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屋久島の森

ずっと行きたかった屋久島へ。

午前4時48分、登山口へ向かうバスに乗る。まだ空は暗い。6時ごろ、さぁ出発というころ、空は薄く明るくなって、霞んで青い。

トロッコ道をぽくぽく歩く。深く青くて、しっとりとした森の中を歩く。いつも見ている信州の森はこの時期はまだ春を待ち、眠っている。屋久島の森はいつ眠るのだろう。見上げると瑞々しい葉っぱがびっしりと空を覆っている。

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屋久島の森で強く感じたことは、時間の幅があまりにも大きいということだった。樹齢3千年〜4千年を超える巨木が立っている。森の中でずっしりと佇む巨木はその長い月日を生き、何を見てきたのだろう。長く生き続ける命ばかりではない。朽ちた木が土に取り込まれ、周りには新しい命が次々と芽吹いている。ある命が尽きて、またある命が生まれて、その繰り返しが幾度となくこの森で続いてきたことは、今という一瞬の光景からでも容易に想像できる。

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朽ちた木を苔が覆い、その上に草花が芽を出していたり、若い木が根を張ったりしている姿を見て私は何故か泣きそうになった。もう、そこには姿形はないけれど、今生きている木の根が形取る空間がかつてそこにいた木の姿を見せてくれることもあった。


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自然を見るとき、つい美しいとばかり思ってしまう。しかしながら自然はもっと残酷だ。奪い合い、争いが絶えない世界。立派に大きく育つものもいれば、その陰で芽を出すこともなく死んでいくものもある。一生を終えると次々に吸収されていく。全てが生きることに懸命なんだ。必死に幹を曲げ、枝を伸ばし、根を張り巡らせる木々がその厳しさを教えてくれた。

2度の夜と朝を山の中で迎えたことは私にとって重要なことだった。ただ変わったことといえば、肌の色が少しこんがりとしたことくらいだ。でも、何も変わらないことに焦る必要はないのかもしれない。そこで感じたことや見たものが刻まれている、それだけで十分。常に人は変わっているけれどそれは本当に小さくて、まるで昨日の私と同じに思う。僅か1秒の間にも変わっているというのに。屋久島の森で感じた時間の幅をそのまま当てはめてしまえば、私の人生は本当に短い。もし、人生の長さを屋久島の森が重ねた時間のように見ることができれば、私はずっと前向きに、焦らずに生きていける気がした。

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