ピストル氏のピストン的矛盾構造(2気筒)について

今日、近くのスーパーに行ったら店内BGMから「よぉ!そこの若いの!」とからまれた。

おとなしく話を聞くと「俺を含め誰の言うことも聞くなよ~」と説教された。

私の第一感は「はぁ?」という感じである。どう考えても竹原氏の言動は矛盾している。

つまり竹原氏は「誰からのメッセージにも影響を受けるな」というメッセージによって私(聞き手)に影響を及ぼそうとしているのである。

このとおり完全に矛盾している。

しかし竹原氏は、この矛盾を自覚しながらもこのメッセージを発信しているのであろう。

ということは、竹原氏のなかには「まぁ矛盾していたとしても、そこは聴き手が好意的・肯定的に解釈してくれるだろう」という考えがあるはずだ。

私から言わせれば、その考えはハッキリ言って「甘え」であるし、もっと言えば非常に子供じみていて「卑怯」な考えであると言えよう。

そもそも私は竹原氏とは知人でもなければ仲間でもないから、竹原氏のメッセージを無条件に肯定したり好意的に解釈したりしない。そんな私はある意味「誰の言うことも聞かない人」とも言えるであろう。

ということは、私は逆説的に竹原氏の掲げる理想的人物像に合致しているということであり、これを換言すれば、私は言葉では竹原氏を否定していても行動では竹原氏を肯定しているという構図になる。

かといって、私とは逆に竹原氏の歌(メッセージ)を素直に肯定した人がいたとすると、その人は竹原氏を言葉で肯定して行動で否定しているという構図になる。

つまり竹原氏の視点に立って両者を観てみると、両者ともに「自分のメッセージが届いた人」=「自分を肯定してくれる人」として映るようになっているのである。一方は表層的に、他方は深層的(本当はオレを理解してくれている人)にといった形で。

要するに竹原氏は、聴き手すべてに自分のメッセージを届けることを目的に歌っているのではなく、あくまで「聴き手すべてに自分のメッセージが届いたと『確信する』ことを目的」に歌っているだけということである。

そしてそれを実現するために、先述のようなピストン的矛盾構造を言葉(歌詞)と行動(歌唱)の意味を逆転させることにより作り上げ「どっちにしても自分が勝つ」ようにしているのである。

その精神態度は別の言い方をすれば、他者との対立や自分が否定されることを恐れる非常に臆病な態度と言えるが、さらに欺瞞的なのは、竹原氏は別の曲では「人生に勝ち負けの尺度を持ち出さない人間は尊敬できない」といったことを述べている点である。

「君だけの華を咲かせればイイ」=「競争原理の否定」じゃなかったのかよ、、、以上。

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