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12.自分の住む世界に作用していくこと。表現の喜びと責任

 私の友人は小学校の先生で、特に図画工作を専門にしています。彼女は「図画工作が世界を変える」と煌めきながら言います。ぶっ飛んでる料理研究家の平野レミさんが「世界平和はお母さんが(台所で)つくる」と言います。どの分野にいても本当の愛を持って突っ込んでいくと、この域に達するんだ、壮大だ、としみじみします。自分の生きてる世界に作用しよう、です。無論、私も、視覚的に物語を語る事は世界を変える、と信じています。
前回、ヒトラーの事も挙げましたが、影響力が大きい分、その責任は重大です。

 精神を病む大きな原因に自己のネガティブな感情を否定する、という事があります。簡単に言うと、誰かに嫉妬して、失脚を心から願ったり、困っている人を助けるのを面倒だと感じたり、そういう自分が良くない、と思う事です。積み重ねでうつになり、自死を選ぶ人もいます。ただ、程度の差はあれ、誰もが身に覚えのある感情だと言えます。
 この負の感情の否定はどこから来ると思いますか。身近な人達が醜い部分を決して見せる事がない、正直な人が少ない、ありますね。誰だって、平和が好きです。私はもう一つ、巷のドラマも数ある源泉の一つではないかと思います。イチイチ大袈裟ですか、でも仕方ありません。私自身がそう感じます。

 無責任に単純でいい話が多すぎるのです。心清い人間像が当たり前すぎる。世間的にも商業的にも当たり障りがないから当然かもしれません。でもこれでは日常生活と同じです。そういうものばかりに小さな頃から触れ続けていると、いよいよ、自分が汚い人間に見えてくる、となってもおかしくありません。人間は複雑で汚くて、とは誰も見たくないかもしれませんが、程度とやり方の問題です。人間は複雑で汚くて、時々美しい、とか、できますよ。できます。制作は大金叩いて工夫のない表現を多くの人にばらまく責任を感じるべきです。発信側の実力不足がめぐりめぐって、気づかれる間もなく少しずつ誰かの心を痛めています。

 ここでプロの役者の人にできる最低限は、自分の演じる人物がいかに脚本上シンプルでも、複雑な人物像を作り上げる事です。もちろん、脚本の声を拡大する形で。売れてしまったなら、なお、この脚本の声を届けたいと思う作品を選ぶ事です。

 そして表現する時には多様性を大事にして下さい。面倒だからと言って使いまわされている表現をこすらないでください。特にあなたが有名になった時、厳しいですが、自覚なしにこすっただけで毒になります。

 表現は何も生み出さないと考える人がいます。
 思いだす事があります。大震災の時、年老いた脚本家が生徒たちに向かって言いました。「こんな時、脚本なんて、どうでもいいのよ、癌になった時とか、映画とかいらないのよ、全然」と悲し気に笑っていました。脚本家を名乗るなら状況と表現に気を付けてほしいのです。
 死に直面して自分とその周りだけを見つめるのは当たり前です。表現者を目指すうぶな生徒を前に、表現者の先輩として、あえて口にするに値しますか。「人間の指は5本あります」程度の情報量でも、その関係性の中では毒です。表現は困難にあった時に立ちあがる力を残す為に、立ち上がる力がない時に、勇気を得るためにあるんだと私は思います。

 表現は空気のバランスを取る重しのような存在だと考えています。
 2006年、女子高生によって空気読めない、KYという言葉が流行りました。そして翌年、小泉首相が「鈍感力」という言葉を流行らせました。短い言葉が世の中のモヤモヤをさっと掴んで捉える時があります。
 それはまるで中心だけを円錐の先で支えられた揺れる円盤の上に重しを置くような作業だな、と思います。世の中の「空気」の傾向が傾きすぎている時、それを調整する表現が生まれると一気に人の心を捉えるんですね。個の集まりが作る「空気」ですが、まるで一つの生き物のようです。自然治癒力を持っているようにも見えます。アンバランスにより、暴走もします。
 この空気の円盤は固定される事なくゆらゆら揺れながら落ちないのが良いですね。定まらない事が正解だと思います。そして、皆が主体的に考える事をやめたとき、その円盤は地に傾いて落ち、崩壊するんですね。その時は戦争だって始まります。イチイチ大袈裟ですか、でもやっぱり仕方ありません。
 精神科医の中井久夫さんが精神療法について述べた興味深い内容があります。

「この人がいままで聞いた事ないことってなんだろう?」ってことを見つけて伝えること。いままできいたことがないような言葉を耳にして、その人が「なんだろう」と考えるようにすることが精神療法なのであって、言葉の魔術で患者さんを治すわけじゃない。

 精神療法を必要としている人達だけでなく、まさに「健常者」に必要な表現もそうあるべきだと思いました。だいたい人は「うっすら病んで」いるのが普通です。

 偉そうですが自戒を込めて言います。あなたが表現を発する時にはいつも、まず円盤の傾きの傾向を掴む努力をしてください。そして円盤の空いている場所に重しを置こうと考えてください。考えなければ、使い古された狭い範囲しか見えませんが、考えれば自分の中に無限にあります。そうして、自分の周りの世界に作用し続けるのが、おもしろそうです。


以上、「君に俳優を志すのを辞めさせたい」最終回でした。
 ここまでお付き合いくださいました皆さま、ありがとうございました。何か一つでも心に留まる事がある事を願うばかりです。
 思う事があったら是非、言葉を寄せてくださいますと嬉しいです。コメントでも、一番下の「クリエイターへのお問合せ」からでも。俳優目指すの辞める! 役者やりたい! ゆるい球も剛速球も巨大なキャッチャーミット構えて待ってます。

 心を打つ演技ができる俳優を目指す皆さま、引き続き覗きにきてください。応援していけるように、画策しています。近く、演技練習用のシチュエーションや短い脚本を解説付きで挙げて行こうかしらん、などと考えています。

 実質的に作品につながっていくことを楽しみに。

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