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<無為フェス -Vol.2->#1 塚本 佳紹『無為に向かうための即興映像』

塚本 佳紹『無為に向かうための即興映像』
2023年11月16日(木) 9時 - 15時


無為から有為が生じ、再び無為に帰る。コトバで追うならば、神秘哲学者井筒俊彦に願おう。
行為とは時間ではなくすべからく場所をさす。しかし、この辺りは山本哲士先生に。

BUoYという稀な場所に無為を捧げる。
さて、以下、私の行った無為を記す。



無為のあらまし、または、夢うつつ

袴と羽織で、朱色の大茶筒を抱えて男現れる。四方を足に付けた鈴で踏み鳴らす。
大茶筒から小さな白い箱を大事に取り出す。蓋を開け中から紫と青にむら染められた白地の布に包まった、小動物の頭蓋骨を取り出す。猫だろうか。
中央に据え、一度直る。

白い大きな紙を広げる。これは大型感熱紙で900×1800mmで、おもむろアイロンで丸、三角、四角を描く。
丸が思いの外大きく、次に描いた四角と丸の間に三角が重なって描かれた。
アイロンで描く、とは感熱紙に熱が伝わって黒くなるからであった。

一度直る。

OHP(オーバーヘッドプロジェクター)から壁に向かって照射されるのは、丸穴の調理用ボールの影であり、大きく映し出される規則性のある木漏れ日をゆっくりと回す。所作は書道から茶道へと舞い戻るかのよう。

光は反射光、漏れ光ともに規則性ごありながらも不連続であることが、花火より、カミオカンデを思わせる。

束の間、次にスライド映写機からの画像が現れる。思いの外、映写は小ぶりで、タイルの青と白のモザイクに心地よく映し出される。緑色の画像は絵画をリバーサルフィルム撮影した後に、ブリーチをかけて溶かしだしたもの、透明板に青サインペンで描かれた静謐なもの、レースのカーテンを直接スライドに入れた物体感のあるもの、ボンドが乾いた後にアルコールを噴射し、白く(写像は影なので茶色く濁った色彩が浮かぶのだ)映し出されそれまでの静止画から躍動した像が映る。しかし、その躍動も大げさなことはなく、どことなくX線写真を思わせる。

このシーンは全体の中でも長い時間無音で、比較的小さな画像を見ることになる。
一旦直ることなく、追って8mm映写機を横倒しにした活動画が映し出される。
無音が長く続いていたが、カタカタという音は心地よい8mm映写機から発生し、映し出される活動画は初め曖昧であるが徐々に青い線が列車の、車窓風景のように見えてくる。線を直接フィルムにつけていく。フィルムは短いループになっており、2秒か3秒くらいであろうか、元のコマに戻るのだが、更に線が上書きされていく。
隣り合ったスライド映写機の静謐な青い画像と、忙しなく線が生まれる活動画が隣り合う。8mm映写機からはさらにノイズハウリングなどが発生し、心地よい静かな空間はやや混雑してくる。ここまで30分くらいだろうか。いや、もっとゆっくりした時間があったかもしれない。

最初にあったOHPは壁のシミのごとく光が張り付いていたが、いよいよ、映写面から丸穴ボール(調理器具)が取り除かれ光が全体に照射される。アルコールが噴射され像が濡れる、液体が流し込まれ、いよいよ煩雑な像となる。青いボール(これは消臭ボールなのだが)が浮かぶ。
いよいよ像は出来上がりつつ、それこそ無為を思い起こさせる。
8mm映写機のノイズとともに、テープレコーダーからピッチの遅くなった音楽が奏でられる。詳しい人なら数秒、聴くとアダージェットであることが察するだろう。やや引き伸ばされ、調の狂った音とともに、再び、羽織袴の男は大茶筒を抱え像の中へ入っていく。大茶筒を開け、紙吹雪を撒く(これはモネの絵画資料を細かく切ったものなのだが)。映写機を背にやや大きな白いものを撒く。これは激落ちスポンジなのだが。

リルケの詩を読む。

この量り知れぬ夜闇の中に
きみの五感の交差路に、
みずから魔法の力となれ、
五感の奇妙な出会いの意味となれ。
そしてもし地上のものが君を忘れたら、静かな大地に向かって言え、私は流れる、と。
すみやかな流れに向かって言え
私はある、と。


このような機会を与えてくださいまして、スタッフの皆様に感謝いたします。
ありがとうございました。


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BUoYスタッフより

無為フェスについてはこちらの記事をご覧ください。


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