【乃木坂46】ゼロの人・井上小百合

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<索引>【乃木坂46】
https://note.com/bunko_x/n/n63472c4adb09

【私には歌やダンスやお芝居の才能はない。びっくりするくらい、何もない。だからこそ、小さな努力の積み重ねだけでどこまで行けるかを考えてきた6年間でした。もし私と同じような境遇の人がいたら、「何も持っていない人間でも、頑張ればここまで来れる!」というのを伝えたいです】「ENTAME 2018年3月号」

井上小百合を面白いかもと思い始めたのは、やはり、彼女の転機ともなった『乃木坂工事中』(テレビ東京)の企画からだ。この話は後でするつもりだが、それまで確かに、井上小百合というアイドルに特に意識が向くことはなかったと思う。僕自身が、握手会にもライブにも行かないので、乃木坂46に触れるのがテレビかインタビューしかない、というのも大きいだろう。

【―昔からバラエティは苦手意識があったそうですね
もともとこの世界に入ったのは、お芝居がやりたかったからなんです。でもアイドルの仕事はお芝居だけじゃないし、「私、どうしたらいいんだろう?」って思っていました。それこそ昔は「セリフだけを喋って生きていきたい」と思っていましたから(笑)。面白いことも言えないからバラエティは特に苦手で、番組には出ているけどみんなの話を聞いてウンウンうなずくだけの回が何週も続くというようなこともありました。自分が出せるようになったのは本当に最近なんですよ。こんな私を受け入れてくれる人がたくさんいて、私も「ありのままでいいんだ」と思えるようになってきて。だから、もしバラエティで目立っていると思っていただけてるとしたら、それは周りのみんなのおかげです】「ENTAME 2018年3月号」

デビュー当時こそ選抜常連だったが、アンダーの時期もあった彼女は、インタビューで取り上げられる機会がそうあったわけでもないだろうし(特に、僕が乃木坂46に興味を持ち始めた頃は、彼女はアンダー中心だったと思う)、またバラエティ番組に苦手意識を感じていて、ほとんど発言出来なかったとすれば、そもそも僕の視界に入らなかっただけ、とも言える。とはいえ、突出した何かがあれば、どこかしらで目立つ機会はあっただろうから、そういう意味で「才能がない」という彼女の自覚は、大げさではないのかもしれない。

【―以前、井上さんから「私は才能がないから、その分努力をしないといけない」という言葉を聞いたことがあります。もしかしたらその努力が徐々に結実しているのかなと。
そう言っていただけるのはありがたいです。それは私がずっと思っていることで、才能がないからこそ私にはできることがたくさんあると思っているんですよ】「ENTAME 2018年3月号」

この、「才能がない(という自覚を持っている)」というのが、「ゼロの人」という一つ目の意味だ。元々ゼロだった自分に、少しずつ努力によって様々なものを積み重ねていった。今では、舞台を見る機会がない僕でも、「井上小百合と言えば舞台」というイメージを持っているし、演じる人としての評価が定着しているということなのだと思う。それを、才能がないから努力するしかなかった、と言い切るところに、井上小百合というアイドルの強さがあると思う。

もう一つの意味は、「誰かのための人」というものだ。それは、こんな発言を知って抱いたイメージだ。

【自分からメンバーがいなくなったら、あとは何が残るんだろう?って思うくらいですから】「BUBKA 2017年10月号」

【井上 みんな本当に宝物すぎて、最近は家に帰ってないんですよ(笑)
若月 ずっとメンバーの家にね(笑)。
井上 ひとりでいるのが嫌で、転々としてるんです(笑)】「BUBKA 2017年10月号」

元々は【「別に友達なんかいらない」と思ってた】「BUBKA 2017年10月号」のだが、アイドルとして活動していく中で、乃木坂46のメンバーという存在が、自分の中で非常に大きなものになっていったのだという。今では、彼女の発言を踏まえれば、

「井上小百合」-「乃木坂46のメンバー」=0

ということなのだろうし、自分を「誰かのため」に存在するものとして捉える方が今の自分に合っているということだ。

そう思えるようになったきっかけがあるという。

【私がいない間、誰がセンターになるんだろうって思ってたんですけど…誰もセンターに入らなかったんです。真ん中がぽつんと空いていて。もう泣きそうになりましたよ(笑)。「代わりに誰が入るか?」って話にもなったらしいんです。でも、「あそこは小百合の場所だから」って。…乃木坂はみんなすごいんです。私の代わりなんて、たくさんいるんです。でも、「小百合の代わりはいないんだよ」っていうのを、みんなで見せてくれて。そこで覚悟が決まりました。自分のために頑張るんじゃなくて、メンバーのため、グループのために頑張る。すべての思いを背負って、私はここに立たなきゃいけないんだって】「乃木坂46物語」

【選抜の常連の頃は、自分のことしか考えてなかった】「アイドルspecial2016」らしいが、アイドルとして活動することが彼女を変えた。後で触れるが、彼女はアイドルになりたかったわけではないようだ。しかし、アイドルとして活動していることは、彼女にとってプラスだったと言えるだろう。「友達も要らないと思っていた」「自分のことしか考えていなかった」というのは、別に直さなければならない要素ではないが、その点が改善されることで可能性は広がる。普通に生活している中で、ここまでの転換をもたらすものというのはなかなかないから、そういう意味で、アイドルになったことは、結果的に彼女にとってとても良いことだったと言えるだろう。

しかし、最初は相当辛かったようだ。そこには、彼女の外見からは想像もつかないようなこんな感覚がある。

【いや~。かわいいことをやってる自分を客観視すると気持ち悪くなってしまうんですよ。「こいつ、やってるよ」って】「EX大衆2017年8月号」

井上小百合が「かわいいが苦手」と告白した『乃木坂工事中』の企画は大いに話題となった。「5年目に向けて今だからこそ ミンナに伝えたい授業」という企画で、デビューから4年経った今だからこそ言える話として、メンバーそれぞれが実体験を踏まえながら様々な話をした。その中で井上小百合は、「”女の子女の子”しているものが苦手」と告白して、メンバーを驚愕させたことがあった。肌の露出も嫌、番組で見せた私服(可愛いワンピース)は一度着たことがあるだけ、アイドル顔じゃなくてもっと凛々しい顔に生まれたかった、女らしいラインをなくしたくて身体を鍛えているなど、それまでの「さゆにゃん像」を覆す告白をして、驚かせた。

【―あの放送で楽になりました?
めっちゃ楽になりました。それまで握手会には“僕の考えるアイドル”を徹底してくれる「さゆにゃん像」を抱いてくる方が結構いて。「変なことだっていっぱいしたい」という願望があったけど、「自分をさらけ出したらファンの方に受け入れてもらえないんじゃないか」とか「理想を抱いてる人を傷つけちゃいけない」と思ったんです。でも、『乃木中』の企画で自分らしく行動できるようになったし、ファンの方も「もっと素を見せてほしい」と言ってくれるようになって】「EX大衆2017年5月号」

僕が井上小百合にちょっと興味を持ち始めたのも、この放送からだ。それから彼女は、バラエティ番組でも面白い発言をするようになっていった。

【―最近の『乃木坂工事中』だと、「本当にATMと結婚したい」というパワーワードも印象的でした
その言葉だけ聞くとヤバい人ですよね、私(笑)。それについて補足すると、私は“自分の財産”が好きなんですよ。お金が貯まるということは、自分がそれだけ頑張ったことの証明だと思うので】「ENTAME 2018年3月号」

こういう発言から、井上小百合の内側に興味が持てるようになった。「さゆにゃん像」を捨てたことで、元々憧れだったわけではない「アイドル」という枠組みを超えられるようになり、その分、彼女は自由になったように思う。アイドルらしくいる必要がない、という、ある種の開き直りが、彼女をどんどんと面白くしていっている。

ちなみに、お金に関して、前述の引用だけだと誤解されそうなので、他の引用もしておこう。

【私は逆で「何こいつがブランド品持ってんだよ」っていう罪悪感みたいなものに、どんどん押しつぶされていってしまって…。だからそういうことにお金を使いたくないです。とにかくお金の使い道をいつも考えていて、募金したりとか他者にお金を使う事で自分も満たされるタイプなんです…この考えって歪んでないですか?】「BUBUKA 2018年1月号」

【それに、誰かのための出費って、また自分に還ってくる気がするんです。逆に、自分だけ贅沢をしても、それは本当の幸せなのかなって考えちゃう。私はみんなが本当に好きだからずっと一緒にいたいし、みんな幸せになれる方法はないかなってすごく考えるんです】「ENTAME 2018年3月号」

「自分の見られ方」と「誰かのために何かしたいという気持ち」がうまく混じり合って、最終的に「ATMと結婚したい」というパワーワードになったようだ。お金だけではなく、彼女はボランティアもしているようだが、

【ただ、(ボランティアをすることに)申し訳ないなって気持ちもあるんです。自分は偽善者なのかなって思ったり…自分がやりたいからボランティアに行っているんですけど、そう思うのも私の性格が歪んでるからなのかなって…。】「BUBUKA 2018年1月号」

とも感じているようで、「自分の見られ方」に対する“過剰”とも思えてしまう反応を見せる。それは恐らく、これまでずっと、「外見」と「中身」のギャップを自分自身が感じてきたことによるものだろう。外からの見られ方だけでは、自分の中身がちゃんと伝わらない、という経験をずっとしてきたからこそ、常にそういう不安を抱えてしまうのだろうと思う。

きっとそういうことが関係しているのだろう。彼女は、「他人と生活するのが無理」らしい。

【―他人と生活するのが無理なんですかね?
ですね。実家の部屋の内側に南京錠つけてましたから。ドリルでドドドドッ!って取りつけて。】「BUBKA 2018年5月号」

あれ?メンバーの家を転々としているんじゃなかったっけ?と思うのだが、そういう意味ではないらしい。

【―それに自分の子どもが欲しいとか思わないんですか?
責任が重すぎる…。私は命を育てられるような人間ではないので。
―そんなことないと思いますよ!(笑)
それに誰かのためだけに生きていくって、その人に嫌われた時の自分が怖すぎて…。みんなのために生きていくんだったらできると思うんですよ。シェアハウスとかだったら楽しめるかも(笑)】「BUBUKA 2018年1月号」

「誰かのため」を常に意識している井上小百合だが、「誰かのためだけ」というのは無理らしい。母親でさえ、長い間一緒にはいられないらしいので、なかなか重症と言えるだろう。彼女のこういう側面が表に出るようになって、僕は、井上小百合って面白いじゃん、と思えるようになった。

【それに、私は女優になりたいから芝居をしているわけではないし、芝居が好きだからただ芝居をしているだけなので、女優と名乗るのも違うかなと思っていて。だから、芝居を嫌いになったらすぐやめてしまうかもしれません(笑)。女優になりたいとも思ってないし、目標とかもないし。ただ、『この人、すごいな』と思ってもらえたら最高だなって】「別冊カドカワ Direct 13」

アイドルとして存在しようとしていない井上小百合だが、しかし、女優として存在しようとしているわけでもないという。それは、「見られ方」に過剰に反応してしまう彼女の防御反応とも言えるのかもしれないが、「芝居が好きだからただ芝居をしている」というシンプルな軸を持つことが出来ていることが強みだと言えるだろう。「こうでなければならない」という鎧を脱ぎ捨てた彼女が、「何者かである必要はない」と考え、「何者にもなれる」芝居という世界の中で生きることが、「アイドル・井上小百合」の魅力になっていく。そういう良い循環の中に今はいられているのではないかと思う。

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