見出し画像

BUoY|開かれたアートセンター

写真家の平澤賢治です。BUoYの中にひっそりとスタジオを構えています。カフェの反対側にリノリウムが貼られたオープンスペース(現在のギャラリー2・3)があり、そちらで撮影や制作をしています。

2016年にイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業し、当時はロンドンとパリを行き来しながら暮らしていました。家族が増えるのに先立ち帰国も見据えて住居とスタジオを探しに一時帰国した際に、BUoYの芸術監督の岸本佳子さんと出会いました。北千住にアートセンターを立ち上げるという岸本さんの夢、そこにアーティストがアトリエを持つというアイデアも受け入れてもらえました。構想が具現化していく中で、岸本さんは関わる人たちがそれぞれの夢も実現できるようにと意見の吸い上げと調整に真摯に取り組んでくれました。

アパルトマンに戻ってからは、リノベーションを担当された建築家の佐藤研吾さんを含む関係者とビデオ会議を繰り返しました。私が要望していたのは、展示やパフォーマンス、イベントなど多目的に活用できる広く空っぽな空間、多様性を許容できる開かれたスペースを2階にも確保することでした。2018年、オーストラリアのヘザー・B・スワンさんの個展『I let my body fall into a rhythm』が開催されました。地下のシアターから2階へとつながるBUoY全館を使った本当にスケールの大きな展示に感激したのを覚えています。

舞踏家・室伏鴻さんのアーカイブとダンスの「継承」について考察するプロジェクト『Responding to Ko Murobushi』も思い出深いイベントのひとつです。事務所からオープンスペースへ出てみると、思いがけず半裸の男性がダンスのトレーニングをしていました。室伏さんが亡くなる前に制作していた振付作品『真夜中のニジンスキー』に出演する予定だった若手ダンサーや交流の深かったエマニュエル・ユインさん、ベルナルド・モンテさんを早稲田にある「アーカイブカフェShy」(カフェの形態をとった開かれたアーカイブ)に招待して、彼への理解(「問い」)や得られたインスピレーションをパフォーマンスを通して「応答」する場としてBUoYが選ばれたと知りました。当時、私自身も肉体と魂、心や感情についてのリサーチをしていたので、舞踏との出会いは青天の霹靂でした。来日した11名のダンサーの中でフランスのファニー・セージさんを撮影させてもらい、ブイのギャラリーで個展『EN』として発表しました。

2019年には写真家の外山亮介さんが個展『導光 LEADING LIGHT』を開催。伝統工芸を継ぐ同年代の職人をアンブロタイプで撮影した肖像と工芸品が、見事に作り上げられた空間で展示されました。職人の魂を昇華させた作品群は、翌年のKYOTOGRAPHIEの建仁寺の展示に続きます。小説家の上田岳弘さんや踊り手の菊地びよさん。ベルリンを拠点に活動するアーティストの揚妻博之さん、ウィーンのファニ・フッタークネヒトさん。たくさんの素晴らしい芸術家との出会いがこの場所でありました。

世界中でコロナや価値観の違いによる孤立や分断、衝突が蔓延していますが、4年目のBUoYはそのスタートから変わらずゆったり居心地のよいカフェスペースを中心に、「異なる価値観と出会う」をコンセプトに多様性と包容力あふれる開かれたアートセンターとして歩みを進めています。これからも夢と情熱を持つ人たちの目印(ブイ)として日々在り続けることを期待しています。

平澤賢治

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?