“Metamorphose”

嗚呼 いくつ後悔の道を選び
過去の空を仰いだことだろう
悔恨の荊棘は 球根を食み続け
深く痕を残した
 
「もう過去に生きることはやめよう」
何度もそんな声を聞いてきた
それでも 過去の汁は甘美で 生温かく
過去の繭は 飛び立つ術も知らなかった蛹を捕え続けた

「あの時、こう言えば」「私さえ我慢していれば」
そんな、もう望んでも手に入らない
奇跡の目を出そうと
賽子を投げ続けては いずれも徒労に終わった
 
如何なる黄金の賽子も
時間という 残酷な慈母の前には
平伏すことしかできないのだ
 
「ねえ でも顔を上げてみて」
温かな繭と気怠い根比べを脱し
蓮の花が咲くほど この道に続く土壌を濡らせ
翅を生やし 飛び立つことを自身に許していなければ
かような別天地にも 人々にも
巡り合うことは叶わなかった
 
「もう 自由になっていいんだよ」
まだ緊張の糸が緩まぬ蕾は
それでも次第に天へと昇り
未だに外界の寒さに慣れぬ蝶は
それでも眩しげに羽ばたき始めた
まだ見ぬ学問と世界と対話の絶景を臨むことを
夢見ながら 

追記:

 奇跡的に拙小品に辿り着いてくださった方、お読み頂きありがとうございます。書いてみてふと気が付いたのですが、なんとなくフランツ・カフカさんの『変身』に似ているかもしれないと感じました。別段意識したわけでもなく、そのまま赴くままに書き進めたのですが、強いて言えば「グレゴール・ザムザが希望を見出したバージョン」でしょうか。

 一度賽子の目を出して、その目に沿って進んでしまえば、いくら他の目を望もうとも、その軌跡を修復することは不可能です。しかしどのような目を出そうとも、その目に続く道においてでしか経験できなかったこと・出会えなかった人も沢山存在するのだということに、やっと最近気付きつつあります。過去に拘泥しそうになったら、現在の巡り合わせに意識を向けるようにすると、次第に癒えてくるように思います。まぁ、偉そうに言える身でもありませんが。

 悲しい唄も、いつかは蓮の花になりますから。

 

 

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