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「書いて、言い訳しろ」

書け。
書いて、言い訳しろ。
あらゆる芸術は、自己弁護である。

(『宇宙一チャラい仕事論』近藤康太郎著 CCCメディアハウスより)


朝日新聞編集委員であり、作家、ライター、猟師でもある近藤康太郎さんの著書『宇宙一チャラい仕事論』を読んだ。そこには、本気で遊び、残りの時間で働き、すきま時間に勉強しながら、ナイスな毎日を生きるための方法が「これでもか」と書かれていた。丁寧に、繊細に。熱狂とともに。
学びばかりで、付箋が茂った。

けれどどうしても、冒頭に引用した一節だけが分からなかった。

「書いて言い訳しろ」とは、「書くものがすべて言い訳」という意味なのか。「書いてから、うまく書けていない言い訳をしろ」ということなのか。

いや、前者だとは思う。

引用した文に続く、森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』から抜粋して書かれた、
どんな芸術でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。
という言葉を考えると、絶対に前者だ。

けれど、「あらゆる芸術は、自己弁護」という言葉に体感が伴わない。
そうなのかな、本当に? と。
そこで先日、出版記念セミナーに参加した際に意を決して質問させていただいた。

近藤さんは間の抜けた問いにちょっと困った顔をしながら、「もちろん、書くものすべてが言い訳という意味です」と答えてくださった。森鴎外の『舞姫』を例にあげて。「だから自分も文章を書くことで生きていいと思えた」と。

『舞姫』は、森鴎外が自身と、自身が捨てた恋人の話をモデルに描いた作品だと言われている。「なぜ捨てたのか」が書かれた、完全なる自己弁護の物語だ。そして、そうであれば、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』なんかも該当するのかもしれない。誰かを蹴落としても、自分だけが上に行きたいという願望への自己弁護。命が助かるなら、仕方ないのだと。(けれど最後に糸は切れ、主人公は地獄へ逆戻りしてしまうのだけれど)

なるほどたしかに。

じゃあ、ほかの芸術ではどうだろう。
ゴッホのひまわりは、ビートルズのLet It Beは、どんな自己弁護だったのか。彼らはどんな視点で花をみつめて描いたのか。歌詞を考えたのか。

自己弁護を辞書で引くと、「自分を庇うために言い開きをすること」とある。なぜ自分を庇わないといけなかったのか。どんな自分を?

うまく描けない自分を、なら、「下手な自分を庇って、もっと上手く描ける」と証明するために描いていたのか。または、「性格はちょっと内向的だけれども、絵はうまく描けるんだよ」という言い開きだろうか。


調べてみるとひまわりは、描かれた時期で初期(1886~1888年)と、後期(1888~1889年)に分けられていた。初期のひまわりはゴッホにとってユートピアの象徴であり、孤独感を表現していると言われているそうだ。自己弁護というフィルターを使うならば、「一人ぼっちの自分を恥じつつも、それを描く立場にいることで弁護していた」といった意味合いになるのかもしれない。

一方の後期は、友人であり敬愛するポール・ゴーギャンと密接な関わりを持っていた時期に描かれ、自分の絵画の技法や手法を披露したいと考えていたと言われる。

自己弁護として考えるのであれば、ゴーギャンに尊敬と共に劣等感を抱き、画力を示したいと思った、と言えるかもしれない。実際にゴーギャンは、非常にひまわりを気に入って2点購入したそうだ。

真偽はわからない(あくまで素人の私見です。ご容赦ください)。けれどその視点に立つと偉大な芸術家が、身近に見えてきて面白い。


これからはあらゆるアートを、「自己弁護」という視点で見てみよう。そこに至る経緯や経験、抱えていた劣等感や葛藤を想像するだけでも、作家を、作品を、一歩踏み込んで考えることができる気がする。

作品を通して作者と対話する、とよく言われる。それはもしかしたら、作者の劣等感と自分の劣等感が響き合う、ということなのかもしれない。
はるかな時と場所を越えて。
作者の自己弁護に共感したり、反発したりする過程で、自分自身の劣等感や欲求とも対峙することになる。それはきっと、自己理解を深める営みでもある。

と、ここまで書いて気がついた。この文自体も立派な自己弁護だ。愚問をしたことを恥じる自分への。……やっとるがな。
よし。これからも胸を張って、「書いて言い訳」していこう。


ところで、これを書く前に、『宇宙一チャラい仕事論』を表す曲として近藤さんにmojo(超自然的な力、魔法のようなもの)で降りてきたという、友川カズキさんの『夢のラップをもういっちょう』という曲をYouTubeで聴いてみた。「ぬげろー!(逃げろ)」という台詞が最も表している、とお話されていたのだけれど、この動画の友川さんの前説が「身体を使って汗をかいた文章、血の匂いがする原稿だけを書く」という近藤さんのお話とリンクしている気がしたので、読まれた方、これから読まれる方、よろしければ。

友川カズキ「夢のラップもういっちょう」LIVE AT APIA40, 2022.1.21 - YouTube


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