【今日コレ受けvol.067】幸せのハイライト上映
朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。
子供の頃見たTVアニメの主題歌には、「楽しい」が閉じ込められている。
きょうだい3人、アニメがはじまる5分前には、テレビの前に体育座りをした。誰が一番見やすい場所に座るか、という肘での押し合い。引き戸の向こうからは、お母さんがごはんを作っている音と匂いがする。
おばあちゃんが奥の部屋で時代劇を見ている音や、犬のハナコが、銀色の大きな器に首輪をカチカチ当てながらごはんを食べる音も。遠くで。
もうすぐ、前回の物語の続きが見られる。
「悪者に捕まった主人公はどうなったんかな」
「突然の嵐にあったあの船は、無事島にたどり着けたんやろうか」
1週間溜めに溜めたハラハラを、ドキドキを、兄と姉と熱く語り合った。
そして、主題歌が流れる。そのとき、期待は最高潮を迎えていたのかもしれない。思い切り歌った。大合唱だ。
だから今でも、当時見ていたアニメの主題歌はほとんど歌える。
好きだった人が、好きだと言ったものが好きになる。
そう読んで頭にふと流れた、TVアニメの主題歌。
どうしてだろう、と思った。
それはきっと、そのどちらもが、幸せな記憶のトリガーだからではないか。その歌は私のなかの、「家族だんらん」のトリガーだったのだ。
それにしても不思議なのは、思い出すシーンが、私の視点ではないこと。
3人きょうだいの背後から、小さくまあるい背中と、その前に映るTVを見ている。つまりこれは記憶ではなく、脳内で生成された映像なのだろう。
いわば、自分で編集した、人生のハイライトムービー?
好きだった人が、好きだと言ったものに出会ったら。アニメの主題歌が流れたら。
パッと客電が消え、頭の中のスクリーンいっぱいに、『幸せの記憶』という名のミニムービーが映し出される。
監督は自分、観客も自分。
どんな傑作映画よりも、楽しい上映会の幕開けだ。
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