【映画】「ヴィンセントが教えてくれたこと」感想・レビュー・解説

ヴィンセントは、なかなかロクでもない人間だ。
もう60歳は超えているだろう。酒・タバコを手放さず、八百屋の果物をくすね、定期的に売春婦を呼んでいる。口が悪く、人と関わろうとしない。町の人間は概ねヴィンセントのことが嫌いだし、ヴィンセントの方も人間が嫌いだ。金に困っていて、定期預金もマイナスになってしまった。
そんな彼の隣の家に、新たな入居者がやってきた。夫である弁護士と離婚調停中のCT技師の母と、その息子オリヴァーだ。引っ越し業者が彼らの荷物を運んでいる間、ヴィンセント家の木とフェンスを破壊してしまったために、初対面は最悪な状況となった。
オリヴァーは新しい学校へと転校し、その初日、体育の授業の後で制服を盗まれてしまう。仕方なく体育着のまま家に帰るヴィンセント。しかし、家の鍵など一式を制服に入れていたため、自分の家に入れない。
オリヴァーは、隣家のヴィンセントから電話を借り、そのまま彼の家でしばらく過ごした。彼はオリヴァーの母に、一時間12ドルで子供の面倒を見てやると申し出て、オリヴァーの母はベビーシッターを探す手間が省けたと、ヴィンセントにオリヴァーを託すことになる。
人嫌いだが金が必要なヴィンセントと、学校にまだ馴染めないでいるオリヴァー。二人はその歳の差をものともせず、またヴィンセントの人嫌いさえも乗り越えて、とても良い関係を築いていくのだが…。

というような話です。
予想外な展開は全然ないので、こうなるだろうなぁという感じの予想を裏切ることはない物語なんだけど、全体的にとてもハートウォーミングな良い物語だったと思います。
ヴィンセントは、自分の生き様を曲げないままオリヴァーと接する。オリヴァーを競馬場にも、バーにも連れて行く。それは、”教育”という意味では褒められたものではないかもしれないけど、でも見方を変えれば、オリヴァーを一人前の大人として扱っていると言うことも出来る。競馬場やバーに子供を連れて行くのが良いかどうかはともかくも、ヴィンセントのこの、子供であっても一人の大人として扱っているあり方はとてもいいなと思いました。まだ子供だから、という理由で様々なものを制限されるよりは、あらゆるものに触れ、そして自分で考えさせることで、新しい価値感なり生き方なりを考えるきっかけになるのだろうと思います。

ヴィンセントの行動を見る限り、そんな信念(オリヴァーに新しい世界を見せてやろうという信念)を感じることが出来るわけではありません。ヴィンセントはただ、お守りをしなきゃいけないからといって、自分のやりたいことを制限されるのはゴメンだ、ぐらいにしか思っていないでしょう。ヴィンセント自身がやりたいことに、オリヴァーを連れて行く。ただそれだけ。でも結果的にそれが、オリヴァーという人間を一回り大きくしていくいいきっかけになったのだと思います。
物語的によくありがちでしょうが、ヴィンセントは決して悪い人間ではない、ということが少しずつ分かっていきます。ちょっと関わるだけではヴィンセントのそういう良い部分は見えてきませんが、オリヴァーはあまり先入観を持たないままヴィンセントと関わり続けたために、そういう部分が少しずつ見えてきます。
ニュースなどで”子供”が議論の対象に上る時、”正しさ”はどこからやってくるのだろうか、と感じることはあります。
”大人”(僕もまあ大人ですが)が考える「子供にとって良いこと」というのは、どうも的を外しているように感じることが多くあります。まるで”子供”は、「触れたものすべてに素直に影響されてしまう」とでも言うかのように、あるいは、「潔癖な環境でなければ精神は健全に育たない」とでも言うかのように感じることが多くあります。
「子供のため」を考えることはもちろん悪いことではないのだけど、結果的にその「子供のため」が子供に悪い影響を与えていることも多くあるでしょう。すべてを、大きなルールで取り込むことは出来ません。結局は、その場その場での個別の対応を努力し続けるしかないのだろうと思います。けど”大人”は、もうそれが面倒くさいんでしょうね(もちろんその気持ちは分かります)。大きなルールで括ってしまう方が楽だというのはよく分かる。けどそれは、多くの子供にとっては、結果的に悪影響でしかないのだろうと思います。
僕が考える最大の悪影響とは、「自分で考える機会を奪われる」ということです。子供にだって、考える力はあります。そして、人間のどんな営みでもそうですが、”考える”という行為も、幾度もの間違いを繰り返すことで高めていくことが出来るものだと思います。
しかし子供はどんどん、「考える機会」を奪われているように感じます。「あなたは考えなくていいですよ。大人がきちんと問題のないルールを作るので、それに従っていればすべて問題ありませんよ」という暗黙のメッセージが、様々な場面で見受けられます。大人が子供に「考えなくていいよ」と言えば言うほど、子供は不幸になっていくと僕は感じます。それが取り返しのつかないこと(殺人やドラッグなど)でない限り、子供が間違えた時にその間違えを大人が正してあげればいいのだと思います。僕はそういう営みを”教育”と呼びたいと考えます。
そういう意味でヴィンセントは、非常に良い教育者だと思います。
ヴィンセントオリヴァーに、喧嘩の仕方を教える。しかし、喧嘩をしろと焚きつけるために教えたわけじゃない。オリヴァーがいじめられているのを見て、身を守るために喧嘩の仕方を教えるのだ。喧嘩の仕方を教えるなんて、という人もいるだろう。しかしヴィンセントは、それがオリヴァーに必要な知識・技術だと思うからこそ教えたのだ。
また、教育とはまた違う話だけど、印象的な場面がある。オリヴァーが、ヴィンセントの相手をしている売春婦と遭遇した時の話だ。あの売春婦について聞かれたヴィンセントは最初、「夜の女」だ、と答えるが、さらに問われて、「一番正直な稼ぎ方をする女の人だ」と答える。
恐らく大抵の人間は、ここでの答えをはぐらかすだろう。自分が恥ずかしいという気持ちだけでなく、子供にこんなことを教える必要はない、という考えから、何か誤魔化すような答えを返すだろう。しかしヴィンセントは、はっきりとしたことは言わず、それでいて嘘も付かなかった。しかも、売春婦の尊厳を貶めることなく、彼女の存在をオリヴァーに説明してみせた。ヴィンセントがオリヴァーに対して誠実であろうとする態度がこの場面から感じ取ることが出来て、非常に印象的でした。
ラストは非常にアメリカ的という感じがして、なかなかに感動的な場面でした。展開としては、ヴィンセントってやっぱりいい人だよね、という流れになっていくわけなんだけど、それを示すやり方が非常にアメリカっぽい。色んなことがあって、一時ヴィンセントから引き離されてしまったオリヴァーが、ヴィンセントのこれまでの人生を追いかけ、そしてそれを多くの人に伝えることで、やがて二人の交流は元に戻っていくことになる。
真っ当な大人とは決して言えないヴィンセントは、結局最後までヴィンセントらしく自分を曲げないけれども、オリヴァーはそんなヴィンセントの見え方を変えてしまう。大人であるということや、何かを学んだり教えたりするということについて考えさせられる映画でした。

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