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【本】伊達雅彦「傷だらけの店長」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。


本書は、実在の元書店店長が、「伊達雅彦」というペンネームで業界紙に連載していた文章を一冊にまとめたものです。


内容は、書店の店長として働く中で経験したこと、感じたことなどを赤裸々に綴っている、エッセイのような感じの体裁です。


「伊達雅彦」は、とある小規模な書店の店長だ。アルバイトでその店で働き始めた。本が好きすぎたからだ。父親に勘当されながらも、そのままアルバイトから社員となり、いくつかの支店を回った。そしてやがて、彼がアルバイトとして働き始めた、そもそもの原点となる店舗の店長となった。


悪戦苦闘の連続だった。


言うことを聞かないで勝手をする古参アルバイトスタッフ。一向に減らない万引き犯。減らされ続ける人件費と、それに反比例するように増える残業・休日出勤。競合店の出店。やってもやっても終わらない業務。


しかし何よりも彼は、『書店』の姿が変わっていってしまうことを憂えていた。


効率重視、ランキング重視、そういうデータばかりに頼った品ぞろえの書店ばかりになってしまっている。そうせざるを得ない事情は理解できる。どこも業績が悪化して、書店の意義だとかそんなことに構っていられる余裕なんかないのだ。売れるものはなんでも売るしかないし、自分の主義を曲げて売り場を作らなくてはならないことがとても多い。


しかし彼は、そんな現状を嘆く。どうにかならないのか。どうしてこうなってしまったのか。俺が作りたい売り場は、本当にこんなものなのか?
彼は、一人の書店人として、真摯に『本』と向き合い、可能な限り限界まで努力をした。その奮闘の記録です。


なんというか、どんな風に何を感じたらいいか、とても難しい作品だなと感じました。僕自身も、「伊達雅彦」とはまったく立場も経験も何もかも違うとはいえ、一応書店員であるので、色々考えさせられました。


その色々考えさせられたことを、なかなかここにスパっと書くわけにはいかないんだろうなぁ、という感じがします。そんな感じになったのは、以前、石橋毅史「「本屋」は死なない」を読んだ時にも思った。「「本屋」は死なない」を読んだ時は、感想は書いたけどブログには上げない、というやり方をした。今回は、モヤモヤとしたまま、自分が感じたことをズバッと書くわけにはいかないと思いつつ、書けそうなことだけダラダラ書いてみようかなと思っています。


まず本書を読んで、一番強く感じたことは、

『なんだか申し訳ない』

という感じでした。誰に対して申し訳ないと思っているのか、そういうことははっきりとはよくわからないんだけど、でもとても申し訳ない気分になりました。


僕は今、書店員という仕事を楽しんでやっています。


これは、「伊達雅彦」との立場や書店の違いが非常に大きいでしょう。僕は店長でも社員でもないただのバイトだし、書店の在り方としても、基本的に放任主義というか、ただ放ったらかしにされているだけなんで、やりたいようになんでも出来る。他にも、たぶん僕自身はある意味でかなり恵まれている環境にいるのだろうなという感じがするんで、かなり状況は違う。


同じ書店員でも、ここまで違うのか、という感じがした。


僕が普段から関わることがある方にも、書店の店長職の人はいる。様々な規模の様々なタイプの書店の店長だ。そういう人達が、どんな風に何をしているのか、僕はよく知らないままでいた。本書とまったく同じということはないだろうけど、同じようなことをやっているのだろうなと思うと、やっぱり店長って凄いなと思う。ウチの店の店長にはまったくそんなこと思わないけど。


世の中には様々な仕事があって、その中には待遇の悪いものも様々あるだろう。書店員は、『本が好き』というベースを持って目の前の仕事に向かうことが出来るから、他の大変な仕事と比べたらマシだったりするのかもしれないなんていう風に思わなくもない。


でも、それでも、僕は本書を読んで、こんなに報われない仕事があろうか?と思ってしまった。


「伊達雅彦」は、本書のあちこちに書かれている断片的な情報を組み合わせると、どうも業界内ではかなり評判の高い、恐らくある程度有名な書店員なのだろうと思う(たぶんだけど)。業界内では、その知識や経験や手腕が評価された、評判の高い人物なのだろうと思う。


しかし、そんな彼が、限界の限界まで仕事をやって、しかしそれで報われることがない。


それは、給料が低いとか、連休が取れないとか、そういうことを言いたいんじゃない。もちろん、そういう部分でも「伊達雅彦」は消耗して行くのだけど、でもそこはあくまでもメインじゃない。


彼の報われなさは、外側の何かと比較して立ち現れるものではなくて、彼自身の内部にあるものが徐々に萎んでいってしまう、その報われなさである。

「伊達雅彦」は、もうずっと若い頃から、理想を持って仕事を続けてきた。その理想は、若さ故の猛進だった部分もあって、年を取った「伊達雅彦」は、それがいかに現実的でないか実感することになるのだけど、しかしその理想のすべてが消えたわけではない。彼の中には、『あるべき書店』として譲りたくない部分があり、どうにかそれを失わずに仕事が出来るように彼は奮闘する。


しかし、その奮闘は、虚しい。彼の必死の奮闘は、結局はあまり実を結ぶことはなく終わってしまう。


本書の中で、実に印象的だった文章がある。

『売りたいとも思わないものを買いたいと思ってもいない人に売らなければやっていけない、会社や書店のあり方こそ「ヤバイ」と思う私は、きっと考えが甘いのだろう。』

これは、なんというか、凄く分かる。僕の中にも、常にある違和感ではある。


僕も、今よりもっと昔、まだまだ何も知らない頃は、理想論を振りかざしていられた。「あるべき書店」について、自分の考えを、臆することなく主張できたと思う。でも今は、色んな人に会い、話を聞き、様々な価値観を知る中で、そうできなくなってしまった自分に気づいてもいる。


それでも、ちょっとぐらいは、自分の中で曲げたくないものがあったりする。でもそれは、冷静に考えると、「甘い」んだろうなぁ、とも思っている。最近、自分がブレてるなぁと思うことが多い。昔、絶対に正しいと感じていたことを、本当に正しいんだろうか?と信じきれなくなってきている自分がいる。「「本屋」は死なない」の感想を書いた頃の自分とはまた大きく違っているはずだ。今は、なんか、色んなことがよくわからない。

一つ僕が書いておきたいことは、本書で描かれる物語は、あくまでも様々あるに違いない切り口の一つにすぎない、ということだ。


本書で描かれてる書店は、全国に1万5千店舗以上もある書店の、たったの一例だ。


その一例の物語だけで、書店のすべてを分かった気になってはいけない。


あくまでも本書は、「伊達雅彦」の主観に基づいた描写なのであって、たとえ「伊達雅彦」と同じ店にいたとしても、誰が見るかによってまた見え方は変わってくるのだろう。


ここで描かれる書店は、どの程度の改変(要は、店名を悟られないようにする改変)があるのかよく分からないけど、実際に日本のどこかに存在した書店での物語である。でも、ここで描かれているのは、何かを代表するような一例ではないと思うし、多くを内包するような一例でもないはずだ。


実際に存在した書店の話なんだけど、だからと言ってそれは、真実そのものというわけではない。なんとなくそんなことを書いておきたくなった。
ウチの店は違うと言いたいわけでも、ここで描かれていることが特殊だと言いたいわけでもない。


ただ、書店という場のすべてを、本書で提示される方向だけからしか見なくなる、というのは、ちょっと悲しいかもしれないな、と思いました。


僕自身とは大きく境遇の違う方の奮闘記を読んで、何を感じたらいいのか難しい部分もあった。本書への批判も思いつけば、本書への賛同も思いつく。書店員以外の方が読んだら、どんな風に読まれるんだろう。


忘れたくないなと思うのは、こういう方が、こういう悩みを抱えながら、それでも前に進もうとしてきた、という事実です。たぶん僕は書店員として、そういう事実だけは、忘れちゃいけないんだろうなと思う。


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