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井の頭公園の散歩(17)400前の将軍家光の狩猟で鹿43頭

 前号の妄想の余韻にひたりながらお茶の水橋を渡り、明るく開けた右側斜面に梅林がある坂道を上る。この梅林、「昭和13年(1938年)春に有志の寄付」によって植えられたもので、当時から残っている梅は85年以上の古木であります。

 坂道を上がったところ一帯は御殿山と呼ばれていますが、その理由はこのあたり一帯が徳川幕府の狩猟場であり、狩りをする将軍のために「仮の宿所」があったことから御殿山と名付けられたと言われています。

『徳川実紀』(徳川幕府の公式史書)の寛永二年(1625年)十一月の記述には、三代将軍家光の来遊があり、大がかりな狩猟を行ったことが記されています。その成果は「鹿四十三頭、兎一頭」(『井の頭公園』前島康彦)と記されていますから、400年前の井の頭池周辺は事前に鹿を追い込んだとしても鹿が多く生息していたのでしょう。

 その狩猟後の鹿は『林羅山詩集』に記されていて、前島康彦は著書の中で、「寛永二年乙丑冬十一月晦、幕下牟礼の城山に狩りす。…(原漢文)」と始まる原文の後に、「羅山の詩文集によれば、この日の獲物の鹿は翌十二月一日に、大勢の家臣に将軍より賜与された。一匹分の人もおり、足二足分のもの一足分のものなどさまざまであったが、羅山道春もまた鹿を賜ったものの一人であって、彼は詩を賦して名誉に感謝している」と記しています。 一頭丸々の人もいれば足1本の人もあったのですね。

〈名月や池をめぐりて夜もすがら〉芭蕉


メールマガジン『ぶんしん出版+ことこと舎便り』Vol.17 2022/10/14


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