【映画】「ミス・マルクス」感想・レビュー・解説

僕の印象では、この映画は日本人にはちょっと向かない気がする。
というのは、「ミス・マルクス」について基本的な事実を知らないだろうからだ。

例えば、「坂本龍馬」を主人公に何か物語を考える場合、「教科書で習うような事柄」はその物語の中に含めなくていい、と判断されるだろう。日本人なら、大体知っているはずだからだ。

そして、「日本人が一般的に抱いている坂本龍馬のイメージ」に反するような描き方がなされると、その「意外さ」を日本人の読者・観客は理解できるし、その「意外さ」に面白さを感じるだろう。

しかしこの坂本龍馬の物語に外国人が触れるとしよう。この場合、「坂本龍馬の一般的なイメージ」が知られていない可能性があるので、当然「意外さ」を受け取ることもできないし、だから作品を面白いと感じられない可能性もある。

というのに近いことを、この映画に対して感じた。

「ミス・マルクス」というのは、『資本論』を執筆したカール・マルクスの三女エリノア・マルクスのことで、彼女は、「労働条件の改善」「児童労働の排除」「男女平等・普通選挙の実現」に尽力した女性活動家である。

恐らくだが、イギリスやヨーロッパ諸国では、この「エレノア・マルクス」という女性は有名なのだと思う。恐らくだが、「労働者や女性の権利獲得に奮闘した女性闘士」というような、力強く真っ直ぐで信念に満ちた女性、というイメージで知られているのだろう。

だからこそ、この映画の描き方が「意外」に感じられるのだと思う。

彼女は父カール・マルクスの死後、劇作家であるエドワードと結婚する。しかし、籍は入れなかった。入れられなかったと言っていい。エドワードは前妻と離婚が成立していないのだ。エレノアは、

【多くの友人が私の元を去ると思う。でも、本当の友人は残るはず】

という強い決意で、エドワードとの「籍を入れない結婚」に踏み切る。

しかし、結婚前から分かっていたことだが、エドワードは金銭感覚がイカれている。尋常ではない浪費家なのだ。エレノアは何度かエドワードをたしなめるようなことを言うが、彼はまったく理解しない。彼女はエドワードについて、

【彼には痛みとか不安が分からないのよ】

【腕や足を負傷している人と同じようなものだと思うようにしている。心のどこかが壊れているのよ】

みたいなことを言う。エドワードの浪費癖を直すことは諦めているが、現実問題として支払いはどうにかしなければならない。

エレノアの近しい人物は、

【僕はエドワードが嫌い】

【エドワードと一緒にいたらダメ。自分買ってで、その上あなたをダメにする。ずっと嫌いだった】

と散々な評価なのだが、エレノアはエドワードに惚れているようで、周囲の話を聞くことはない。

映画では、このような「ミス・マルクス」の姿が描かれる。「女性闘士」のイメージを抱いていれば、なかなかのギャップだろう。

さて、繰り返すが、恐らく日本人には「ミス・マルクス」に対する事前のイメージはないと思う。だから日本人はこの映画を、「ミス・マルクスと呼ばれている人物が何をして、どんな風に評価されている人物であるか」を理解しながら、同時に「そんな彼女がダメな男に捕まって身を滅ぼしていく過程」を知ることになる。

だからその「意外さ」が上手く伝わらないのだ。

というわけで、僕にはなかなかその面白さが伝わらなかった。

日本人向けに作るとしたら、「ミス・マルクスが女性活動家として行ったこと」を中心にした方が良かっただろう。この映画では、そういう描写は結構少ない。ヨーロッパでは常識だろうから、作品にはあまり盛り込まれないのだ。断片的に語られる「女性活動家としてのミス・マルクスの姿」にはちょっと興味を持ったが、この映画では深堀りされない。

このように、「(映画に限らず)その作品をきちんと受け取るために、どのような知識・価値観・イメージを有しているべきか」というのは常に難しいと感じる。

エレノア・マルクスという女性についてある程度知識がある人は観たら面白いと感じると思うし、映画を観る前に一通り「エレノア・マルクス」について調べるというのもいいだろう。

繰り返すが、この映画は恐らく、「エレノア・マルクスの”意外な姿”」を描くことが主目的なので、「エレノア・マルクスの一般的なイメージ」を持っていないと、その主目的を正しく受け取ることは難しい

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