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本日の「読了」

末並俊司『マイホーム山谷』(小学館 2022)

一気読み。面白うござんした。

山谷に「希望の家」というホスピス(といっても病院ではない。介護付き無料定額宿泊所かな)を作った山本雅基氏を狂言回しに、山谷の地域包括ケアシステムが描きだされる。
 全てを失ったように見える主人公だが、なんとも羨ましいと感じるのはおっさんだけか。
 余人に創れぬ仏を造り、自ら魂も入れた。
 確かにそれを失ったが、その姿を目の端の納めながら、すぐそばで今も暮らしている。
 創立者である山本氏を組織図から排除したスタッフの気持ち、そして、山本氏とホスピスを作り上げた伴侶が、ある日突然、姿を消した理由も、ケアという行為の持つ危うさというか、両刃性を示している。
 救済するものが救済されるものでもあり、救済しないことが救済にもつながる。救済という行為は一方的になされるものでも、不可逆的な傾斜をもってなされるものでもない。平らな鏡面の上の水が風でヒョロリヒョロリ動くようなもの。バランスが崩れた瞬間、どちらも暴力的に排除される。支援者はまた鏡面に戻ってくるだろうが支援されていた方は戻らない。

著者が指摘するように「山谷式地域包括システム」は、望ましいかたちのひとつだと思うが、その前に、著者には、日本のほかのドヤ街のそれをノンフィクションしてもらいたい。
 同時に「超高齢化」しているドヤは、このあともドヤとして生き続けるのか。それは救済でもあるが、社会にとっては……。

[2022.07.03.ぶんろく]

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