ドクター・マーティン シーズン1・2話より。うまい演技とその演技の作りを推考 前半

1. ドラマの脚本(映像から起こしたもの)からありがちな演技を考え、おもしろくない演技の作り方を眺めてみよう

 ドクターマーティンの全体の概要はこちらから確認してください。

 今回取り上げたたいシーンはこんなのです。
 マーティンは受付係の無能な、けれど周囲に理解されているエレインを解雇した事で村中の人を敵に回したと知ります。子供の病気に対処しても感謝される事どころかなじられ、レストランでは他のお客は食べている中「全て売り切れ」と言われ、次はガソリンスタンドです。他のお客が給油しているのに、ガソリンがない、と言われます。
 そこで、大きく演説を打ち、スタンドの売り子パメラを説得して、なんとかガソリンを手に入れようとします。「こう考えてみよう、今あなたは五人目を妊娠し、破水した。彼氏は少年院で腐っている、外は嵐で、孤独だ。さあ、いよいよ、医師が必要だ、そんな時、電話した先で私が産科医でないから、と拒絶したらどうするんだ」とかなんとか。それでも売り子の答えは「ないの」。では、他のお客が入れているのは、なんだ、馬のおしっこか!と迫ると「ディーゼル!」と応えます。ディーゼルはあるけど、本当にガソリンはない。マーティンは理解し、その場を去ります。疑心暗鬼になりすぎたマーティンがムダに暴れた恥ずかしいシーンです。
 ここであえて絶賛したいのはお客のおじさん。「村人5」とでも名前が付いていそうな役ですが本当に、うまいです。

 おじさんのセリフは4つ。
自分のディーゼル代を払う為にパメラに話しかけ続けるマーティンのすぐ後ろに来て
「いくら?」
パメラ「25ポンド50ペンス」
おじさんはレジ横のチョコバーを取りながら
「これも」
レジを打つパメラ。
おじさんに構わず激しく売り子に迫っているマーティンに
「大丈夫か」
「いいや、まったくもって大丈夫ではない」とマーティン。
おじさんは「ああ、あなたが(うわさの)マーティン先生ですね」と応える。
 
まず、この設定でありがちな浅い芝居を考えてみます。

 激しい演説を打つマーティンの後ろから驚いたように売り子に目配せし、客である自分に構わず話し続けるマーテインにうんざりした様子で腕時計を見、迷惑そうに「大丈夫か」。そして大丈夫でない、と言われると「あなたがマーティンか」と笑うなどして好奇の視線を向ける。

 この演技を作る役者の考え方を想像してみましょう。「マーティンが恥をかく、コメディーシーンだ。エキストラだから一般人的な反応を見せればいい。ウワサの変人ドクターに会った町の人、だからこんな感じでいこう」

ああ、勝手に想像で作っておきながら、あさはか。

2.実際の演技を確認し、その効果を理解する

 では実際の素敵演技を確認してみましょう。
 このおじさん役の素晴らしいポイントを短く言えば、わかりやすい画×シーンのテーマの為に、あえて過剰でない芝居が掛け算となって、作品のメッセージを明確に伝える結果を生んでます。

 このおじさんの役で一番大事な事の一つ。本当のお客さんに見える事。
 途中で手に取るチョコバーのアイデアはとても素敵です。何か一つあるだけでぐっとリアリティが増します。アイデアがホンからあったのか、現場で誰かが思いついた事かはわかりませんが、考えない役者がやると、「どのお菓子にしようかなあ」なんて一芝居打ちそうな所です。斜めから見ている私なぞは間を持たせよう、僕は役者の仕事してますよ、いうその役者自身からのメッセージを感じるだけです。それをささっと手に取る事で、お客としていつも来て、いつもそれを買っているんだな、という「作品の」メッセージとして受け取められます。ここでサラリと書いてますが、いつも買ってる商品と、たまに買う商品とでは手の伸ばし方もそのスピードも違います。日頃から意識して、使いわける事ができるのがプロですね。今、できますか?

 また、おじさんがお金を出す時、マーティンの腕の前に交差するように出している事で、マーティンがいかに皆の邪魔をしているか画だけで強調できています。ここでも考えない役者がやれば「この人邪魔だなあ」という芝居をしかねない。マーティンの顔を覗き込むなどの大袈裟なやり方で足し算してきそうです。
 映像なのに、役者だけの芝居でメッセージを伝えよう、という考えを捨てましょう。当たり前ですが、意識的にできている人は少なそうです。画面の構図だけで伝わるのが、実は一番素敵かもしれない。直観的に伝わるから。アイデアがあり、画だけで様々伝える事ができるのであれば、情報量は引き算すべき。醤油味にソースをかけるような事はするべきでない。役者同士のバランスだけでなく、画と音のバランスもフカンで見れるようになると、より作品に貢献でき、結果的に現場からの信頼度はめちゃくちゃ上がると思います。
 
 ちなみに、この役割で、おじさんは腕時計をしています。この設定で腕時計を見ないでいられる役者さんはどれくらいいるでしょう。日本の一般的な役者さんだったら100人中80人くらいは見そうです。数人は腕時計を使おうとさえ、考えないかもしれません。意識的に選択して見ない人はほとんどいないかもしれません。
 腕時計を見る事がそんなに毒か、うるさいぞ! と思われそうですが、私の個人的な考えでは毒です。こすられた芝居はそれだけでやる意味を疑ってください。その役者が「その町で本当に生きているか感じ」から1千万キロメートル離れます。こすられた芝居をそれでも選択するときは、それを逆手に取って裏切る時か、アイデア捻り不足で仕方なく監督の指示に従う時、ぐらいと思っておいて下さい。
 でもよ。日本では90人くらいは時計を見そうな所であるわけで、そこに疑いを持って、時間をかけて創作できる人は「日本では」1割に簡単に入れるじゃないか、と思います。皆そこに頑張ってないから。

 そして「大丈夫か」というセリフ。マーティンに公平な態度で接しています。何か困っているけど大丈夫かい、という態度です。それをマーティンに「全然大丈夫じゃない」と返され、パメラを少し見ながら「ああ、あなたがドクターマーティンですね」と言う。このセリフは視聴者にもマーティンにも村でどのくらい、どんな風に噂されているか想像させる大事なセリフです。この少ない出番の役の一番大事なセリフ、これをお金を払った後のチョコバーを取りながら、ほとんど下を向いて取りながら言います。なぜでしょう。

 英語で書けば「Ah, you must be Doc Martin.」とまさにマーティンが主語になっています。が、実際におじさんがこのセリフを投げかけているのはマーティンでなく、パメラです。君は知ってるんだね、という意味ですね。きちんとパメラと自分との状況を設定した結果のアイデアだと思います。さらにマーティンの1人ぼっちな感じが引き立ちます。いい仕事してます。テーマにとても効果的です。
 考えない役者はこの役の一番大事なセリフと張り切るでしょう。「あなたがドクターマーティンか」、と、マーティンをじっと見て感激したように言うかもしれない。でもおじさんの作り方では、このセリフを発する時には一番大事な所は終わっている。もちろん「完璧」は役者の数だけありますが、この芝居、このおじさんの「完璧」だと感じます。

 では、このおじさんの一番大事な瞬間はどこでしょう。わかりますか。このセリフを言う直前です。あ、この人はあのドクターマーティンだ、と思う瞬間。これがこの役の一番大事な瞬間です。

 私はよく役やシーンの一番大事な瞬間を「ピーク」と話しますが、こういう言葉を選ぶと、このピークを「見せ場」と、何かやってやろう、目立つ事を、勘違いする人がいそうです。ピークは派手な事をやる、という意味ではありません。心の動きが一番大きい所、そこに向かって他の演技を組み立てると効果的になるよ、という意味です。

 ではおじさんがこの演技にたどり着くまでの道筋を想像して推考して見ましょう。

 長くなりましたので後半へ続く。

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