【映画】「ラストレシピ 麒麟の舌の記憶」感想・レビュー・解説

一人でいることが、好きだ。
別に、誰かといることが嫌い、というわけではない。でも、ずっと誰かと一緒にいるのは、無理だと思う。ずっと一人でいることはどうか。なんとなく、出来るような気がする。少なくとも、ずっと誰かと一緒にいるよりは、抵抗なく出来そうだ。そういう意味で、僕は一人でいることが好きなんだと思う。

ただ、「一人でいる」というのは、幻想なんだとも思う。捉え方次第ではあるが、人は一人では生きられない。

単純な話で言えば、例えばコンビニで何かを買うにしても、それを作る人、売る人がいなければ生きてはいけない。本当に「一人でいる」ということなど、現実には不可能だろう。

僕らは生きている以上、無数の「誰か」の支えと共にいる。もちろん、自分の存在も、直接的にせよ間接的にせよ、誰かの支えになっている。なっているはずだ。

でも、そういうことを、うっかり忘れてしまいがちだ。どれだけ孤独が好きだといきがっていても、それは本当に一人なわけではない。

僕も、一人でいることは好きだ。でも結局それは、誰かの存在なしには成り立たない状況だ。そういうことを忘れてはいけないと、これはちゃんと意識しておかなければ、するっと忘れてしまうことだ。

なんというのか、そういうことを改めて感じさせてくれる作品だった。

内容に入ろうと思います。
すずらん園という、恵まれない子供たちを引き取る施設の園長が亡くなり、葬儀が行われた。しかしそこに、絶対に来いと呼んだ男が来ない。かつて彼と同じ店で料理人をやっていた仲間は、電話越しにその男を罵倒するが、男は意にも介さない。
最後の料理人。
佐々木充は、そう呼ばれている。一度食べた料理は絶対に忘れない舌を持ち、思い出の味を再現しては100万円を請求する、孤高の料理人となっていた。かつて経営していた料理店は、彼の料理に対するこだわりが強すぎて、それ故に閉店、多額の借金が残った。充は、15歳の時に飛び出してから一度もすずらん園に戻ることもなく、仲間も信頼せずに、一人で生きている。
そんな充の元に、奇妙な依頼が飛び込んできた。待ち合わせは北京だという。北京ではその名を知らぬ者はいないと言われる料理人・楊清明から、手付金300万円、成功報酬5000万円で奇っ怪な依頼をされることになる。

かつて満州軍が作り上げた「大日本帝国食菜全席」という宝物のようなレシピを探し出し、その味を再現して欲しい、というのだ。楊清明は、かつて天皇の料理番だったという山形直太朗と共にそのレシピを作り上げたというのだが、今そのレシピは手元にないのだ、という。
わけのわからん胡散臭い依頼だと思いながら、充は山形直太朗の足跡を辿るようにしてレシピ探しを開始することになる。それは、満州建国を世界に宣言するために陸軍から依頼された、途方もないプロジェクトだった…。
というような話です。

なかなか面白かったです。思っていた以上によく出来たストーリーで、なるほどなぁ、という感じがしました。満州で、世界を仰天させるようなレシピ作りが行われていた、というのは、恐らく史実ではないんでしょうけど(分かりませんが)、こんなことがあってもおかしくはないのかもしれない、と思わせるぐらい全体的に物語がうまく構成されていて、料理やレシピ探しがこんな展開になるんだ、とちょっとびっくりさせられました。

もちろん、人によっては物語の展開が分かるかもしれませんが、僕はあまり物語の先を予想しないタイプなので、ほぉなるほど、そんな風になるのね、という感じで見てました。面白かったです。

物語の性質上、詳しい内容にはなかなか触れにくいのだけど、戦時中という、何をするにも純粋な気持ちが踏みにじられがちな時代にあって、意志を貫き通そうとする男の姿と、己の力だけを頼みにした結果借金ばかり背負ってしまう現状の中で生きている男の姿とが、様々な場面で重なり合っていく構成は、なかなか良かったと思います。

映画を見ながら、理想が見えてしまう人間の不幸みたいなものを感じました。目指すべき場所が見えてしまっているからこそ、今自分がいる場所がまだまだだと思う。それだけならいいけど、他の人も同じ理想が見えているはずだと勘違いして、無理矢理にでもみんなをそこに行かせようとしてしまう。恐らく本人に、悪気はないだろう。理想へと進んでいくその道を、どうやって登っていくのかを考えているに過ぎないだろう。しかし、だからこそ厄介なのだ。


山形直太朗と佐々木充は、共にその宿命の中で生きている。それにどう向き合い、どう立ち向かっていくのかという姿が、重なる部分もあり、対照的な部分もあり面白い。

佐々木充の印象的なセリフがある。充は、山形直太朗の話を聞いて、「結局、料理は愛情ってやつに逃げちゃったんですよ」と吐き捨てる。

『ホンモノって、孤独の中で自分を追い詰めてこそ、初めて出来るものだと、僕は思いますけどね』

もちろん、その意見にも一理あるだろう。しかし充は、そういうやり方をした結果、どこにもたどり着くことが出来なかった。それ故に、たった一人で思い出の味を再現する料理人になった。一人ならば、いくらでも追い詰めることが出来るからだ。

しかし充は、山形直太朗を追いかけていく中で、そうではないベクトルも知っていくことになる。そうやってようやくたどり着いた先にあったレシピが、一体何を彼に伝えることになったのか。その辺りの展開は非常に面白い。

あと、映画の序盤では結構謎だった色んな人の言動が、最終的には、あぁなるほどそういうことか、と解きほぐされていく感じも面白いと思いました。

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