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【本】辻村深月「家族シアター」感想・レビュー・解説

形って変わるんだな。


そんな風に、形の変わらない僕は思った。


違うか。形を変えたくない僕、かな。それも、やっぱりちょっと違うんだけど。


僕は、形を変えるのは比較的簡単なんだ。割と、どんなところにでも、自分の外形を収められる。アメーバみたいに感じている。流れる水の如く、そこに何かの形があれば、その形になりますよ、なんていうスタンスで生きている。


でも、そうじゃない部分もある。自分の中で、ここは形を変えないぞ、と思っている部分がある。明確に意識できるくらいにある。言語化出来るかどうか(するつもりもないけど)に関係なく、それはある。それは、外側の変形に影響されない。その言い方は、うん、ちょっとズルいんだな。正確に言えば、その絶対に変えまいと思っている部分を不変のまま保持するために、外側を可変可能にした、という言い方が正しい。僕にとって、外側が可変可能であることは、ある種の鎧であり、バリアであり、そういうものとして、僕は自分の外側をかなり意識して作り上げてきたように思う。


だから、僕の形は変わらない。変わっているように見えるのは、外側の可変可能な部分だけで、内側の不変の部分は変わらない。


そんな風にずっと思ってきた。


でもこの作品を読んで、違うのかもしれないと思った。変わっているかもしれない。そう思った。自分が不変だと感じている部分は、変わっているのかもしれない。あくまでその「不変」は、「自分が意識する基準」に基づく不変だ。もし、「自分が意識する基準」の方が変わっていれば、その不変のはずの部分は、僕に対して不変を保ったまま、その形を変えることが出来る。
そうなのかもしれない。


変わっていくことは、少し怖い。ずっと変わらないと、変わらないはずと思っていたものが変わるのは、ちょっと怖い。でも、この物語は、変わることの不安を、変えたくないという足かせを、すっと取り去ってくれるような感じがする。変わってしまったことに気づく恐怖を、和らげてくれるような気がする。


たぶんそれは、家族の話だからかもしれない。


僕は、家族というのが苦手だ。どう苦手なのかうまく説明することは出来ないけど、「そこにあるものとしてある」というのが苦手だ。「僕の存在の前提である、あるいはあるかのような存在」というのが苦手だ。「家族に対する、かくあるべしという幻想」が苦手だ。


家族というのは、家族の数だけ形があって、そこに一般性を見出すことは難しいかもしれない。でも、ドーナツと取っ手付きのコップは、「穴が一つ」という性質で括れる―そんなところを出発点にしたトポロジーのように、そこには捉えがたい共通性がきっとあるのだろう。形や見た目が違っても、それが持つ性質がきっと似通っているのだろう。自分の家族の話ではないのに、僕自身の恐怖を取り去ってくれるのには、きっと、家族の話だからというのが大きいだろう。


いつもであれば、内容を紹介して、あーだこーだ書くのだけど、今回は内容には触れないようにしよう。別にトリックがどうのなんて気遣いではなく、内容紹介した上であーだこーだ書くと、ちょっと書きすぎてしまうかもしれないと思うからだ。本書を読んで感じた色んなことを、どの話なのか分からないように、漠然と書いてみる。

たとえば…
僕らは、大人になるまで、自分がどんな武器を持っているのかなかなか気づくことは出来ない。もちろん、大人になったら分かるというものでもないのだけど、子ども時代にそれに気づくことはとても難しいと思う。
その武器というのは、自分の魅力を増すような、そういうものもそうなのだけど、それ以上に、他人を傷つけるための武器という点も大きい。僕達は、知らず知らずの内に、とんでもないものを振り回しながら他人と関わっていて、そのことに気づかないでいる。


人は、自分にあるものに気付いたり、他人にないものを気付いたりすることは、割と出来るのかもしれない。しかし、自分にないものに気付いたり、他人にあるものに気づくことは、なかなか難しいように思う。だからこそ、他人との比較は非常に困難だ。自分にあることを過大に評価し、他人にないことを過小に見積もる。そんな風にして、見せかけの武器はどんどん大きくなっていく。


ただ見せかけだけの武器であれば、斬られたところで痛くもない。しかし、その見せかけの武器が、斬られたら痛い武器として成り立ってしまうのが学生時代の難しさだ。非常に狭く、閉じられた環境の中で、さほど代わり映えしない人間が些細な差を大きく見積もる時代だからこそ、そういう虚構が生まれることになる。


そんな中で、何を頼りに生きていくか。
「わかんない」
その答えは、最高にクールだと思う。

たとえば…
僕は、何かを好きになることに、たぶん恐怖がある。何かにのめり込む、という経験を、僕はこれまでしたことがないんじゃないかと思う。忘れているだけかもしれないけど、最初のめり込んでいる感じで進んでいても、ある瞬間、自分でブレーキを掛けてしまう。


あー、ヤバイな、と。


それが失われた世界のことを、僕はきっと想像している。好きになったものが、もしなくなったらどうだろう、と僕は考える。その「もし」が起こり得なさそうなことであっても、僕は考えてしまう。いや、そうは言っても、これはきっと自分の前から消えてなくなる瞬間が来るに違いない、と。


その瞬間から、怖くなるし、嫌になるのだと思う。「なくなるかもしれないもの」が、ずしっと重くなったように感じるのだと思う。そして、なくなる恐怖を感じてしまった僕は、それが無くならないようにと、怯えてしまうようになる。大げさだろうか。でも、たぶんそうだ。だから僕が取りうる選択肢は二つしかない。それを絶対失わないようにもの凄い努力をするか、あるいは、最初からそれが好きではなかったというフリをするか、だ。


そんな風にして僕は、何かを好きでいる自分を諦めてしまう。


だから僕は、趣味はないということにしている。「趣味」という形で、自分が好きなものを固定化させてしまうと、たぶん何も出来なくなる。いずれその対象がなくなるかもしれないし、無くならないでも僕の好きな形で存続しないかもしれない。だから、僕には「趣味」はない。いつでもこんなこと止められるんだよ、というスタンスでなければ、何かに取り組むことは出来ないのだ。


だから僕はいつも、何かにのめり込んでいる人を見ると、とても羨ましく感じる。いいなぁ、と思う。そんな風に、一心不乱でありたいと思うことが、年に3回ぐらいはある。いいなぁ。


でも同時に、それがもしなくなったらどうするんだろう?と意地悪なことも思っている。それが、世界からなくなることはなくても、あなたの世界からなくなることはありえる。『この一日が終わったら現実に戻れないよな』なんて言われてしまうような、そんな消え方だってある。


新聞をそっと置いていった姉は、何を考えていただろう。岩登りの際にハーケンを打ち込むようなものだったかもしれない。落ちたとしても、ここまでだ、と。ここから下には落ちるなよ、と。善意だけではない行為だったかもしれないけど、何にしろ、姉の行動は、最高にクールだ。

たとえば…
僕はたぶん子どもの頃、「何を良いと思うかという基準が違う人と関わること」が大変だったんだろうなと思う。


今となっては当時、どんなことを考えていたのか正確には覚えていないけど、たぶん、周りの理解力のなさにイライラしていたような気がする。親も兄弟も学校の友だちも、なんというか、「話せる人間」がいなかったんだと思う。僕から見れば「まともではない人間」がたくさんいた。意味が分からなかった。みんな、なんでそんなところで笑うのか分からなかったし、なんでそんなことで盛り上がってるのか分からなかったし、何でどんなことに一喜一憂してるのか分からなかった。何でそんなことをしなくてはいけないのか、何でそれをやってはいけないのか。そういうことに、山ほど疑問を持っていたような気がする。


でも、僕はそれを、たぶん徹底的に隠したはずだ。「自分の方がおかしいんだな」と思うことにした。だから、周りに合わせた。周りの価値観を受け入れようとした。そういうもんだと、そうしなければいけないのだと、思い込むことにしたはずだ。


それは、とても苦しかった。やっぱり、全然理解できなかった。子どもの頃、周りが笑っている時は、何が面白いのか分からなくても笑うようにしよう、とたぶんしていた。その癖は、大人になってもしばらく抜けなかった(今も時々出るかもしれない)。自分の価値観で物事を判断すると、どうも違うことが多いなと感じていたような気がする。そして、僕がそういう部分を表に出さなかったからなのか、あるいは残念なことにそういう人間が当時周りにいなかったのか、同じ価値観で話せる相手もいなかったように思う。


だから、子どもの頃から、自分をナチュラルに貫ける人間に、凄く憧れる。『想像するの。自分が宇宙にいるとこ』と、自分の世界を持つことが出来る人間を羨ましく思う。


もし「タマシイム・マシン」を使えるなら、僕はそういう自分を選ぶだろう。その選択にどれほど痛みを伴っても、そういうあり方を一度貫き通してみたいと思ってしまう。もちろん、何回人生をやり直しても、たぶん、そんな風には出来ないんだろうなという予感はあるんだけど。


『私のこと、失敗したって思ってるでしょ』と言わずにはいられなかった少女には、だから酷く同情する。自分らしさを貫くには、同志が一人いればたぶん頑張れる。同志でなくてもいい。自分のことを、自分のまま理解してくれる人がいれば、たぶん頑張れる、でも、この少女は、そういう点では恵まれなかった。まったく価値観の相容れない相手と、不毛な戦いを繰り返すしかなかった。


その絶望は、少し理解できるような気がする。僕もたぶん、「あーきっとこの人に言っても伝わらないだろうな」という感覚をたくさん味わったような気がする。それは、どちらが悪いというわけではない。ただ、相性の悪い人間が、同じ括りの中に放り込まれてしまっただけだ。学校なんかであればまだ逃げる手段はあるけど、家族だとそうはいかない。この少女は、もの凄い出来事によって、その関係性が少し改善されたかもしれない。でも、普通はそうはいかない。

たとえば…
『親になるということは、こんなにも周りに合わせること、自分の時間が削られることなのか』という父親の感覚には、思わずニンマリしてしまった。
いやいや、それぐらい想像できるやろ、と思う反面、羨ましいなと思う。そんな呑気な、気負いない感じで父親でいられるなら、俺も子どもを育ててみてもいいなー、なんて。


でも、確かにそうなのだ。どうして、子どもにそんなに時間も手間も取られることになるのだろう?


家族が家族がという人は、今のような子どもに愛情を注ぐような育て方が、大昔の日本からずっと続いていると思っているかもしれないけど、まあそんなわけはない。なんの本で読んだか、詳しく思い出せないけど、今のような家族のあり方になったのは近代以降(近代っていつなのかよく分かんないけど、まあとにかく最近)だそうだ。それまでは、父親だけではなく母親も家業に付きっきりで、子どもはほったらかし。ある年齢以降になれば完全に労働力。子どもの扱いなんてそんなものだ。長男は家督を継げるけど、次男以降は独力でどうにか生きていくように、なんていうのが普通に成り立っていた時代なんだから、その当時の子どもが今の子育てを受けたらおったまげるでしょう。明治や昭和を舞台にした小説なんかを読んでいても、愛情を掛けて育てる云々というのは、一部の上流階級でしかありえない(お手伝いさんがいるような家)という印象がある。


まあ、どっちがいいかなんていう話をするつもりは別にないんだけど、個人的には、ちょっと気持ち悪いなと思っている。「子どもだから」ということであらゆることが成立してしまう状況に、だ。そうじゃないだろう、と。もちろん、そう思っていない人も現実にはたくさんいるだろう。けど、なんとなく社会の圧力として、そういう印象を抱く。大事にしなくていい、と言いたいのではない。その行為は、本当に、子どもを大事にする行為なのか、ということを問いたいんだと思う、僕は。


そういう意味で、『これはたぶん、俺が生まれたその頃にあった光景だ』という実感は、なんだかいいなと感じた。これを僕がいいなと感じる理由は、たぶん、その光景が、見返りを求めない感覚から生み出されているような感じがするからだ。「子どものため」という理屈の裏に、僕はどうしても、「その人自身のため」という気持ちを感じてしまう。『もっと雑誌に出てくる子たちみたいに髪を染めたり巻いたり、ブランド物に興味を持ったっていいはずなのに』という感覚にも、近いものを感じる。子どもがそうすることで、何か自分にも返ってくるものがある。そういう気持ちが透けて見えるような気がするのだ。


でも、先の『光景』を生み出した『覚えててね』という発言は、それとは真逆の感覚だと感じる。何故なら、それは明らかに、絶対に相手が覚えてないことを前提にした言葉だからだ。そうじゃないかもしれないけど、僕はそう感じたし、きっと『俺』もそう感じたことだろう。そこになんだか、スッと感じるものがあった。


さて、ここまで読んでもらえたら分かると思うけど、この文章は、全然本の感想になってない。内容も書いてないし。でも、最初に書いたみたいに、たぶん内容に触れると、あれこれ書きすぎてしまうような気がして自重した。正直この作品については、まだまだ書きたいことはたくさんある。『人から”何もない”と思われること』の怖さとか、『私はどうしようもなく妹なのだと』という感覚、『そういうものだからやる、というだけ』という言葉の凄さ、『代わり映えのしない日常にドラマを作りたかった』感覚、『そんなことないよ』という言葉を支える背景とその重さを伝える言葉を持たない虚しさ、『はにかむように笑』った少女が涙に溶かしたこと、『サンタクロースみたいなものだと思ったらどうでしょう』と言った男が守ろうとしたもの、『ううん。いて欲しい』と言った少女が見ていた姉の姿、『何でも好きなこと書いてもいいですか』と言った少女の決意、『「タマシイム・マシン」はもう開発されてるんだって思うことにしてるの』という母親の在り方。書きたいことはたくさんある。でもたぶん、僕は書きすぎてしまうから、これぐらいにしておきます。


もう十分、書きすぎてるかもしれませんけどね。


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