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オール・ユー・ニード・イズ・ヒキコモリ ~お前ら人生何回目?~

結論から言って、もうダメだということが発覚した。もうダメだ。もうおしまいだ。もう死ぬしかない。とにかく人生が終わったんだ。僕の人生ってなんだったんだろう。生きているけど死んでいるじゃないか。

生きているだけでいいという話を聞くけど、本当にそうなのだろうか。

たとえば、身体の自由を奪われても生きていたいのか。たとえば、植物人間のようになって延命措置をうけていても生きていたいのか。たとえば、なにかの病気で自分が自分と認識できなくなっても生きていたいのか。

もちろん、これが意地悪な問いかけだというのはわかっている。でも、そう思っちゃうんだ。ダメだダメだダメだ。僕という人間そのものがダメなんだ。生きているほうがおかしいんだ。世のことわりに反している。そんな言葉が頭のなかを支配する。

愛される人生を送りたかった

また眠れずに朝を迎えた。新聞配達のバイクの音が聞こえる。僕はダメだ。外で子どもたちの声が聞こえはじめる。登校時間なのだろう。僕はダメだ。自室のカーテンから外をみる。太陽がまぶしい。スーツ姿の男性を見かけた。僕はダメだ。

平日の朝は危険だ。自分のダメさ加減が浮き彫りになる。でも、ダメだと言っていたらもっとダメになる。そんな話を聞いた。その言葉に追いつめられて自殺を試みて幽体離脱をする人もいるかもしれない。でも、そこまで意識が高くなってもダメだ。そもそも意識高いってそういう意味じゃない。

とにかく、外に出ることにする。ハードルを下げるために土日に外出する。休日は許されたような気持ちになる。幸せそうな家族連れやカップルをみかける。あ、やっぱり僕はダメだ。

自分も愛されたかった。そういう人生を送りたかった。愛される人はいいなあ。うらやましいなあ。好きな人とデートしたかった。つらいことがあったら抱きしめてほしかった。喜びを分かち合いたかった。ただ、そばにいてほしかった。

こういう出来事が世の中にあるのだろうか。うそだとだれか言ってくれよ、お願いだから。

僕はまだ人生一回目だから

普通のハードルが高すぎる。周回遅れの人生をどうやって取り戻せばいいんだ。返せるはずもない借金を死ぬまで払っているようなもんだ。もう徳政令でチャラにするしかない。つまり、もう死ぬしかない。来世に期待するしかない。

なんでみんな当たり前のことを当たり前にできるの。僕にとってそれって全然当たり前じゃない。お前ら人生何回目? 僕はまだ人生一回目だから当たり前のことができない。

電車にのったり、洋服屋で買い物したり、お洒落なカフェでお茶したり、役所で手続きをしたり、デートしたり、なんでそういうことを当たり前のようにこなしているの。教えてくれよ、お前ら人生何回目なんだよ。みんな本当は隠しているんだろ?

人生一回目の僕はなんもできない。がんばって世の中に出ても、その歳ならそれくらいできるのが当たり前だろ、それくらい知っているのが当たり前だろと多くの人に笑われた。でも、本当にできない、本当に知らない。だって、まだ人生一回目だから。

※この文章は、ひきポス(ウェブ版)に載せていただいたものです。


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