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たった一人の読者

パブロ夫婦は、牧畜を生業としている。

器用なパブロは、小高い丘の上に独力でこじんまりしたログハウスのような家を建てていた。

 場所柄、冬季の冷え込みは厳しいものがあるため、きちんと暖炉まで装備しているのである。

 その暖炉の前には二脚のロッキングチェアが置いてある。
妻が編み物をし、パブロが読書をするのである。

 その横に、三年前から玩具のようなロッキングチェアが置かれるようになった。

娘のマリアが、連れ合いを戦争で亡くし、一粒種のロコを連れて戻って来たのである。

 パブロは額に汗して、わずか三日間で小さなロッキングチェアを拵えた。

 娘にしてみれば、都会で幼い子供と二人の生活は、やはり厳しい。
もちろん、老いてゆく両親のことも気にしてのことであろう。

 パブロ夫婦は、淡々と余生を過ごしていたが、娘親子が戻って以来いくつも若返った気がしていた。

 毎日ロコを連れて仕事に行くのが楽しくて仕方ないのである。妻も張り切ってロコと二人分の弁当を作ってくれる。

「おじいちゃん、今日のパンは美味しいね」

昔のパブロであれば、「いつものは、不味いのか?」と言ったかもしれないが、今はそんなことは勿論言わない。

「そうか、そうか」である。

そんな他愛もない会話すら、パブロは嬉しいのである。

 娘のマリアは、掃除、洗濯、薪割りと忙しくしている。
戦争で負った、いろんな意味での傷は癒えつつあるようにみえる。

 パブロは若い時分、人並みに都会へ出て画家を目指したことがある。その時、ふとしたきっかけで妻と出会った。

 その妻がポツリと
「才能・・・ないと思う・・・」

自分でも分かっていた。
「牧畜なんかで、いいかい?」
「画家よりずっといいと思う」
と、妻はいたずらっぽく笑ったものである。

 リビングの棚の上には、画材が一式置いてある。
埃は・・・かぶっていない。

 夜になると、パブロは、ロッキングチェアではなく、テーブルに向かう。

せっせとロコのために絵本を描くのである。
「よし、出来た!」

タイトルは「小熊のピッピ」、表紙には小熊の丸い大きな顔が微笑んでいる。

これで、いったい何冊になるであろう。

たった一人の読者のための絵本作家である。

 妻は満足そうなパブロを眺め、ロコの喜ぶ顔を想像する。

明朝ロコはきっとこう言うであろう。

「おじいちゃん、子犬の絵本ありがとう!」

                           完

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