇をとってくれぇ!」と想いを託されたような状況で行う復讐のことです。
・自分の感情にケリをつけるため
自分の大切な人が殺され、それが許せないから相手を殺す、という動機。
ジョジョのエルメェスなんかはコレですね。殺された本人のことは関係なく、自分自身の平穏のために相手に復讐する、という。
現在のオタク界の主流潮流もコレだと思います。
・社会秩序の維持のため
悪い人間を野放しにしていたら他の人々に被害が及ぶ可能性があり、それを防ぐために復讐を行う、という動機。
権力者が法の目の届かない所で悪事を働いてたり、法が腐敗してたりする物語で見るパターンですかね。
・世間体を気にして
現実の世界では、復讐することが“求められて”いる場合もあるようです。
日本では家の名誉が汚されたらそれを雪ぐことが求められ、江戸時代?(要出典)では仇討ちが制度化されていたとか。
あとは「乙嫁語り」で読んだんスけど、社会的に復讐することが“当たり前”という文化の人達も考えられます。
とりあえずいくつかの動機を出してみました。
なお、実際には社会のためと言いながら個人の感情の問題だったりする場合もあると思います。
次に私がなぜ復讐を否定するのか、その理由を書いていきたいと思います。
法律の観点から復讐を否定する
法律は世界中で内容が異なりますが、おおよそ殺人を禁止していることは共通しています。そして近代では、殺人の犯人であっても殺せば罪になります(テロリストを現場の判断で射殺したりすることについては、私は否定しません)。
個人の判断で殺してもいい人間を決めることは、社会を安定させる法の秩序を乱すことになります。
そして刑罰は、相手が更生することを期待することが前提の制度でありますが(私見です)、刑罰を経ずに相手を殺してしまう復讐は、相手から更生の機会を奪うものであり、この世から悪が根絶できない原因の一つだと私は考えています。極刑は更生が期待出来ない場合に秩序の維持のために行うものであり、“善”なるものではない、と私は考えています。
どんな人間、どんな状況であっても殺人は社会の秩序を乱し、さらなる人殺しを産み出すことになるので、復讐はやめましょう。
感情の観点から復讐を否定する
ここからは私の個人的な思想の話になります。
「自分に酷いことをしたヤツには痛い目をみて欲しい」「他人に危害を与える不届き者には罰を与えなければならない」こういった気持ちは人間として、いたって普通の善人の思考だと思います。
僕はこういう考え方は傲慢だと思っているんですけどね。
どんな状況であれ、他人を害してはいけない──それが私の考えです。
“恨み”の感情も一種の欲望であり、欲望を発散させることが目的という点で復讐者と被復讐者は同じ存在であると私は認識しています。
復讐の理由として、「自分の感情の整理」を挙げました。感情の問題ならば、相手を“赦す”ことが出来れば復讐は必要ないのでは?
わかります。
自分の大切な人が殺されても平穏を保ち、相手を赦すようなヤツって不気味ですよね。
でも、その不気味なヤツに皆がならないといつまでも平和にならないんですよ。
よく、一族郎党皆殺しにすれば復讐の連鎖は起きないという主張をtwitterで見ますけど、甘いと言わざるを得ないですね。自分の利益のために他人を殺すような人間がのさばってしまっていますから。ミームが残っているんすよ。人殺しの。
まとめ
いかがでしたか?
ひとつ言いたいのはtwitterで復讐を肯定してる奴が同じ口でツイッターの治安について文句言う資格ねーぞ、ってことですね。他害を認めちゃってますもの。
もっと思い遣りのある人間になりましょうぜ、俺ら。
善人が善人としてこの世に存在できるのは運の要素が結構強い……と思ってるのよ俺。
どんな悪人だって善人に転向できるのよ。(建前でもそうしとかないと社会秩序がヤバくなるしね)
どんな大罪人でも罪を真に悔いたら赦すべきだと思うのよ(現代の技術では不可能だけどね)。
善人が善人として生きることよりも、悪人が善人になれたら立派なことだと思うぜ(善人とか悪人とか抽象的すぎてアレだね)。
まぁね、散々復讐を否定してきたワケだけど、この文を書く動機が「復讐を肯定してる奴ら許せねぇ、あいつらを黙らせてやる!」って感じの感情なのでね。
まだまだ煩悩にまみれていますわ、僕も。
これからもね、こんな感じのテーマで文章書いていくのでね、興味ある人はたまにチェックしてください。
レスバ歓迎です。
虚空に話しかけるなら、虚空に返事を返されても受け入れる義務がある……というのが私の哲学ですので。
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