【映画】「ドルフィンマン ジャック・マイヨール、蒼く深い海へ」感想・レビュー・解説

「好き」という感情は、やっぱり強いよなぁ、と思う。

映画の後半で、印象的な言葉があった。
70歳を超えた、この映画の主人公であるジャック・マイヨールの元を、25歳のフリーダイバーが訪れた時のこと。25歳のダイバーは、伝説的な人物であるジャックに対抗するように、より深くより深く潜ろうとしたという。

海からあがった青年がジャックに、「僕の実力はどう?」と聞くと、こんなことを言われたという。

【君はまだ、フリーダイビングの魅力が分かってない。君にとってフリーダイビングは、他人と競うための手段でしかない】

ジャック・マイヨールは、人類史上初めて、水深100メートルへの素潜りを成功させた。しかし、この映画を通じて語られるジャックは、競技や記録としてのフリーダイバーではなく、「海と一体になりたくて仕方なかった人物」として描かれる。

上海で生まれ育ったジャックは、フランスへと戻る船の上で初めてイルカを見た。長期休みを日本で過ごすことも多く、日本の子どもたちと水遊びをしていたが、その子どもたちは、海女さんの子どもが多かった。そんな風にして、海へ潜ることへの関心が高まっていく。
それが決定的になったのは、水族館で勤務している際の出会いだった。クラウンという、水族館の中で最も賢いイルカが、彼を目覚めさせた。水族館の中で、「イルカの中で最も人間に近い存在」と言われていたクラウンに触発されるようにして、ジャックは、より長い時間素潜り出来るようにと訓練を始めることになる。彼はそれから、素潜り世界記録へのチャレンジをするようになり、記録を延ばすために、ヨガや禅など、様々なものを取り入れたが、何よりも彼のベースにあったのは、「海にいたい」という思いだった。娘の一人は、父親の記憶を聞かれて、「いつも水着姿だった。スーツやジーンズ姿は、見たことがない」と言っているほどだ。素潜りの記録更新と、身体一つで海と関わるスタイルから、彼は「グラン・ブルー」という映画のモデルとなり、世界的に知られる存在となった。

この映画では、ジャックの私生活の部分も描かれていく。そちらはあまり詳しくは触れないが、離婚した後の彼の恋人との顛末には驚かされた。いろいろと毀誉褒貶もあり、特に、晩年は孤独だったようだが、今でも、ジャックの生き様やスタイルを敬愛し、自らの人生に取り込んでいる人がたくさんいて、そういう人たちが、ジャックについて様々に語る映画だった。

いつも僕は、「そこまで没頭出来るものを見つけられる人生は羨ましい」と思ってしまう。もちろん、良い面ばかりではない。特に、知名度が上がることによるメリット・デメリットは様々にあって、その狭間で苦しむ人も世の中には多くいるだろう。英雄は、英雄として語られるのが良いのかもしれないが、英雄の英雄ではない部分もまた、人を惹きつける。外から眺めているだけでは分からない苦悩が誰にでもあるのだ、ということが実感できるし、それは、逆説的すぎるかもしれないが、「なんでもない自分」を肯定することにも繋がるかもしれない。

大事なことは、「好き」に出会えるかどうか、そして「好き」を貫ける環境を維持できるかどうか。フリーダイバーとして名を馳せた一人の人物の生き様を見ながら、そんなことを考えました。

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