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混ぜてから食べる=水戸黄門的と、変化を楽しみながら食べる=相撲的な食べ方

おじいちゃんは、「水戸黄門」をよく見ていた。
「人生楽ありゃ苦もあるさ〜♪」から始まり、悪者と戦っては「この紋所が目に入らぬか!」のとどめの一言。
幼い頃に一緒に見ていたとき、私は毎回同じような展開で「また見てるよ……」とちょっと飽き気味だった。

おじいちゃんは、そんな”水戸黄門的な食べ方”が好きである。
食べる前に、なんでもごちゃごちゃと混ぜてしまうのだ。

せっかく分かれているカレーライスのご飯とルーを、最初に混ぜるとそれはカレー味のご飯になってしまう。
そしてそれは食べ終わるまで、ずっとカレー味のご飯のままである。

「また同じ味だよ……」
今食べた一口と次食べる一口は同じ味で、口に入れる前から味の予想がつく。そしてそれがずっと続く。
毎回展開が同じなのはなんだかちょっとつまらなくて、だんだん飽きてくる。

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おじいちゃんのもう一つの楽しみは、毎場所欠かさず「相撲」を見ることだった。
横綱の圧勝かと思いきや、まさかの十両が勝って懸賞金を抱えていったり、全く予想できない展開が面白い。

展開を予想できるのが"水戸黄門的な食べ方"だとすると、次々と変わりゆく状況=味を楽しむのが、”相撲的な食べ方”だと思う。
ご飯とカレーの量を1:9にしたり、5:5にしたり。ご飯だけ食べたり、ルーだけ味わったり。
そうすることで毎回違う味わいになり、最後まで飽きずに食べ進めることができる。

たまごがけご飯も、最初から「黄色いたまご味のご飯」にするんじゃなくて、ご飯の中央をくぼませてそこに卵を割り入れ、少しずつ黄身を崩しながら食べる派である。

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(割ったら双子ちゃんだった)

そんな相撲的な食べ方を支持している私だが、一つだけ水戸黄門的な食べ方をするものがある。
それは、大好物の石焼ビビンバだ。

ビビンバは本来「ビビムパプ」という名前で、「ビビム=混ぜ合わせる」という意味がある。
そう、これは混ぜ合わせる韓国料理であり、具のひとつひとつを別個に味わうものではないし、そこに抗うつもりもない。

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ただし、私が食べるのはやはり”石焼”に限る。
石に触れていた部分がカリカリになることで、異なる食感&こんがりとした味を楽しめるからだ。
完全なる水戸黄門的食べ方ではなく、少々の相撲的食べ方が入ることにより、私は石焼ビビンバを好きでいられるような気がする。

だから石焼と名乗っているにも関わらず、残念ながらご飯がカリカリになってくれないものに遭遇すると、雨に濡れてしまった洗濯物を取り込む時のような遣る瀬無い気持ちになる。

***

誰かが水戸黄門を見ようと、それは構わない。
誰かが水戸黄門的食べ方をしていようと、それは構わない。

ただ私は、相撲的な食べ方を楽しむだけ。
さあ、今日はどんな一口と出会えるだろうか。

はっきよーい、のこった!


これでおいしいものを食べます🍴 ありがとうございます!