市内放送/「ザ・マジックアワー」
つい最近、市内放送が変わった。パソコンの機械的な声になった。
こんなことを言うとこの時代にふさわしくないかもしれないが、慣れ親しんだ声が変わるのは、少しさみしい。
市内放送を聞くとき、(その放送を担当していた人はどうやら2人いたようで、音声も2種類あったのだが、)この放送をしている人は普段どのような仕事をしているのだろう、どうしてこの人が担当するようになったのだろう、などと考えるのが好きだった。
これからは、この機械は普段どのような仕事をしているのだろう、どうしてこの機械が担当するようになったのだろう、などと考えることになるのだろうか。
なんとも言えない気持ちである。
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市内放送で、変わった点がもう一つある。
今まで、「短髪」と言っていたところを、「ショートヘア」と言うようになったのである。
これに関しては、新しい言い方のほうが良いだろう。「短髪」と「長髪」より「ショートヘア」と「ロングヘア」の方が聞き分けやすい。それに、「ミディアムヘア」という表現もできるようになった。
私はここまで考え、そして、「短髪」と「長髪」の間の表現を自分が知らなかったことに気づいた。
「中髪(ちゅうはつ)」か。これであっているのか。違和感がすごいから、違う気がする。
今までの放送では、何と言っていたのだろう。もっとよく聞いておけばよかった。
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三谷幸喜監督の、「ザ・マジックアワー」を観た。
面白かった。大きなストーリーでも笑えるし、細かい芸でも笑える話をつくるなんて、私にはどうやったってできない。
こういうものは、どのようにつくられているのだろう。アレとアレ(今回でいうところの「映画俳優」と「ヤクザ」)が同じ言葉・同じシチュエーションでも通用しそうだと思い、やってみたところあんなに面白くなるのか。ある単語(今回の「マジックアワー」)という言葉を使いたくて、いろいろ付け足してみたらあんなに面白くなるのか。むしろ、こんな考察をすること自体が野暮なのか。
言葉を商売道具にするような生活をしたことがないので、自分には、どうしてそんなことが考えつくのかが見当もつかない。
三谷幸喜のコメディを見た後に落ち込む必要なんてないのに、将来文字を書いて暮らす予定も全然ないのに、何故かこれを書きながら重い気分になってきた。
私の「マジックアワー」も、待てば来るのだろうか。
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最後まで、ありがとうございます。
文明
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