【映画】「ふがいない僕は空を見た」感想・レビュー・解説

ごくごく普通の高校生だった斉藤は、ほんの些細なきっかけから、『あんず』というコスプレネームを持つ近所の主婦と、コスプレをしてセックスすることになった。旦那がいない時間帯、お互いコスプレをして、あんずが用意したセリフをなぞりながらセックスをする関係。歪みきったその関係は、しかししばらく安定を保つ。
斉藤が、自分が好きだった女の子に告白されたことで、状況は一変する。斉藤は、もうあんずの元には行かないことに決め、あんずに決別を告げる。
あんずには、見知らぬ誰かとのセックスに逃げ込みたくなるような現実を抱えていた。自分の意志ではもはやどうにもならないほど複雑に折り重なってしまった義母との関係が、あんずをじわじわと苦しめていく。
斉藤の同級生で、ボケた祖母と二人で生活をしている福田。コンビニでのアルバイトと、時折母親から届くお金で、どうにかギリギリの生活を続けている。
このクソッタレな団地生活から抜け出したい。そう思いながらも、ボケた祖母を抱えたまま、新聞配達もしている福田には、勉強している時間さえない。
ある日、斉藤が学校に来なくなった…。
というような話です。
僕が映画を見て、一番強く感じたことは、『愛すべき一貫性のなさ』です。
あぁ、人間だなぁ、って感じがしました。
メインで登場する幾人もの登場人物たち。彼ら彼女らは、みな矛盾しきった行動を繰り返します。
友人の悪口を言われてクラスメートに殴りかかった福田は、その一方であんなことをしてしまう。斉藤のことが好きで告白までした女の子は、その一方で見たくないはずのものを見てしまう。あんずと決別したはずの斉藤はしかし…。
そんな感じで、みなまるで一貫性のない行動をしている。誰の言動をとっても、そこに明確な行動原理は見い出せない。なんというか、物語に接することに慣れてしまっている人ほど、もしかしたら不思議に見えてしまうかもしれません。
でも、僕は映画を見て、そうだよなぁ、人間ってそうだよなぁ、って本当に強く感じました。
人間の記憶って本当に都合がいいから、自分の言動の良い部分は覚えてて、悪い部分は忘れちゃってたりする。だから、自分の言動を振り返った時に、うんうん、自分って一貫性のある人間じゃん、なんて思えちゃったりする。僕も、たぶんそうなんだろうなぁ。自分では一貫性のある人間だと思ってるんだけど、きっとそう見えているわけではないんだろう。
人間ってすごくわかりにくい生き物だし、スパっと一つの言葉や一つの括りで囲えてしまう存在ではない。特にこの映画で描かれる人物たちは、どうにもならない現実を前に、それでもどうにか前に進んでいかなくてはいけない人たちだ。彼らに振りかかる現実は、なかなかに厳しい。自業自得だろうとそうでなかろうと、それまでごく真面目に生きてきた人間には理不尽で耐えがたい現実なんだろうと思う。そういう中で、必死に腕を振り回し、必死に足をばたつかせながら、どうにかこうにか無理矢理にでも前に進もうとしている人たちの必死さを、やはり咎めることなんてできないなと思う。別に、現実が辛かったら何をしてもいいんだ、なんて言いたいわけじゃ全然ない。全然ないんだけど、でも、そんな背景まで知っちゃったら、うん、しょうがないよね、って思うような場面が多々あった。
だから、凄く人間らしい人間が描かれている映画だなという強く感じました。人間のわけのわからなさ、一貫性のなさ、恐ろしい矛盾みたいなものを、とてもうまく表現しているんじゃないかなという感じがします。
映画を見ながらフッと思い浮かぶフレーズをメモしていたんだけど、その中の一つにこんなのがある。

『誰かにとっての幸せは、自分にとっての幸せであるとは限らない』

何を当たり前のことを、と思った人は素敵だなと思うし、その一方で過信しすぎるのは怖いよ、なんていう風にも感じる。そんなの当たり前だよ、なんて思いながら、無意識の内に誰かに自分なりの幸せを強要しているかもしれないではないか。
ちょっと前になるけど、ここ15年くらいで1回くらいしか会っていない、小中学生時代の一つ上の先輩から突然連絡があった。その先輩は、すでに5人の子供がいて、とび職としてバリバリ働いている。
そんな先輩から、要約すると、「結婚して子供を育てることが一番の幸せなんだから、お前も早く落ち着けよ」という内容の電話が来たのだ。もちろん殊勝に、はい、はい、と答えていたのだけど、その電話の後僕は心底、『あぁ、こういう価値観が周りにない環境に逃げることができて本当に良かった』と感じました。恐らく地元にそのまま残っていたりすれば、そういう価値観から逃れられないままだったことでしょう。僕は、自分の生き方が世間の基準から見て正しくないという自覚がありますけど、でも僕は、世間の基準が定める『幸せ』をどうしても幸せだと感じられない。それを強要されることは、僕にとっては苦痛でしかない。
映画の中で、自分が追求していることの『幸せのカタチ』は、きっと相手にとっても幸せであるはずと信じて疑わない(正確には、『信じていないけど、そう振舞っている』だけかもしれないけど、それは判断できないと思う)人物が出てくる。その人物に振り回される登場人物を見て、あぁ、これは地獄だな、と感じました。こんな地獄はないな、と。
自分にとっての『幸せのカタチ』がなんであるのか、はっきりと思い描くことが出来ない人はたくさんいるだろうと思います。でも、自分にとって目の前の現実が、そして目の前の現実の先にある未来が幸せであるかどうか判断することはきっと出来るだろうと思います。
明らかに幸せとは思えない道を歩かざるを得ない人生。それは、苦痛以外のなにものでもないな、と強く感じました。映画の中では、生まれた時から辛い環境で育って来た人物の話も出てきて、それはそれで辛いと思うのだけど、こういう形の地獄もあるんだな、という風に思いました。
先ほど書いたことと対比することにもなりますけど、こんなことも思いました。

『誰かの不幸を、自分が背負うことは出来ない』

寄り添うことは、もしかしたらできるかもしれない。でも、誰かの不幸は、自分が背負ってあげることはできない。不幸の形は様々で、人それぞれ全然違う。ある人物が、『自分だけ不幸ぶってるんじゃねぇよ』みたいなセリフを吐く場面があるんだけど、まさにそうで、誰もがその人なりの不幸を抱えていて、結局それはずっとその人のものでしかない。生きていくというのは、その自分が背負ってしまった不幸とどう付き合うかという選択の連続なのであって、それを背負いたくないのであれば逃げ続けるしかない。ある人物の、『どうあがいたって、ここから抜け出すことなんか出来ない』というようなセリフも、強く刺さりました。
どうやって生きていくのかという覚悟と選択。彼らは、あらゆる場面でそれを強いられる。彼らに振りかかる辛い現実は、でも映画の向こうだけのものじゃない。僕たちの視界になかなか入ってこないだけで、ああいう現実を生きている人は世の中にたくさんいるだろうし、決して他人事じゃないと思う。彼らは、辛い選択を強いられ、その度に覚悟を決める。辛い状況に置かれているわけではない周囲の人間たちには絶対に理解できないその選択と覚悟が、彼らの行動の背景にある。だからこそ、ヌルい生き方をしている僕なんかには、彼らの行動が一貫性のないものに映ってしまう。彼らなりの行動原理はあるのだけど、僕の立ち位置からは、それは見ることが出来ないのだ。
ある人物は、あることをどうして好きなの?と聞かれて、『現実を見なくて済むから』と答える。ある人物は、どうしても追い詰められて、『悪者になりたくないからってだけの理由で…』と相手を責め立てる。選択も覚悟も、まだまだ高校生には厳しい。特に、ヌルさ全開の同級生の姿を日々見ていればなおさらだ。そういう、それぞれの立場で選択と覚悟といかに向き合っていくのか。それをそれぞれに突きつける状況を繋ぎあわせながら、全体の物語が構成されていく。
原作は元々連作短編集なのだけど、映画でもその連作短編集っぽさが非常にうまく表現されているなと思いました。朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」の原作と映画でも同じことを思いましたけど、複数の視点で同じ状況を描き出すことで、その状況に深みをもたせることができる。初めに描写されたあるシーンが、状況や背景が深く理解できた状態でもう一度見ると、ちょっと違った意味合いを持つようになる。その構成は、まあ原作の構成の巧さももちろんなんだけど、映像でもうまいこと表現されているなぁ、という感じがしました。
印象的なシーンはいくつもあったのだけど、なんとなく書いておきたい場面が二つ。
一つ目は、あんずの旦那のシーン。追い詰められたあんずが、部屋に閉じこもる。旦那が、ドアを叩いて大丈夫かと声を掛ける。あんずは、「一人にして欲しいの」と返す。そして旦那は、そのままドアの前から去る(音がする)。あんずは直後に号泣する、という場面だ。
あー、俺もこれやっちまうなぁ、と思いました。旦那と同じことしちまうな、と。
あんず的には、試す意図があったのかどうかは俺には判断は出来ないけど、口では「一人にして欲しい」といいつつ、実際はもっと突っ込んで欲しかったんだろうと僕は受けとりました。そうじゃないと、旦那が去った直後というタイミングであそこまで号泣はしないでしょう。旦那はホントは、もっと声を掛けるべき場面だったわけです。
でも、その旦那の気持がわかるなんて言いたくはないんだけど、でも僕も同じ風にしちゃうだろうなぁ、と思いました。旦那の場合、妻に対する執着がどの辺から発生しているのかが映画を見ているだけではちゃんとはわからなかったのだけど(原作のことはいい具合に忘れてるんで、そういう描写があったのかも覚えてません)、基本的には妻にそこまで強い関心を持っていないように見える。その現れがあの行動なのかな、という感じがしましたけど、俺も同じ状況だったら、自分自身の中の理屈はともかくとして、傍から見たら同じようにしか見えない行動を取るんだろうなぁ、と思って、うわぁーって思いました。
もう一つは、福田がある人物に「大丈夫?」と聞く場面。内容をあまり書き過ぎないように、ところどころ「ある人物」って書いてぼかすようにしてるんだけど、だからこの場面の説明もよくわからないだろうと思います。でも、この場面はすごいなと思いました。あの環境・状況の中で、福田の立場から「大丈夫?」なんて声を掛けられるものなんだな、と。なんというか、凄く印象に残りました。
あと、まあ触れないわけにはいかないでしょうけど、全体的にエロかったですねぇ。うん、エロかった。でも、僕的にはですね、確かに斉藤とあんずのセックスの場面はエロくて良かったんですけど、どっちかというと、女の子二人がブランコを漕いでるシーンのエロさの方が好きだったりします。ブランコのシーンはなかなか良かったなぁ。
さて、後はさらなる余談。
斉藤の母が助産院を経営していて、子供が生まれるシーンがあるんだけど、本当に生まれたてという感じの子供でビックリしました。僕は、あんな生まれたての子供を映画に出せるわけないと思ったんで、絶対ロボットだと思ったんですけど(いや、今のテクノロジーなら、あれぐらいリアルなロボットとか作れそうじゃないですか)、最後クレジットで、『新生児のご家族のみなさん』というのが出てきて、あぁあれって本物の赤ちゃんだったんだな、と思いました。たぶん、そのご家族の出産に合わせて撮影をしたんでしょうね。凄いなと思いました。
あと、これもクレジットですけど、『同人誌販売会vのみなさん』っていう表記もあって、あれもリアルなイベントの場で撮影されたのかもなぁ、なんて思いました。
僕はやっぱり、映画の中に音楽が出てこない作品って好きだなと思いました。セリフもそこまで多くなくて、環境音しかしない静寂の中で沈黙に包まれているみたいな感じの緊迫感がやっぱ好きだなぁって思います。とても好きな映画です。

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