逃げるために転職したりしたけど、良かったんじゃないかにゃあ。

こんにちぶにゃ。

今回は、転職して良かった事についてだにゃ。

ぶにゃは、今までに4〜5回くらい転職してるのにゃ。

新卒の時は氷河期ど真ん中だったからにゃ。
なんもできないし、就職活動も頑張らないぶにゃは、
地方ブラック零細企業にしか拾われなかったのにゃ。

デザイン系の仕事だったのにゃけど、
センスがなかったのにゃ。

仕事遅くて迷惑かけてにゃ。
親の顔が見てみたいわ!とか毎日言われてたにゃ。
顔面にグーパン食らって吹っ飛んだ事もあったにゃ。

今思えば、あれは教育ではなかったにゃあ。
仕事できるようにはならにゃいし、
いつまで経っても余裕がなくて、
地獄だけが続くような状態だったにゃ。

社長も、仕事を断らないで全部受ける俺偉い。
とか、自慢しちゃってるような人だったし。

色々とヤバかったにゃあ。

そのうち視界がふわふわしてきてにゃ。
休みもなくて、いつも疲れてたにゃ。
当時は鬱という概念を知らなかったけれど、
そういうのになりかけてたのかもしれんにゃ。

奴隷兼サンドバッグってやつだったにゃ。
人生で最も長時間労働してたのにゃあ。

今なら秒で辞める環境だったけどにゃ。
新卒で、他の常識を知らなかったので、耐えれたんだと思うのにゃ。
「知らぬものを耐えるのは容易い」というのは正しいと思うのにゃ。
刷り込み洗脳というのは恐ろしいにゃ。

そんな中で、転職する動機になったのは、
受けた仕事で、オーサリングソフトのスクリプト触る機会があった事にゃ。

その時、初めてプログラムぽいものに触れたのにゃ。
これならぶにゃにも、人並みにできるかもしれないと感じたのにゃ。

現状から逃げたくてにゃあ。
藁にもすがる思いで知り合いに相談したのにゃあ。
するとにゃ、スクリプターで雇ってもらえるとこが見つかってにゃ。
逃げたすように転職したのにゃ。

転職は成功だったにゃ。
年間の休みは、実質0日だったのが、50日程度に増えたにゃ。
毎日家に帰れるようになった事で、だいぶ心に余裕ができたにゃ。

給料の手取りは、居酒屋でバイトするより安かったけど、
氷河期の地方ブラック企業は、何処もこんなもんだったんじゃないかにゃ。

労働基準法違反だらけにゃ。
労基が来るはずにゃんだが、見た事なかったにゃ。

なんでなのかにゃあ。と思ってたら、
「労基は怒鳴り散らして追い返したら二度と来なくなったわ。ガハハ。」
って感じで社長が自慢してるのにゃ。

社長は下衆だけど、労基って雑魚なんだにゃあ。
と思って諦めたにゃ。

でもまあ、仕事内容はまともだったにゃ。
ホームページ作ったり、CGI組んだりしてたのにゃ。

こういう仕事なら、みんなについていけるのにゃあ。
って自覚したのにゃ。

3年くらい経って、できる事が増えてきたのにゃ。

その頃、同僚と飲みに行くと、
「ディズニーランド行ってみたいなあ。」
というような話を度々聞かされたにゃ。

週に1日しか休みないし、有給取れなかったから、
泊まりがけの旅行は無理だったのにゃ。

「社員が休んでもロクな事に使わない。」
とか言っちゃうような経営者だったから、
ここに勤めてる限り、泊まりがけの旅行は無理だにゃ。って思ったのにゃ。

なので、休みの増える会社を探す事にしたのにゃ。

地方は、見渡してもヤバイ企業しかないから、
都会に興味はなかったけれど、上京することにしたのにゃ。

そのころになると、
IT系は転職サイトが流行っててにゃ。
氷河期も終わってきたっぽくて、
首都圏には、条件のまともな就職先が結構あったのにゃ。

仕事辞めて上京したにゃ。
マンスリーマンション借りて仕事探したにゃ。
運よく1週間で職場が見つかったのにゃ。

お給料と休みが、2〜3倍に増えたのにゃ。
家賃は高くなったけど、有り余る恩恵があったにゃ。

有給も貰えるようになったにゃ。
異文化を感じたにゃ。

年末年始も1週間休みでにゃ。
神かと思ったにゃ。

東京ってすごいんだにゃあ。
って思ったのにゃ。

残業は少し多かったけれど、
社長もしっかりした人で、居心地良くてにゃ。
ぶにゃにしては長く勤める事になったのにゃ。
意識高い系のプログラムやサーバー運用なんかは、
この会社で学べたのにゃ。

その後、ソシャゲが流行ってにゃ。
ゲーマーなぶにゃは、
それを作りたくなってしまったのにゃ。

試しに、新卒の頃、入ってみたいなー。
と思ったことが一瞬あったかも知れないゲームの会社に応募したら、
なんか受かっちゃったので転職したにゃ。

人が多くて、びっくりしたにゃ。

残業は多かったけど、給料も上がったし、
人は優しかったし、仕事も楽しかったにゃ。
ゲーマーな、ぶにゃには、素晴らしい会社だったのにゃ。

担当タイトルは、同時アクセスが半端なくてにゃ。
ノウハウ不足だったのもあって、
過負荷でアクセス不能になる事も結構あったのにゃ。

胸をキューっと締め付けられながらの緊急対応は、
いろんな意味で学びがあったし、変な度胸もついたのにゃ。

電車通勤してる人が、
担当してるゲームをポチポチしてるのを何度か見かけたけど、
見るたび、なんか嬉しかったのを覚えてるにゃ。

そのうち、ニュースで過労死が取り上げられて、
残業ダメです。って御触れが出回ったにゃ。
システムも安定してきてたのもあって、
残業する事が、ほぼ無くなったにゃ。
いきなり超絶ホワイトになったのにゃ。

ぶにゃは、残業代とか関係ない子だったし、
良いことしかなかったにゃ。

何年か働いて、
フロント作ったりして楽しかったんにゃけど、
気がついたら、仕事の割り振りしたり、
スケジュール作ったりするようになってたのにゃ。

なぜか他社と話し合いする事も増えてにゃ。
陰キャコミュ障キモおじには、だるい仕事だったのにゃ。
プログラムする機会が減っちゃったのもあるしにゃ。
なんか違うと思って転職しちゃったにゃ。

そんな感じで、
今は、気に入ってる会社で、
マイペースにやらせてもらってるのにゃ。
とてもホワイトだにゃ。
需要がなくなるまでは、ここに居たいと思っているのにゃ。

ぶにゃが、転職してよかった事はにゃ。
「労働環境が改善されました」と、いうことになるのかにゃ。

賃金奴隷も気楽で悪くないと思うのにゃ。

ではにゃ。









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