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2年に及ぶ妊活。はじめての妊娠〜流産。

こんにちは。burch/バーチです。
4月、新年度がスタートする月。
天国と地獄を一気に味わった出来事がありました。

タイトルからわかるように、悲しいお話です。
ですが現状から申すと「わたしは元気です!」
こうして記事を綴れるほど意外と冷静でいます。

そして記憶が新しいうちに、今回の出来事を綴っていきたいと思います。
理由としては2つ。
・起こった事実を忘れない為。
・同じような経験をされる方の助けになれば。

妊活を始めて約2年。
とても短い時間ではあったけど、はじめて宿ってくれた命。
形には残らなかったけど、この事実を記録に残しておきたい。いわば、私たち夫婦の為に綴ります。

そして、もうひとつ。
流産と宣告されてから、私自身たくさん調べました。
病院では特に詳しくは聞かされてなかったので、同じような経験をされた方の体験談は、これから自分にも起こるであろうことに備えることができました。もちろん人それぞれ症状や状況は違いますが、あくまで事前に心の準備と物資の備えができたことは、大変役に立ちました。
なので、わたしのこの経験も誰かの助けになれば何よりです。

かなり長くなりますが、お付き合いいただけると嬉しいです!

”妊活”。それは戦のはじまりであった。

夫40歳、妻35歳。
結婚も遅めで、お互い子どもを望んでいたこともあり、結婚して程なくして妊活をはじめました。
お恥ずかしい話ですが、当初は避妊をやめればすぐに授かれるだろうと妊娠を軽んじてました。なので、まさか自分が2年後にも妊活を続けていることは全く頭にありませんでした。
しかし現実は、自己流妊活から始まり本格的に不妊治療の病院への通院を始めたあとも、タイミング法・人工授精・体外受精と、フルコースで体験しました。
振り返れば、心身ともに穏やかな波から災害級の大波まで経験し、常に忙しい日々でした。
そしてこの戦は現在も続いています。
ただ、戦が長引くにつれ、こちらも戦い方がわかってきました。
戦いに合った武器を準備したり、休戦期間の息抜き法を知ったり、進軍できたときのご褒美を用意しておいたりと、長い戦の中で確実に強くなっていると思います。

ついに!夢にまで見た瞬間。はじめての妊娠。

自己紹介の記事でも書いたように、長年勤めていた会社が倒産し職を失いました。それをきっかけに体外受精へのステップアップを決めたのが、昨年3月。
体外受精へと進めば、さすがに妊娠するだろうとまたまた軽んじていたわたし。現実はそう甘くなかった。
初めての採卵。受精はしたものの凍結まで至った卵は0個。
いやぁ〜、ショックでしたね!笑
今は笑ってますが、あの瞬間は一気に光が無くなり暗闇に放り出された感覚でした。先程も言ったように、0個という結果が頭にはなかったのでまさか、まさかの結果に撃沈しました。
さらに追い打ちをかけるように、2回目の採卵も同じく受精はしたものの凍結卵は0個。 ”敗北宣言”という言葉が浮かんだ瞬間でした。
しかし、わずかなの望みを持って転院。そこで初めて凍結卵を残すことができました。そして初めての移植へとコマを進めることができたのです。
転院してからは順調の一言で。有り難いことに1回目の移植で妊娠することができました。
その後の1週間ごとの通院では、血液検査で妊娠判定▶胎嚢確認▶心拍確認と順調に進んでいました。

”稽留流産”宣告。

そして、問題なければ不妊クリニックを卒業予定の日。
エコーに映った赤ちゃんは心拍が止まっており、その場で稽留流産を宣告されました。
”そういえば…”の後付ではありますが、流産を宣告される数日前につわりが軽くなり、胸の張りも落ち着いた感覚がありました。
また、元々つわりが軽かったり、エコーで見る胎嚢や胎芽の大きさが週数より小さめだったのもずっと気になってはいました。ですが、個人差もあるし私自身初めての妊娠だったので”こういうものか”と思うしかありませんでした。
初期流産の確率の高さ、その多くの場合が赤ちゃん側の染色体異常が原因など、自分にも起こり得る可能性が高いことは覚悟はしてました。ただやはり、実際に目の当たりにすると、事実を受け入れたくない気持ちでいっぱいでした。
以前、凍結卵が0個だったときに病院で号泣してしまったので、今回は家まで我慢するぞ!と気持ちを強く持っていたので泣かずに済みました。そして家に着いた瞬間、涙が溢れ出し止まりませんでした。その夜、夫の帰宅と同時にまた2人して涙しました。
・・・夫の涙を見たのは初めてでした。

自然排出を待つ時間。 そして、その瞬間を迎えて。

冒頭でも話したように、「わたしは元気です!」
自分でも不思議なのですが、意外とメンタル保ててます。笑
おそらく、今回の結果は”前進”だからと思います。
結果的に流産という悲しい経験をしましたが、お腹に宿った命は本物で、これまで、かすりもしなかった妊活が、”妊娠できる”ということを知れたということは、私たち夫婦にとって大きな一歩を踏み出せたのです。
そして、その生命は”奇跡”の連続で生まれることを教えてくれました。
たった8週という短い時間でしたが、私たちのもとに宿ってくれた命。
親になれた喜びは、言葉に表しきれない幸せです。

さて、今回の記事でメインのトピックとなりますが、流産宣告から1週間後の土曜日。自然排出をしました。
稽留流産の場合、子宮にはまだ胎嚢や胎芽が残った状態なので、自然排出を待つか、手術をして取り出すかのどちらかになります。
わたしの場合、特に手術をするか自然排出を待つかを言われたわけではなく、とりあえず出たら拾って持ってきてもらって、出なければ1週間後診察に来てくださいといった感じでした。
自然排出がどういった感じなのか、手術とはどのように行うのか全く聞かされてなかったので、自分で情報を集めることになりました。
自然排出の場合、出血や痛みを伴うこと。手術は全身麻酔で日帰りで行えること。とにかくどちらになっても「怖い‥」と思って日々過ごしてました。

ここからは文章ではなく、分かりやすく時系列でお伝えします。

4/1(月) :2回目の心拍確認できず、稽留流産宣告。
2日〜4日:特に体調変わらず。
5日(金):茶おり〜生理始まりのような出血。
6日(土)
午前:前日と症状変わらず。花見に出掛ける。楽しむ。
17時頃:車で帰宅中、陣痛のようなリズミカルな痛みが始まる。
18時頃:帰宅。相変わらず腹痛続く。出血量は若干増えたかな程度。
19時頃:お風呂に入る。腹痛続く。レバーのような出血あり。
そして、お風呂から上がり、髪を乾かしてるときドロっとしたものがナプキンに落ちる。
19時半頃:トイレに行って確認。
ナプキンの上に、半透明っぽくて親指ほどの大きさのゼリーっぽいものが乗っているのを確認。これだ!と確信し、病院で渡されていたカップに入れる。(カップには水と塩を混ぜた液を作り、そこに胎嚢っぽいのを入れて冷蔵庫で保管します。)
カップの準備は夫に任せて、わたしは再びトイレへ。

・・・・・そこからが本当の戦いだった。

先程のゼリー状のものが排出されてから、滝のように流れ出る血。
便器は血で真っ赤に染まり、何度流しても垂れ落ちてくる血ですぐに真っ赤に、を繰り返す。
トイレから出るためにナプキンでカバーしようにも夜用ナプキンがすぐに真っ赤に染まって追いつかず。トイレから夫を呼び出し、薬局に行ってショーツ型のナプキンを買ってきてもらうよう指示。

いつまで経っても止まらない出血に不安を覚えると同時に、元々血が苦手ということも重なってか、夫の帰りを待つ間に貧血で倒れてしまいました。
トイレで倒れないようになんとかナプキンでカバーしながら、トイレから脱出完了!と同時にリビングで倒れたのです。
そこに夫帰宅。玄関から叫び声が聞こえる。(夫よ、びっくりさせてごめん。笑)
買ってきてくれたショーツ型ナプキンに着替え、ベッドで休む。
するとだんだん貧血がマシになってきました。
しかし、出血は止まらずレバーのような出血が途切れず続き、それから22時頃まではトイレ↔ベッドの往復を繰り返します。
少しマシになったところで、夫が準備してくれたカレーを食す。
こんな状況でもお腹は空くんですね。

23時頃、少しずつ痛みや出血もマシになったところで就寝。
・・・・・しかし!戦いは終わらない。

寝ている間もお腹と腰の痛みは続き、相変わらず出血も止まらない。
何度も寝ては起きてトイレに行くを繰り返す。
このときの痛みも、生理痛の何倍も強い陣痛のような痛みが襲ってきていました。眠さと痛みと恐怖で、このときばかりは流産したことを恨みました。

4/7(日)
明け方には熟睡できたようで、翌朝目覚めるとこれまでの痛みが嘘のように消えていました。
出血はまだ続いていたものの、生理2日目くらいの量に落ち着いてました。

4/8(月)
病院で診察してもらったところ、ほとんど自然排出ができていて若干まだ血が溜まっているものの、手術の必要もないとのこと。一安心しました。
と同時に空っぽになったエコーを見て、事実を受け入れました。
そしてあのときナプキンに乗っていたゼリーのようなものは、胎嚢で合っていて病理検査へと出されました。

乗り越えられない試練はない。すべてに意味があると信じて。

そして、現在。
次回の診察まで安静に過ごしています。
まだ出血はしていますが、痛みもなく体調も良好です。

という感じで、4月に入ってから怒涛の日々を過ごすことになったのですがこうした出来事はきっと大きな意味があると信じて前向きに日々過ごしています。こうして綴っている瞬間も、やはり涙は溢れてはいますが、何よりも悲しいの一言で終わらせたくないのです。
不妊治療、今回の妊娠もそうですが卵の段階から我が子に会えるなんてことは、この経験をしないと味わえない幸せです。
妊娠に気付く時期も早く、超超初期の段階から一緒に過ごせることは不妊治療をする中で、せめてもの特権だと思いたいのです。

先述で”妊活は戦(いくさ)”としましたが、この戦いには勝ち負けというものがありません。妊娠したら勝ち。しなければ負け。そんなことはありません。
あくまでわたし自身の考えではありますが、この2年に及ぶ戦いを経て、一緒に戦う仲間である夫との絆は深く、深くなりました。
妊活の前提には、夫と2人で過ごす日々が何よりも楽しく幸せであるということです。そこに家族が増えたら更に幸せだろうということで、私たち夫婦は妊活に取り組んできました。
なので、この戦には結果によっての勝敗はないのです。むしろ途中で仲間割れをしてしまう方が、戦を始めたことで結果不幸になってしまったということになってしまいます。
一緒に戦える仲間がいて、困難を迎えたときに協力して乗り越えることができ、時には幸せを与えてくれる妊活。日々自分を強くしてくれます。
そんな経験をわたしたちは、もう少し続けていきます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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