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【本】中村明日美子「薫りの継承」感想・レビュー・解説

抗えないものに抗うことは、とても難しい。

『いつからだろう。このむせかえるような甘い薫りに酔ってまみれて、俺の気が狂ってしまったのは』

僕は時々、自分の思考にやられる。起こらないだろう最悪の未来を考えて落ち込み、どこにも辿り着かない思考をぐるぐるさせて持て余す。始まる前から想像だけですべてを諦め、出来ない言い訳を用意しないとと焦る。そういう自分はいつも愚かだと思う。意味のない、無駄な思考に囚われていると感じてはいる。

でも、自力ではなかなか、そこから抜け出すことが出来ない。

こういう思考は、子供の頃からずっとだ。僕はずっと、こういう思考とどう向き合えばいいのか全然わからないままだった。だから、そういう思考に追いつかれないように努力した。いつだって逃げ道を用意してからじゃないと前に進めなかった。恐怖を感じる遥か以前の時点で逃げた。そういう思考に囚われてしまってからでは、遅いのだ。抜け出せなくなる。以前の自分を取り戻すことが出来なくなる。自分の輪郭を見失ってしまう。

結局僕は、そういう思考を手懐けることが出来ないまま大人になってしまった。自分の内側に、巨大な穴が空いたままなのを放置して、ずっと生きてきてしまった。その穴に落ちてしまったら戻れなくなることは知っている。だから、落ちないようにする技術ばかり身についた。今では、あまりその穴の存在を意識しないで過ごすことが出来るようになっている。でも、時々やはり、視界にちらちらと見え隠れする。その存在を“ない”ことには出来ない。僕はずっと、その穴に囚われ続けたままだ。

僕と同じく、“思考”に囚われている人というのは、そう多くはないだろうと思う。でも誰しも、抗うことが出来ないと感じている、囚われてしまったら抜け出せなくなるような“何か”を内側に抱えているんじゃないだろうか。

『兄はいつも、冷たく汚物のように俺を見下し、深い嫌悪と憎悪に満ちた目で俺を射殺していた。毎日毎時毎秒。俺は兄に殺され続けていた』

その“何か”とどう付き合っていくのか。それは人それぞれ様々だろう。その“何か”を捨てる決断をするかもしれない。囚われても抜け出す魔法を身につけるかもしれない。囚われたままの自分の存在を諦めて受け入れるかもしれない。

『でもまたやるよ。兄さんの悪口を言うやつがいたら僕は。何度だって』

抗う以外の選択肢を持たなかった者が、抗う以外の選択肢を手にしてしまった瞬間。その瞬間から世界は壊れ始める。存在するはずのなかった選択肢を、望んでも手にすることなど出来ないはずの選択肢を手にしてしまった者が、“それまでの現実”と“それからの現実”の狭間でどう悩み、どう苦しみ、どう生きたのか。禁断の愛を描くこの作品は、それを対から強く描き出していく。

『気づいていたよ。気づいてて、なかったことにしたんだ』

比良木竹蔵は忍にとって、再婚相手の子だ。子供の頃“義理の兄弟”になった二人は大人になって、真逆の生き方をする。

『お前のそのぐずぐずした泣き顔は見飽きた。今すぐ私の目の前から消えろ!』

父の事業を副社長として手伝う忍は、美しい妻を持ち、要という子をもうけている。常に自信があり、冷徹な雰囲気を漂わせ、そして義理の弟である竹蔵に厳しく当たる。

『にいさんが…僕のことと嫌いなのは…血がつながってないから?』

レストランを経営する竹蔵は、しかし忍から経営の才覚がないとなじられる。義理の兄である忍に何度も金を借りに来ており、忍に怒鳴られる度に落ち込み涙を流す。

竹蔵と忍の関係性が変わったきっかけを作り出したのは、忍の子・要だ。

『叔父さんがパパにしたいことしたいようにさせてあげる』

竹蔵の忍に対する恋心を見抜いていた要は、退屈しのぎに計略を実行に移し、叔父である竹蔵と父である忍が交わるところを観察していた。

『もうとうに狂っていたのだ。俺たちは狂ってしまっていたのだ。この薫りに』

“義理の兄弟”になった瞬間から蔑まれ、冷たい扱いを受けていた“それまでの現実”と、要が引き金を引いたために押し寄せてくることになった“それからの現実”を巧みに織り交ぜながら、“抗えないもの”との苦悩の関係性を描き出す物語。

先に書いておこう。
僕は、ラストが好きじゃない。いや、好きじゃないという強い意見ではなくて、そうではない選択肢の方がより良かった気がしてしまう。
最後の手紙が、僕には不要に思えてならなかった。もしあの手紙が存在しなかったら、この作品は、強烈な不安定さを保ったまま物語を閉じることが出来たと思う。その不安定さは、この作品全体に通底する冷徹な雰囲気と、よく合うと思うのだ。

あの手紙がなければ、彼の行動の意味ははっきりとはわからないままだっただろう。でも、その不安定さを残す形で物語を閉じる方が、より美しかった気がする。彼らにとって、体の交わりにはどんな意味があったのか。“それからの現実”に入り込んだ彼らが何を考えていたのか。そういう部分が明らかにされない方が、一般受けはしないのかもしれないけど、より鮮烈なイメージをこの世界観の中に閉じ込めることが出来たように思う。言い過ぎかもしれないけど、最後のあの手紙が、この作品の世界観をちょっと突き破ってしまっているような感じがして、僕はない方がいいと思った。

何度も書くが、僕にとってBLというのは「絶望を日常に持ち込む装置」である。ノンケとゲイの間の壮絶な断絶が、普通の物語では描き出せない葛藤や苦悩を浮き彫りにする、と思っている。

しかし本書は、ノンケとゲイの物語ではない…、と断言していいのかよくわからないけど、とにかく彼らは、早い段階で体の関係を持つ。僕の中では、ノンケとゲイがいかに体の関係を持つに至るか、というのがBLの読みどころの一つなので、そういう意味では僕が好ましく感じるBLのタイプではない。

でもこの作品は、“義理の兄弟”という形で深い断絶を用意している。さらにその上で、彼らにとって体の関係が“不安定なもの”であるという点が良いのだと思う。

僕が先に挙げたようなノンケとゲイの恋では、体の関係を持つことは一つのゴールである。体の関係を持てば、その二人の関係は安定する。そんな風に表現してもいいだろう。

しかしこの作品では、体の関係を持つことで二人の関係は一層不安定さを増す。それまでも安定していたとは言えない関係が、体の関係を持つことで一層揺れ動く。この作品の中ではBLという要素が、「元々存在していた関係性を(さらに)不安定にさせる装置」として描かれている。そこがこの作品の魅力の一つなのではないかと思う。

“義理の兄弟”との体の関係であるという禁忌、そして妻を持つ男が男と体の関係を持っているという禁忌。否応なしに“それからの現実”に引きずり込まれてしまった彼らが、禁忌にまみれた目の前の現実とどう関わりあっていくのか。その葛藤が、クールなやり取りの中で鋭く描き出されていく。

『「銀河鉄道の夜」にありましたよね。
みんなの…みんなの幸のためならば、僕のからだなんか百ぺん灼いても構わない…。
そんな…気持ちにとてもなれないな…僕は』

この作品では、忍の息子である要の存在が印象的だった。竹蔵と忍の関係性を“それまでの現実”と“それからの現実”にはっきりと区別させた張本人であるが、彼らの関係性を駆動させるためだけに存在するわけではない。その後も作品の中に時折登場し、謎の存在感を残していく。
竹蔵と忍の関係性を駆動させてしまったまさに張本人である要は、彼らの間の結末をどう受け取っただろうか。そこで生まれた感情が、最後の最後で描かれる要の行動へと結びついてくのだろうか。物語の最後の最後、要の描写をどう受け取るべきなのかいまいちきちんとした輪郭を持てないのだけど、ある種の贖罪の気持ちが要を動かしているのだろうか、と感じている。

『姑息な言い訳を用意して何度でも何度でも交わる。我々は卑怯だ。そして孤独だ』

抗えないものには抗えないのだ。


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