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1%以上の共感

マイナンバーカードの暗証番号を忘れた。
それがないとフリーランサーとしての諸々の手続きができない。
出る予定のなかった家をでて、車で役場に向かった。


「ここに新しい暗証番号を書いてね。」
「はーい。」
「自分でも手続きできるし、こっちでやってもいいよ。」
「やってほしいな。」
「やりますね。」


そんな和やかで雰囲気で手続の完了を待っていると、
「すみません」と声がする。
60代くらいだろうか。か細い声だ。だけどしっかり芯の通った声だった。
「母が他界したので、それの関係できました。」


「出生地はどちらでしたか。」
「生まれも育ちもここで、婚姻でXXへ移りました。」
「そうですか。ではここにご記入していただいて…、」
ほんの少しの雑談を挟みながら事が進められていく。
誰かの大切な肉親がこの世からいなくなったにも関わらず、やけに淡々とコトが進んでいく。
ここが外だからなのか、ある程度覚悟ができていたからなのか、女性は時折笑う余裕もあるように見えた。
役場の女性も、決して余計なことを言わなかった。
「大変でしたね」とか「お悔やみ申し上げます」だとか、そういうやりとりはなかった。ただ穏やかに、他の手続きと同じようにコトが運ばれていく。


その一連の流れを、私は決して冷たいとは感じなかった。
役場の女性の、なんの気遣いもないように見えるその声色に1%の配慮を感じた。
その1%に、私は社会の本質を見た気がしたのだ。
どんな私情も、結局のところ他人と分け合うのは難しく、
どんなに傷ついていても、結局は傷ついていないフリをするしかなく、
泣いている人すべてを、抱きしめるには多すぎて、
そうやって穏やかに滞りなく全てを運ばせるしかない。


それまで「どうしてみんな結婚なんてするんだろう」と思っていた。
大切な人を法で縛り付けておくためなんだろうとすら。
だけどきっと、人は社会が進入できないプライベートな感情に1%以上の共感を求めるものだ。
それを「愛」だと定義するのであれば、
私はこれまで生きてきた29年の中で初めて「愛」という非合理的で不確実な存在を
縁取ることができる。
「愛」はただのロマンチストが掲げる理想郷なのではなく、
もっと心理学的に、社会的に、きちんと機能しているのだとわかる。


役場での滞在時間は10分。
人はひとりでは生きられないという言葉の意味を、きちんと理解した日だった。





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