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【本】NHK_PR1号「中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。
本書は、ツイッターにおいて絶大なる人気とフォロワー数を誇るNHK広報のアカウント(@NHK_PR)の中の人(中の人はいないんですけど)が、NHK広報のアカウントを作ろうと思ったきっかけから、その後何をどう考えツイッターをやり続けてきたのかということが書かれた作品です。本書のあとがきには、こんな風に書かれています。

『この本は、これまでのツイートを振り返りながら、私がその時々で何を思い、どんなツイートをしてきたのかを、一方的に美化された私の記憶をたよりにまとめてみたものです』

こういう、わざと抜いているスタンスがいいですよね。おなじくあとがきにはこんな文章もあります。

『そういう意味でいえば実際にあったことを基にしたフィクションに近いかもしれません』

まあそんなわけで、どこまでホントのことなのやらわからない話ではありますけど、この作品はメチャクチャ面白かったです。


まず冒頭のエピソードが最高です。NHK広報のアカンとを運用し始めて1年。どんな風にしていったらいいのかいつも悩んでいるNHK_PRさんは、ある日、「ソーシャルメディアで楽しくコミュニケーションして、お客さんを満足させるマル秘テクニック」的な講習会に言ってみるんですけど、そこでなんと…!というような話です。まずこの掴みが最高だなと思いました。
NHK_PRさんがNHK広報のアカウントを作った時の話にまずはびっくりしました。


なんと、「ようし、やっちゃえ!」というノリで作ったらしいんです。つまり、NHKの許可を取らないまま、勝手に非公認的にスタートさせちゃったみたいなんです。


読んでいると分かるんですけど、このNHK_PR1号さんは、しなやかな豪胆さを持った、すごく柔軟な人なんだなという感じがします。『ギリギリのライン』みたいなものがあらゆる場面で存在するとして、NHK_PR1号さんは常に、その『ギリギリのライン』を、あまり気負わず(あるいは、気負っているように見せずに)飛び越えることが出来る。でも、決して飛び越し過ぎない。『後退』を『敗北』と捉えず、下がるべき時はどんどん下がれる。


僕は、こんな本を読んでいながら、実はNHK_PRさんをフォローしてないので、普段のツイートは全然見てないんですけど、でも本書を読むと、そういうNHK_PR1号さんの、最終的に『ユルさ』と呼ばれる部分に行き着く感じの印象を凄く受けます。


そうやって、とりあえずやっちゃえ!と言ってあっさりアカウントを取ってみたNHK_PR1号さんは、どんな風にこのアカウントを運営していくか考えます。
NHK_PR1号さんは、宣伝と広報の違いをこんな風に書いています。

『宣伝がみんなに知ってもらう、使ってもらう、買ってもらう仕事だとすれば、広報はみんなの中にある、「あの会社ってこうだよね」といったイメージを創るのが仕事です』

『自分たちの言いたいことを言うのが宣伝。みんなにどう思ってもらうのかが広報』

NHK_PR1号さんはとにかく、自分のアカウントで『宣伝』はやりたくない、と思っていました。それは、広報がやるべき仕事ではない、と。じゃあ、広報として自分は何が出来るのか。
NHK_PR1号さんのスタート地点は、『実態のない「企業そのもの」に人格を感じさせてみたい』というものでした。

NHK_PR1号さんがツイッターを始めた頃は、『企業アカウントは、担当者の顔が見えるようにした方が成功すると言われ始めて』いたそうです。つまり、そのアカウントの背後に『中の人』を感じさせる、そのアカウントを運用している人間その姿を透けて見せる。そういうやり方がいいのではないか、と言われていたそうです。


でも、NHK_PR1号さんのスタンスはそれとは違いました。NHK_PR1号さんは、自分自身の人格ではなく、『NHKという組織』そのものに対して人格を感じてもらえるような、そんなやり方を当初から目指していたのでした。
そのスタンスを現実のアカウントの運用に落としこむために、NHK_PR1号さんは試行錯誤を続けます。


と言っても、NHK_PR1号さんはもちろんツイッター専従なわけじゃない。業務の合間にパソコンで時々ツイートするだけ。驚いたのは、今はどうか知らないけど、NHK_PRのアカウントを始めた当初は、NHK_PR1号さんの携帯はメールも出来ないようなシロモノだったそうです。必然、会社のパソコンからやるしかない。しかもNHK_PR1号さん、僕が親近感を抱くほどパソコン系の知識が皆無。アイコンの画像も自分では用意出来ないし、ツイッターに詳しいからという理由で広告代理店の会議に呼ばれた時も、自分のそういう方面への知識のなさにオタオタしてたりしました。なんとなく企業のツイッター担当者って、IT系に強そうなイメージなんだけど、全然そんなことないみたいで面白いです。


NHK_PR1号さんは、どんなキャラクターにしたらいいのか、どんなツイートをしたらいいのか、リプライやRTのガイドラインをどうするか、というような割と問題がはっきりとしたものから、そもそも何をどう捉えたらいいのか分からない、問題なのかどうかもよくわからないようなモヤモヤしたものもあるんだけど、NHK_PR1号さんはとにかく自分の頭で考え、さらに実践での失敗(というべきかどうか)から多くを学び、自分なりのスタイルを築いていくことになります。

さっきちょっと書いたけど、広告代理店の人との会議の場で、広告代理店の人のツイッター観とNHK_PR1号さんのツイッター観がまったく違うことが面白い。あまり書き過ぎないように一つだけ。NHK_PR1号さんは広告代理店の人に、『NHKは放送局ですから、情報発信は難しいことではないんです。ですから、NHK_PRは情報の発信というより、むしろ情報を受信するためのツールだと考えているんです』と主張します。


この辺りの感覚は凄いなと思います。ツイッターをやっている人は誰もが感覚的に、「よく喋る人・フォロワーが多い人=情報発信している人」、「あまり喋らない人・フォロワーがそこまで多くない人=情報を受信している人」というような印象を持っているような気がします。でもNHK_PR1号さんは、フォロワー数も多く、フォローしてないからちゃんとは知らないけど、ツイート数もそれなりにあるはずなのに、NHK_PR1号さんの感覚では、受信しているというスタンスなんですね。

こういう感覚は随所にあって、NHK_PR1号さんは、必死で自分の頭で考えながら、同時にチャレンジャーな実践をどんどん積み重ねていくことで、感覚的に(恐らく自分の中で言語化したのは、誰かに説明しなくてはいけなかったり、こうやって本を書いたりする時で、それまではずっと、言語化出来ないけど感覚的にはこういうことなんだよと捉えていただけだろうなと思う)ツイッターというものの本質的な部分に深く斬り込んでいったんだろうなという感じがします。多くの人が捉えているのとは違った形でツイッターというものを見ているし、使っているのだろうなという感じがします。その辺りの一つ一つの感覚が、言語化したことはないけど僕自身の頭にあったものもあれば、なるほどそんなことは考えたこともなかったというようなものまで様々で、凄く新鮮です。


あまり内容について書き過ぎないように注意しているつもりなんで、NHK_PR1号さんのこれまでの軌跡をあまりわーわー書かないように抑えているんだけど、これだけは触れないわけにはいかないという話があります。それが、震災の話です。


僕は、未だにNHK_PRをフォローしてませんが、NHK_PRが凄いなと初めて思ったのは、たぶんこの震災の時です。


いや、ホント、割と泣きそうになりましたよ、あの時。


本書にも書かれていますけど、どこかの中学生がNHKのニュースをYoutubeに流しているという情報を目にしたNHK_PR1号さんは、独断でそれに許可を与えるようなツイートします。実際に僕はそのツイートを(というか、その後のツイートを、か)見た記憶があって、「そんな許可出して大丈夫なのか?」という突っ込みに対して、「辞表を胸に忍ばせています」みたいな感じのツイートをしてたような気がします。凄いなと思いました。あの時は本当に、これは凄いなと思いました。


その後も、まだ震災の余波がまるで収まっていない頃に、「ユルいツイートを再開します」という宣言をして物議を醸し出しました。これについては、様々な意見があることでしょう。被災地の方でも、様々に意見が割れる話だろうなと思います。でも僕は、その当時も、こんな決断が出来る人って凄いなと思ったし、本書を読んで、もちろん当然そうだとは思っていたけど、物凄い批判も飛んでくる中で、辛い思いをしながらユルいツイートをしていたという話を読んで、より凄いなと思いました。


本書には書かれていませんが、確かNHK_PR1号さんが阪神大震災の被災者である、というようなやり取りがあった、というようなまとめも読んだことがあって、その時の経験も含めて、非難轟々の中ユルいツイートをするという辛い決断をすることが出来たんだろうなという感じがします。
こんな文章を引用しておきましょう。

『何かが起きたときにすぐに行動すること、早くなんとかして欲しいと拳を振り上げ大声を上げることは、とても大事なことです。けれどもそれは30年間も続けられることではありません。ただのブームは必ず去ります。ブームになってはいけないのです。
「だからこそローギアで、遠い遠い道のりをゆっくりと進んでいく覚悟が必要なんだ」私はそう確信していました。「そうしなきゃ、支援する人が疲れきった時点で、ぜんぶ終わってしまう」』

最後に、ツイッターに限らず、あらゆる場面でそう言えるよなぁ、という一文があったんで、それを引用して終わろうと思います。

『本当のことを誰も知らないまま話が広がっていくことの恐ろしさ、そして、誰もが本当のことを知らないまま、ものごとについて語ってしまえることの恐ろしさを、私は自分自身で経験していました。私たちはいつも自分で考えているつもりでいるけれど、実は誰かが考えたことや何かで見たことをそのまま受け入れてしまっているだけなのかもしれない…』

本当にNHK_PR1号さんは、ツイッターの運営を通じて色んなことを考えています。


本書を、「よっしゃー、俺もこれを読んでツイッターのフォロワー数倍増だぜ!」みたいな感じで読んでも無意味でしょう。本書は、そんなテクニック的なことが書かれているわけではありません。もしNHK_PR1号さんがやっていることを『テクニック』と呼ぶのであれば、その『テクニック』は非常に単純です。でも、誰でも出来るわけではありません。結局、どんな媒体が出てこようと、どんなツールを使うことになろうと、変わりはないんだな、と感じました。結局、『人に対する興味』の強い人間には、何でも出来るんだろうなぁ(自分があまり『人に対する興味』がないからこその僻みです 笑)。ツイッターを使っていない人でも、コミュニケーションの基本として学べることは多いのではないかと思います。是非読んでみてください。


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