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【本】高野秀行「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。


本書は、辺境作家であり、誰もやったことがない・見たことがないことに貪欲に興味を惹かれてしまう高野秀行が、世界の「国家」の中でも、最大級に謎めいている「ソマリランド」を中心に、ソマリ文化の中心まで分け入っていき、その世界の独自性、西洋文化にも太刀打ちできない洗練された政治形態、そこに住む人達の営みなど、様々な真実を描き出していくノンフィクションです。


いやはや、凄かった!高野秀行の作品は、そもそものレベルが高い。基本的に、「未知の世界」「未知の体験」に彩られた高野秀行の冒険は刺激的だし、さらにその中でも、とんでもないことがバンバン起こったりして、小説的な展開の面白さもある。度胸はないくせに闇雲に行き当たりばったりで突入していくから、そういう面白いことにも巡りあうのだろう。


しかし本書は、これまで読んだどの作品をも遥かに凌駕する、とんでもない作品だと思う。


これまで僕が読んで来た高野秀行作品は、「未確認動物を追う!」とか、「ジャングルの奥地を行く!」みたいな、冒険的な感じの作品が多かった。そういう冒険的な作品は、どうしても「人」の存在が薄れがちである(もちろん、高野秀行作品において「人」の存在はまったく薄くはないのだけど、とりあえず本書との比較のためにそう書いておく)。


しかし本書で扱われているのは、「ソマリランド」という国である。そして、国を作り出しているのは、まさに「人」である。そういう意味で本書は、いかに「人」を描くか、という作品でもある。そして、「ソマリランド」や、その周辺のソマリ文化の国々に住む人達は、まあともかく面白いのだ!


本書には、まあ色んな形で色んな人間が出てくるが、それはそれは皆強烈なインパクトを残していく。通りすがりのオッサンでさえ、見知らぬ外国人であるタカノに議論をふっかけてくるような土地柄だ。それに、「国」によってもやはり、人柄はまるで違う。

20年間平和が維持されているソマリランドに住む人達は、乱暴で人のことを考えず自分勝手だが、同じく20年間戦闘ばかりだった南部ソマリアの首都・モガディショに住む人達は、都会的に洗練されている。その辺りのギャップなど、行って体感している高野秀行でないとなかなか掴みきれないだろう。


さて、本書の感想を書くのに、ちょっと困っている。本書で扱われているのは、日本にはほぼ専門家が不在の「ソマリランド」という国である。つまり「ソマリランド」について書こうとしたら、一国のありとあらゆることに触れる必要がある。どんな歴史で成り立っている国なのか、独立の正当性はどこにあるのか、二度の内戦をいかにくぐり抜けてきたのか、産業の基盤は何なのか、どんな価値観に支配されえいるのか…などなど、本書で触れられていることは非常に多い。


さらにそれに加えて、高野秀行が実際に会った人達との面白い触れ合いだとか、本筋からはちょっと外れているようなドタバタなんかも描かれているわけで、とにかく内容的な充実度が凄い。そして、そのイチイチが面白いのだ!


だからこそ、感想を書くのはとても困る。とてもすべてについて触れるわけにはいかない。というわけで僕は、この感想では、「氏族について」と「ソマリランドの民主主義」についてメインで描いていこうと思います。本書に関する多くの部分を切り捨ててごく狭い範囲だけについて触れるので、もしこの感想を読んで「うーん」と思っても、本書は是非読んでみて欲しいのです。面白いところが満載で、僕には紹介しきれないだけなのです!


さてまずは、本書のプロローグに書かれている、「ソマリランド」に足を踏み入れる前に高野秀行が抱いていたイメージをいくつか抜き出してみようと思う。

『ソマリランド共和国。場所は、アフリカ東北部のソマリア共和国内。
ソマリアは報道で知られるように、内戦というより無政府状態が続き、「崩壊国家」という奇妙な名称で呼ばれている。国内は無数の武装勢力に埋め尽くされ、戦国時代の様相を呈しているらしい』

『いったい何時代のどこの星の話かという感じがするが、そんな崩壊国家の一角に、そこだけ十数年も平和を維持してる独立国があるという。

それがソマリランドだ。

国際社会では全く国として認められていない。「単に武装勢力の一部が巨大化して国家のふりをしているだけ」という説もあるらしい。
不思議な国もあるものだ。建前上国家として認められているのに、国内の一部(もしくは大半)がぐちゃぐちゃというなら、イラクやアフガニスタンなど他にもたくさんあるが、その逆というのは聞いたことがない。ただ情報自体が極端に少ないので、全貌はよくわからない』

『無政府状態の中で平和な独立国家を長年保っているだけでも瞠目に値するのに、「独自に内戦を終結後、複数政党制による民主化に移行。普通選挙により大統領選挙を行った民主主義国家である」などと書かれているのだ。
思わず笑ってしまった。アフリカ諸国ではつい最近まで独裁体制のほうが主流であり、民主主義は少数派だった。』

『もう一つ、非現実的に感じたのは、そんな特殊な国があるなら、どうして誰も知らないのだろうと思ったからだ。アフリカの事情にはそれなりに通じていて、辺境愛好家を自称する私ですら名前を聞いたことがなかった。なぜ大々的に報道されないのだろう』

そんな程度の認識を持って高野秀行はソマリランドに入国してみるのだ。そして、そこがあまりにも安全で平和で(ソマリランドには、銃を持っている人間がほとんどいない!)、また話を聞けば聞くほど、西洋文明以上に洗練された民主主義体制を、自らの伝統や生活スタイルに合った形で生み出しているソマリランドに、高野秀行はいたく感動するのである。


さて、では何故そんなことが出来ているのか。その背景を高野秀行は様々に探り出し、色々な要因があることを突き止めていくのだが、ソマリ文化最大の特徴が、「氏族」と呼ばれるものだろう。
「氏族」とは何か。

『(同じ言語と同じ文化を共有する人々を日本語では「民族」と呼ぶが)一方、同じ言語と文化を共有する民族の中に、さらに明覚なグループが存在することがある。文化人類学ではclan(氏族)と呼ばれ、「同じ祖先を共有する(あるいはそのように信じている)血縁集団」などと定義されている』

『だが、日本のメディアやジャーナリストはいまだにtribeの訳語である「部族」なる語を使いつづけ、民族と氏族の両方にあててしまう。そこに誤解や混乱が起きる。』

『もっとわかりやすく言えば、氏族は日本の源氏や平氏、あるいは北条氏や武田氏、徳川氏みたいなものである。武田氏と上杉氏の戦いを「部族抗争」とか「民族紛争」と呼ぶ人はいないだろう。それと同じくらい「部族~」という表現はソマリにふさわしくない』

そしてこの「氏族」というのが、ソマリ文化においては決定的な要素なのである。あらゆることが、この「氏族」という側面から説明される。何故内戦を停止出来たのか、何故特殊な民主主義形態を維持出来ているのか、何故海賊行為が止まらないのか(これは、隣国「プントランド」の話)。あらゆる「何故?」が、この「氏族」を理解することで見えてくるのだ。


しかしこの「氏族」というのは、外国人には見えにくい。何故か。そこには明覚な理由がある。それは、


「ソマリのジャーナリズムには、原則として氏族名は明らかにしないという暗黙の了解がある」


からである。


ソマリには、CNNなどの外国人ジャーナリズムが常駐できない。ソマリランドであれば可能だが、平和なソマリランドにはニュースバリューはない。海賊問題のあるプントランドや、あるいは永遠に紛争が解決しない南部ソマリアなどは、逆に危険すぎて外国人は近づけない。

だから、現地ジャーナリズムに報道を頼るしかないのだが、しかし彼らは原則氏族名を伏せる。氏族名を伏せても、ソマリ人には住んでいる地域などからそれが大体伝わる。だから、その背景も見えてくる。しかし外国人には、氏族名がわからないし、分かったところでソマリにおける氏族の重要性を理解していないから、ニュースの背景がわからない。


だからこそ、「ソマリアは謎めいた国だ」と国際社会から判断されてしまう。


高野秀行の凄いのは、この複雑怪奇な「氏族」という仕組みを、ソマリ人と嫌というほど話すことで、ソマリ人と議論出来るほどに理解しているという点だ。これは、日本人のみならず、世界中探しても、ソマリ人以外でこれほど氏族について理解している人はいないのではないかと思う。


本書を書く上で、高野秀行は非常に悩む。それは、自分が理解している氏族の話を、分かりやすく伝えることが困難だ、ということだ。ここでは説明しないけど(っていうか、僕自身が全然理解できていないだけなんだけど)、ホントにこの「氏族」の話は複雑怪奇で、高野秀行はよくこんなものを理解したなと本当に感心する。

この「氏族」への理解が、ソマリ文化の理解の最初の入り口であり、さらにそれが最大の難関であると言っていいかもしれない。強烈な好奇心が、それを成し遂げるのだろう。凄いよ、高野秀行。


悩んだ高野秀行は、ソマリの「氏族」に、日本の武将の名前をつけるという苦肉の策を選択する。だから本書には、「アイディード義経」とか「ハバル・アワル伊達氏」とか「エガル政宗」などという奇っ怪な名前がバンバン出てくる。そもそも、日本史の理解も覚束ない僕には、高野秀行のこの奇策もあまり意味をなさないのだけど(笑)、日本史をちゃんと理解している人には、きっと伝わりやすくなっているのだろうと思う。僕も、「氏族」についてはよくわからなかったから、歴史の話は割と飛ばしつつ読んじゃったんだけど、でも飛ばし飛ばしでも、ソマリの歴史はなかなか面白いなと思いました。


さて、ここで触れるつもりのもう一つの話は「ソマリランドの民主主義」についてです。


これがなかなか凄い。


本書の帯には、「西欧民主主義、敗れたり!!」というコピーが書かれている。なるほど、確かにそう言いたくなるほど、ソマリランドの政治形態は洗練されているかもしれないと、政治に関してなーんにも知らない僕は感じました。


ソマリランドの凄さは、まず自力で内戦を集結させたことだ。

『ちなみにこの間、国連はほとんど何もしていない。UNDPが武装解除において多少アドバイスをしたくらいだ。国連はソマリランドの分離独立を認めようとせず、ソマリア和平交渉のテーブルにつくよう説得しただけだった。
ソマリランドは国際社会の協力はほぼ零で独自の内戦集結と和平を実現した。まさに奇跡である。ノーベル平和賞ものだ』

そこから民主化の道を歩み始めたソマリランドだったが、実は高野秀行が初めてソマリランドを訪れた時、ソマリランドは深刻な国家分裂の危機に瀕していたという。政権与党が、選挙を先延ばしにしており、「何が置きてもおかしくない」という状況だったようだ。しかしソマリランドは、そこを乗り越える。

『そのときには「昔ソマリランドという幻の国があった」という書き出しで本を書くしかないと思っていたくらいである。
ところが、ソマリランドはまた奇跡を起こした。普通にはありえない第三の道をとったのだ。
選挙を実施し、野党が勝利。そして与党がそれを受け容れた。民主的な政権交代が実現したのだ。
全く驚いた。私が調べたところでは、アフリカ大陸で、民主的な手続きを経て、政権交代が起きた例は7~8件しかない。アフリカには現在50くらいの国があり、平均してざっと50年くらいの歴史を持っている。その中でたった7~8例だ。
言うまでもなく、今回の選挙でも、国連は関与していない。ソマリランドが独自にやっているのである。ただオブザーバーとして参加した国際NGOがあり、「おおむね公平な選挙だった」と証言している。これを「奇跡」と呼ばずに何と予防。二度目のノーベル平和賞を受賞してもいいくらいだと思うが、またしても国際社会はこのラピュタの奇跡に気づくこともなかった』

凄いな、ソマリランド。


ソマリランドの民主主義は、「下からの民主主義」だという。

『もう一つ、痛切に感じるのは、国連や欧米がソマリアに強制するのが「上からの民主主義」であることだ。(中略)
ソマリの民主主義はちがう。「下からの民主主義」なのだ。それは国家とは無関係に機能する。定住民の感覚え言えば、まず村と村、次に町と町、それから県と県…というふうに規模の小さいグループから大きいグループという順番で、和平と協力関係が構築され、それぞれの権利が確保され、最後に「国」が現れる。いや、本来は国もないのだが、現代社会でそれは無理だということで、ソマリランド人はハイブリッド国家を作っただけである。ある意味では、ソマリの伝統社会は国家を超えたグローバリズムによく適している』

本書のP463以降で、ソマリランドの政党政治について詳しく書かれているのだけど、政治に詳しくない僕でも、リンプルで分かりやすくて機能的な仕組みだと感じた。というか、日本の政治がよくわからないのだろうと思う。高野秀行も、『制度的にはソマリランドの政治体制は日本よりはるかに洗練され、現実的である』と書いている。


では、どうしてそれほどまでに高度な民主主義が、ソマリランドで実現したのか。もちろんその背景には、先ほど書いた「氏族」という、外国人にはなかなか理解し難い仕組みも存在する。しかしそれだけではない。

『「ソマリランド人がこれまで何が起きても最終的には我慢して平和を守ってきたのは、結局は国際社会に認められたいからじゃないですか?」
アブドゥラヒ先生は数秒考えてから、「そうだ」とゆっくり、深くうなづいた。
やっぱりそうか。』

『ソマリランドもそうで、とにかく独立を認めてもらいたいという一心で、危機を乗り越えてきた。もし早々と独立が認められたら、ここまで進化していたかどうか疑問だ』

そういう実感を抱いた高野秀行は、最後にこんな風に訴えかける。

『そして、ディアスポラとして、一つぜひ提言したいことがある。
ソマリランドを認めてほしい。独立国家として認めるのが難しければ、「安全な場所」として認めてほしい。実際、ソマリランドの安全度は、国土の一部でテロや戦闘が日々続き、毎年死者が数百あるいは数千人以上も出ていると推定されるタイやミャンマーよりはずっと高い。
ソマリランドが安全だとわかれば、技術や資金の援助が来るし、投資やビジネス、資源開発なども始まる。国連や他の援助機関のスタッフが滞在しても安全でカネもかからない。なにしろソマリランドは旧ソマリア圏においてトラブルが産業として成り立っていない珍しい地域なのだ』

さて、そんなわけで僕の感想はこんな感じで終わりにするんだけど、本当に面白い話は山ほどある。今ソマリアは「経済学の実験室」と呼ばれていて、不可解な幻想が次々起こるとか(P232)、高野秀行が海賊を雇うがどうしようか悩む場面とか(P292)、南部ソマリアの首都・モガディショはそれまでずっと戦闘地域で外国人が入るのは恐ろしく危険だったが、高野秀行がモガディショ入りする5日前に何故か敵が撤退したとか(P324)、モガディショのテレビ局の局長のハムディの凄さとか(P336)、他にも色んな話があるんだけど、もうとにかく凄すぎるのである。だから、読まない手はない。

恐らく本書は、「現時点で、世界で最もソマリアについて詳しく書かれた本」だろう。そんな本が、日本語で読めるという奇跡を、皆さん味わおうではありませんか。是非読んでみて下さい。


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