私にとってのプルーストのマドレーヌ③ 「五穀米の香りで、今は亡き祖父母の家へ」

五穀米をあけて香りを嗅ぐ。
穀物の香りがする。

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なんだかかいだことのある香り……と思って迷子になりながら記憶を辿ると、祖父母の家で食べたひまわりの種にたどりついた。

奥深くに眠っていた記憶が、蘇ってくる。
探して諦めてもう一回探してようやく探し物を見つけた時のような、「おうおうここでしたか」という喜びの再会。

祖父母の家は自宅から車で1時間くらいのところにあって、たまに遊びに行っていた。

ひまわりの種

祖父が好きだったのか、なぜかあった食用ひまわりの種。
最初はおいしいのか半信半疑だったけれど、当時マイブームだった「とっとこハム太郎」の大好物というのに後押しされ、前歯で少しかじってみた。

一度食べてしまえばこっちのもの。それから味をしめて、遊びに行くたびに「食べていい?」と聞いていた気がする。
自分で棚を開けて、「と〜っとこ〜はしるよハム太郎〜♪ 」の歌を頭の中で鳴り響かせながら、ひまわりの種をむさぼっていたあの頃。

いつもと違う朝ごはん

祖父母の家では朝食に大きなパン(フランスパンとか)を切って食べるのが習慣で、いつも個包装になったパンを食べていた私は、朝からまな板とパン切り包丁を出してパンを切る祖母の姿が新鮮だった。

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「何枚食べる?」「2枚かな」「え、2枚だけ?」なんて会話をしながら、オーブントースターに入れてもらう。
普段はマーガリンだけど、祖父母の家ではバターが卓上に出されていて、それもなんだか特別感があった。

当時は素朴で味気ないと思っていたけれど、今になって思えばその時の祖母の姿は写真を撮って飾っておきたいくらいに尊い。
毎朝切りたてのパンを提供してくれる祖母、今ならもっともっと感謝の気持ちを伝えられるのにな。

コーヒーサーバーを割った日

祖父はガラス製のコーヒーサーバーを使っていて、卓上に乗っていたそれを私がひっくり返して割ってしまう事件があった。
小学生低学年だったか、なぜだか素直になれなくて「ごめんなさい」が言えずにもじもじしていた。

それでも悪いと思う気持ちは心の底からあって、家に帰ってからすぐにハガキを取り出し、手紙を書いたのを覚えている。

丁寧に心を込めて、ごめんなさいっていうイラストまで描いた気がする。
もちろん祖父は許してくれたし、次に遊びに行ったときには「割ってくれたから、新しいの買ったよ」ときれいなコーヒーマシンを笑顔で見せてくれた。

なんて優しいのだろう。無償の愛を感じる。

***

五穀米がつなぐ、懐かしい記憶の回廊。
つながってしまえば、一気にいろんなエピソードが浮かんでくる。

五穀米が「ジャックと豆の木」の豆ならば、記憶は木となってするすると高く遠く伸びてゆき、どこまでもとどまることを知らない。

豆が芽を出し、木になる瞬間を、これからも見逃さないように生きていきたい。

これでおいしいものを食べます🍴 ありがとうございます!