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蓮舫の功績〜東京都知事選挙は組織と個人の闘いだった〜

24年7月7日、一つの地方選挙でありながら、全国を揺るがした大騒動となった「東京都知事選挙」が終わった。
結果は多くの人が知るように、小池百合子氏が3選し、他の候補者は落選となった。

1.東京都知事選挙の総括

これは、現実的で論理的な分析をする頭の良い国会議員・米山隆一氏による解釈を応用したものだが、
例えるなら、一つの地域で、全く同時に、演歌、ロック、歌謡曲、フォーク、民謡などの様々な演奏会が開かれ、それぞれに互いに交わることなく、ファンが集客になり、結果、演歌が最も客を集めたという事といえる。
つまり、もっと簡略に言えば、結局は人気投票になったということである。集客は、それぞれがコアなファンを集め、そこにエコーチェンバーが起き、それが更に広がっていった選挙だったということだ。
したがって、実は「東京の今」や「東京の未来」が真に問われた訳では無い。
それが、今回の東京都知事選挙だったと言える。

2.蓮舫と言う立候補者

蓮舫が立候補をもし表明していなかったら、どうなっていただろうか。
これは案外、想像に難くない。
小池百合子氏は他に3倍以上の大差をつけ、圧勝だったのだろう。
私は当初、東京都知事選挙で勝利を掴むためには、蓮舫や長妻昭、或いは小池晃のような、知名度の高い敵対勢力側の雄弁な人が立候補しない限り、けして小池百合子の牙城を崩せないとはっきりと言った事がある。
蓮舫が出馬表明をするかなり前のことだ。
その段階では石丸伸二氏も出馬表明をしていなかった。
それぐらい、小池百合子が築いたものは大きい。築いたものの良し悪しはどうあれ、彼女は八年前からは想像もつかない「勢力」を作り上げているのだ。
都民ファーストなんて、単に「」小池百合子の一つの鰭に過ぎない。
現に、都民ファーストとしての選挙では、小池百合子が参戦しようとも、勝っていなかったぐらいである。
小池百合子氏は、経団連、経済同友会、自民党、医師会、区市長会、連合、と言った多くの組織を、我個人の鰭として集めていったのだ。
少し面白いのは、けして、都民ファーストという政党の為にではない。
一方でその動きから、個人は離れていた。
「個人」というのは、「政治に意志を持った個人」という限定である。
そんな中で、東京都知事選挙を迎える。
当然、知名度の低い候補者が立候補している限りは、組織票で対抗できるわけはない。
案の定、名前が売れればそれでいいという人達が次から次と無節操に出馬表明し始めた。
石丸伸二氏も、当初はそういう中の一人に過ぎなかった。

自民党の利権や裏金を問題視する人達は、必然のように、その問題を高らかに謳い国政で対峙する立憲民主党に注がれていったのは、過言ではあるまい。

満を持して、立憲民主党の鋭利な論客で名高い東京選出の「蓮舫」が、出馬表明をする。

ここまでの流れは、きっと当然だったのだろうと私は思う。
あの状況下で現職・小池百合子3選に歯止めをかけられそうな人は彼女しかいなかったとも言える。
むしろ、形勢は不利であるが、それでも出馬という選択を決意した蓮舫のその勇気と覚悟には、絶大な賛美を贈りたい。
国会議員でも他者から慕われるほどの実績を築きあげている人が、一地方自治体の首長に立候補するのだ。
ある意味「格下げ挑戦」と言っても言い足りない。
「法律を作る絶大な立場」を捨てて、「所詮は地域だけをコントロールする役割」になるのだから。

しかし、それでも出馬を決めた。これは大きい決断以外の何者でもない。

3.手法と有権者

蓮舫の出馬によって、一気に、国民の目線は、たかだか一地域の首長選挙に、ぐいっと向けられた。
政治に関心や興味の薄い人達も、否応なく、都知事選挙に注目するようになった。

これは、実は、蓮舫の最大の功績であろう。

そして蓮舫はこう声をあげた。
「反自民・非小池 都政をリセット」

日本全体は自民党の裏金問題に反感を示していたから、大きく反響し、共感を得るだろうと思われたのだ。
しかし、残念ながら、その事実は小池百合子という都知事に対しては、思いの外、効果に繋がらない。
なぜだろうか。答えは単純である。
小池百合子個人は、裏金議員と名指しされていなかったからである。
というか、誰も調べていなかったという事でもあろう。

以外にも蓮舫は、出だして、その手法を考え直す必要が生まれてしまった。
「これは苦しい闘いになるぞ」
その頃の私の感想である。

蓮舫は公約発表までに、見直す羽目になった。

蓮舫への期待はたしかにある。しかし、それはどこにあるのだろうか。
恐らくは蓮舫陣営は総じて苦しんでいただろうと思われる。

そんな最中、小池百合子側からある報道がリークされる。
「無痛分娩無料化を公約に入れる」というものだ。

恐らく、蓮舫側は、その報道を、敏感に感じたのであろう。
そうだ。小池百合子はなぜ支持を集めているか。
それは子育てや出産に対する支援が厚いからだ。
ならばそこは、争点にすれば、蓮舫側は負ける可能性が高い。

こうしたやり取りが、恐らく選対の中で話し合われたのだろう。結局、蓮舫が口にし始めたのは、神宮外苑の再開発問題だった。当時、蓮舫を支援する共産党やしんぶん赤旗が声高にやっていた神宮外苑の再開発をめぐる都と業者の問題は、きっと自民党の裏金問題に通じる。だからここは、きっと傷口になるはずという読みと思われる。
案の定、都民の一部の人達に強烈なメッセージとして繋がった。

有権者は、気候や自然環境を問う市民と子育て市民とに分断されたと言ってもいい。
無論、別々の問題なので、両方という人達もいて、そこは、蓮舫にとって大きな狙い目になる。

しかし、それ一本では、蓮舫は小池都政に穴を開けられない。
そこでたまたま、報道に「東京の合計出生率0.99」という衝撃的なニュースが走る。
蓮舫は飛びついた。
これは子育て市民という小池支持の強い壁を壊せる。
しかし問題がある。なぜこれほど手厚いと言われている東京都の子育て支援がありながら、出生率が低いのだろうか。
実はこれは、国会議員時代から蓮舫が考えていたことである。蓮舫には二人の子供がいる。それなりに政府の子育て支援も受けてきた。結果、夫婦の歩き方が異なり、別居した今でも、子育ては悪い結果を生んでいない。では、なぜ、その子育てを躊躇している人がこんなに多くいるのだろうか、なぜ結婚すら躊躇している人達がこんなにたくさんいるのだろうか。
彼女にとって、とても大きな課題なのである。

今から3年ほど前、実は彼女の口から、「無痛分娩を無料の対象にすべきでは」と国会で質問している。
更に言えば、非正規の拡大も問題視している。
若い人が結婚し、子供を持つことに対して、躊躇を誘う社会全体の問題は、実は彼女の昔からの深いテーマなのである。
東京に生まれ、東京に育つ彼女だからこそ、東京で暮らす若い人にどんどんとエネルギーがなくなっていることを、図らずも見てきているのだ。
「若者支援」
蓮舫はこの課題を都知事選挙の公約にすることにした。
本当なら国策なんだろうと思いながら。

見事に有権者の心に響いた。
これは新しい。
そして、従来「若者より高齢者ばかり」と感じていた人達を奮起させた。

4.018サポートという存在
蓮舫には危惧があった。
若者支援で小池百合子知事を完全否定できない。
特に陣営はそう思ったのだろう。
なぜなら、小池知事は、018サポートという若者支援を既に講じているからだ。
0歳から18歳まで、例え収入があろうと、例え片親しかいなかろうと、毎月5000円を、申請すれば支給するという制度だ。
つまり「若者」という中に大半を占める10代後半を取り込んでいる。
そこで19歳以上に目をつける。
「奨学金返済」
蓮舫は大きな壁に突き当たる。
「東京都でその壁を壊すことができるか」

蓮舫の答えはイエスだった。
これを無理してもやらないと、現実に若い人は救えない。大学の無償化でも、それは未来の子供達の事で、今苦しんでいる人は救えない。だからやるべきだ。

そして見事にこれも、多くの若い人の心に刺さった。

次第に有権者の中から、「蓮舫を知事にすべきだ」の声が湧き上がり始める。
勝手にプラカードを作り、駅に立つ人までで始めた。
いわゆるひとり街宣である。
個人個人が個人として立ち上がったのだ。

一番最初に戻れば、「刺さる歌詞がコアなファンを動かし始めた」とのだ。

勿論、それまでの都知事選をなんとなくで見ていた人達の中には「蓮舫知事になれば018サポートが無くなる」という声も出てきた。

蓮舫陣営がとった決め手は、
「小池知事がやっているいいものは無くさない」ということ。
018サポート打ち切りの言説は崩れたように見えた。

こうして、東京都知事選挙は本格的な時間を迎える。

5.誤算

しっかりと思いをのせて未来を語る蓮舫に対して、殆ど表に出てこない小池百合子の闘いは、マスコミの格好の餌になったが、
それは告示日を迎える6/20までで、日を追う事に、薄れていった。
マスコミ側の忖度であるが、都知事選挙はニュースから影を薄めたのだ。

これは実は蓮舫陣営としても誤算であったろうと思われる。
今までのような、ビラや街頭演説を中心に活動を構築していても、それがより多くの人に伝わらないのだ。
また、伝わらないということは、それまで抱いていた「印象」も変わらないのだ。

いわゆるSNSの活用は得意ではない陣営である。
エックスでエコーチェンバーをポツポツと繋げることしかできない。
そうしてる間隙をつくように、今では主流SNSであるユーチューブやティックトックで、新興勢力が広まり出した。
向こうもエコーチェンバーなのだが、その広まり方が違う。

掲示板問題という、選挙とは殆ど関係ない問題も世間を賑わせ、小池百合子対蓮舫という図式は、影を薄めていく。
そしてそこに、石丸伸二という新しい風まで吹き始める。

蓮舫陣営は必死だっただろう。
「個人」は蓮舫にとって大きな力になるはずだったからだ。その「個人」が割れようとしているのだから。

組織票でガッチリと固めてきた小池百合子を崩すのは、選挙前を遥かに上回る苦しさを強いられ始めた。

こうなってくると、柔軟性が弱い蓮舫陣営は、動きが小さい。

せっかく「組織」対「個人」の闘いだったはずが、ファンクラブの大きさ勝負の様相を呈してきた。
石丸側は、フアンクラブをお金をかけてでも大きくしようと図る。
小池側は、徹底してファンクラブを固めるべく無駄な情報を出さない。

この両方に、蓮舫ファンクラブは挟まれるようになり、それぞれが鼓舞しながら、ファンクラブを固めようとするが、大元の陣営における意識はそれほど高くないところを推移する。

街頭演説の回数を増やしたのも、ようやく最後の週末をむかえてからだ。

演説を切り取って広めていく人もいない。

蓮舫は、孤独な闘いをどんどんと迫られていく。
共産党がなんとか組織票として頑張るが、連合を背景にしない立憲民主党の活動は、各地でばらつきが生まれ、弱かったところは弱いままになる。

やがて「ミソジニー」という存在も顕著になってくる。
ミソジニーとは、簡単に言えば、女性軽視或いは女性差別と言われるものだ。
女性だから、男性には言わないところまで言及するというもので、けして男だけがするものではない。女性ですら、平気で、「この女性は〇〇だね」と言う。

逆もある。例えば「信頼できる男性」みたいなものも、それがその人の評価として言われれば、ある意味、ミソジニーである。

もしそんな「評価に関する言葉」が無ければ、蓮舫はもっと高い支持を集め、石丸はもっと低い支持になったと言える。

それをまたメディアが否定できない。忖度して報道を封じているからだ。

ことごとく蓮舫は不利に見舞われ出した。

都知事選挙は、終わりを迎える。

6.結果

結局、蓮舫は3位に終わった。
高まっていた蓮舫支持者にしてみれば、残念すぎる結末であろう。

このnoteを書いてる私も、あまりに忍びない。
討論、つまり政策討議が義務じゃない以上は、ファンクラブ合戦は、これからも続くであろう。また、そうである限り、組織体が選挙では有利であろう。

しかし、よく考えてみよう。

これが民主主義と言えるのだろうか。

個人の思いが積み上がって行く世界ではない為政者の選択。それは、ソビエト的な社会主義ではなのだろうか。

今回の選挙で、蓮舫の残した功績はいろいろある。
とにかくもまず、人知れず終わりそうな感じだった「地方選挙」というものの存在をお茶の間のテーブルにあげた事から始まって、
多くの人が政治を自分事にした。
更に、個人が自ら動き出すという文化を学生運動以来、再び、取り戻した。
そして更に、やはりなんと言っても、結婚に結びつかない若者の苦悩に寄り添おうとした。
勿論、政治おいて男女は関係がないということを明確にした。

しかし、残念だったのは、社会の主要な仕組みは、政治だけではなく、様々な事が変わっており、様々な蓮舫の功績が、旧態の上で成り立つということも、証明してしまった。

私は既成政党が否定されたとは思わない。だが、既成政党のあり方は、柔軟に変化できるもの、時代に対応していけるものであり続けなければならないと思う。

一方で、組織に沈むことをヨシとしない個人であり続けること、日本人が成長するためには、そこの改革こそが大切であることを学んだ。

竜馬さん、まだまだ日本は夜明けを迎えるには、遠いんだ。
恐らくは、私が永眠するまでには、夜は明けない気がする。

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