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私を育てた(かもしれない)男

最近、Mr.ビーンの話題が出たので、久々に見てみたくなってしまった。
どういう感じでその話題が出たかというと、
同僚が唐突にMr.ビーンの物真似をし始めて、「めっちゃ似てるやん。」「Mr.ビーンのどうかしている感じが良く再現されていますね。」ってなったのだが、今思うと、唐突にMr.ビーンするというその時点でどうかしているね。


それはさておき、私とMr.ビーンの出会いは、おそらく、物心つく前である。
私が自我を持ち始めた時には、すでに、彼は私のそばにいた。
というのも、母親が私(赤ちゃん)の夜泣きに付き合って夜中に起きていたときに、たまたま付けたテレビで放送されていたのがMr.ビーンで、それ以来、母子ともに、いや、家族ぐるみで視聴するようになったのである。私は、彼と共に育ったといっても過言ではない。

今でも家族ではたまに話題になるし、我が家にそれなりに影響を与えた作品である。
しかし、私自身の生き方や人間性にまで影響を与えたかというとそんな気はしない。
同じように幼少期のころからよく見ていた番組に「フルハウス」がある。私の家族観は、この番組にめちゃくちゃ影響を受けていると思うし、初恋の人はジェシーおじさんである。おいたんしか勝たん。
私自身に非常に大きな影響を与えていると自覚している「フルハウス」に比べ、「Mr.ビーン」にはそんな感覚はないので、あくまで娯楽としての存在だと感じている。

久しぶりに見てみたいな~という軽い気持ちで、視聴を始めた。Amazonプライムで見放題だったから、都合がよかった。さすがに、追加でお金を払うとなったら、またの機会があればでいいかってなっていたと思う。それくらいの軽い気持ちである。



昔も昔過ぎて、当時の私が何を感じていたのかを覚えているわけではないけれど、たぶん、基本的にはMr.ビーンの行動を見ていたと思う。でも、大人になった今、この作品を見ると、Mr.ビーンに振り回される周りの人たちが気になってしまう。「なんかヤバいやついるんだけど。」と気づいた瞬間に走る緊張感。こわばる表情。ヤバければヤバい状況が予想されるときほど、緊張してしまって、なかなか軽い気持ちで、娯楽として楽しみながら見ることができない自分に気づいた。
こんなにしんどかったっけ?
私は視聴を中断した。

そのときふと気づいた。
今、視聴していたのは1997年に制作された「Bean」という題名の映画であった。TVシリーズ「Mr.ビーン」が短編作品であるのに対し、こちらは長編。きちんと約90分にわたるストーリーがあるのである。

私が知っているのは、短編の方だな?
1番古そうな動画を再生し、TV放送1回分を 視聴する。

これで合点がいった。
TVシリーズは、試験会場だったり、教会だったり、デパートだったりといった場所に、突如Mr.ビーンが現れ、事件が起きる。なぜそこに彼がやってきたのか、そこにはもともとどういう人物がいるのか、詳しく語られることはない。
だから、Mr.ビーンのせいで嫌な目にあっても、その時その場限りのことなのだ。Mr.ビーン以外は、モブ。モブと言っても充分キャラが立っていたり、微妙にズレていたりもするのだが、とにかく、その話だけの関係性である。このおかげで、心置きなくMr.ビーンの言動に集中し、笑うことができるのだ。
一方、映画版はストーリーがあるので、その人物がちゃんと1人の登場人物として見えてしまう。その結果、この人はずっとMr.ビーンに巻き込まれるのか。かわいそうだな。ってげんなりしてしまう。フィクションだとわかっていても、気が滅入ってしまう。

映画版を途中でリタイアしておいて何か言える立場ではないかもしれないけれど、 映画版はMr.ビーンに巻き込まれるかわいそうな人が主人公で、TVシリーズはMr.ビーンが主人公みたいに見える。前者はストーリーに厚みがあるし、後者は気楽にただ笑える。
どちらも違った魅力があると思うが、私はTVシリーズの方と共に育ったため、私がMr.ビーンに求めるのは、短編の気楽さだ。

あぁ、このシーン覚えてるなあ。とか思いながら何本か視聴するうちに、ふと、あることに気づく。

先程、Mr.ビーンからは何も得ていないと断言したが、そうでもないかもしれない。

Mr.ビーンは、ナレーションがあるわけではない。セリフも少なく、基本的には彼らの表情や仕草から多くの情報を補わなければならない。それを成立させる出演者の演技力には本当に感服させられるけれども、ここで言いたいのはそこではなく。

私は、こういった作りの映像を幼少期から嗜むことで、言葉で説明されていないことを読み取る能力を身につけていたのではないか。

私は子どもと遊ぶのが好きだ。
私自身の世話で精一杯なので育てることはできないのだけど、一緒に遊ぶのは楽しいから好き。
子どもが苦手という人は、「何を考えているかわからなくて嫌だ。」という理由が多い気がする。その点、私は、まだ言語は発達しきっていない子どもの表情や仕草から求めていることを予測し、接するのが得意な方だと思う。だからこそ、子どもと遊んでも、お互い比較的楽しい時間が過ごせるのではないかと思う。
で、この能力を育ててくれたのは、Mr.ビーンな気がする。
Mr.ビーンの表情、仕草を見ながら、「あ、今、こういうふうに考えたから、こういう行動を取ったんだな。」と理解する。そういう経験がまだ言葉が少ない子どもと接する時に活かされている。


また、Mr.ビーンという、奇想天外なキャラクターの行動原理を理解しようとすることで、現実社会においても自然と自分とは異なる他者の行動原理を予測する姿勢が身についたのではないか。

私はわりと普段から、「自分はそうは考えないけど、この人ならそう考えるだろうな。」ということが自然に思い浮かぶ方だと思う。
もちろんその予測を誤ってしまうこともあるけれど、多くの場合は役にたつ。例えば仕事の場面。「この人はコストについては興味がないから説明を省いてもいいだろう。」「この人は義理とか大事にするから、担当ではないけど、直接説明をしておいた方が今後スムーズだろう。」とか、そんな感じで予測できるので仕事が円滑に進むことが多い(ような気がする)。
「自分とは根本的に考え方が違うな〜。」と思うことはあるけど、だからと言ってその人を嫌いだという風にはならない。
Mr.ビーンのようなヤバすぎる人を見慣れているから、世の中にはいろんな人がいるよね〜感が強いのかもしれない。もちろん、フィクションの人物だということはわかっているのだけど。


私は、Mr.ビーンに育てられていたんだ〜。
あなたとは遊びの関係。私との間に真剣さなんて少しもないわ。
なんて思っていて申し訳ないわ〜。
彼に感謝の気持ちを忘れずに、今後も少しずつ、視聴を続けていこうと思う。

ありがとう、Mr.ビーン。

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