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【今日コレ受けvol.055】サグラダ・ファミリアの気迫

朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。


京都で、数百年続くという旧家のお庭を見せていただいたことがある。
個人のお宅なので、普段はもちろん非公開だ。だが、そのお宅のお知り合いの方が一緒で、特別に見せていただける機会に恵まれた。

「すごい庭だ」とは聞いて心づもりはしていたけれど、実物は想像よりはるかにすごかった。苔むした巨大な岩がいくつもあり、滝があり、池があり、四季折々の花や木があり…。都会の戸建てなら30軒は余裕で建てられそうなそこは、庭というより「森」や「丘」と言ったほうがしっくりくる場所だった。

元は先代当主がつくりはじめたそうだが、受け継いだ現当主が、今も改良し続けているという。玄関には、新たに庭に配置する予定だという、重さ1トンはある岩が2つ置かれていた。

当主は、「庭づくりは趣味です」と笑っておられたが、その凝りようや準備している岩を見て、おそらく彼が「これで完成」と心底納得できる瞬間なんて、永遠に訪れないのではないかと思った。


その出来事で思い出したのが、ある社長さんが対談イベントで語っていたお話だ。その方は世界のあちこちを旅されていて、スペイン・バルセロナにも行かれたという。そこでサグラダ・ファミリアを見て、ガウディの功績は「自分の代では完成しない設計をした」ことだと感じたと話されていた。

1926年にガウディが亡くなった後も、建築に携わる人に仕事を与え続けていることこそが偉大なのだ、と。


人生を100年と過程すれば、わたしはそろそろ折り返しが迫る年齢だ。
残りの時間で「なにかを成し遂げなければ」「残さなければ」と焦っていたけれど。もしかして、そんなに気負わなくていいのかもしれない。

もちろん、なんであれ自分がやっていることを、息子や誰かに強制的に継いでもらおうなんてサラサラ思わないけれど。もしかしたら、思わぬ形で継いでくれる人が現れるのかも…。

たとえ現れなくても。
そもそも、人が何か行動したことが、周囲に全く影響を与えないなんていうことがあるだろうか? 「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないけれど、たとえ小さくても、人は周囲の人の影響を受け、同時に与えているはずだ。
だとしたら、道半ばで終わっても、無意味なことなんてないのでは。


そう考えたら随分と気が楽だ。

あの庭園やサグラダ・ファミリアは、「つくりかけ」の姿であったとしても、十二分に美しいのだから。

いや違うな。
「成し遂げよう」という人の気迫や情熱こそに、美しさを感じているのだ。


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