【映画】「バクラウ 地図から消された村」感想・レビュー・解説

なんじゃこりゃ。
いや、ホント、カオスにもほどがある。

とりあえず一つ言えることは、この映画を見るなら、事前情報を一切入れないで見た方がいい、ということだ。何故なら、事前情報を調べたところで、たぶん、大した情報は出てこないから。それなら、何も分からないまま見た方が、絶対に面白いと思う。

冒頭から、ほぼ何の説明もなされないまま、物語が展開されていく。そして恐ろしいことに、その状況は、終盤まで続く。最後の最後まで、とにかく、何がなんだかさっぱり分からない。そして、最後まで見ても、正直、よく分からない。

けど、なんか気になる。もう一回見たいとは思わないけど、「なんか凄いものを見たな」という感覚の残る作品だ。

映画で描かれる状況そのものは、非常にシンプルだ。「外部から襲われそうになっている村」VS「この村を襲おうとしている外部の人間たち」だ。

しかし、その背景が、まったく分からない。何故このバクラウという村が狙われているのか、襲撃者たちの目的は何なのか、終盤までほぼ理解できない。僕の読解力の問題もあると思うけど、そもそもほとんど描かれないというのが正解だと思う。一応最後まで見れば、なるほどそういう背景か、と思わせるものは登場するのだけど、でもそれにしたって、「いやいや、たぶんだけどもっと根深い何かがあるでしょ???」という疑問が残ったまま映画は終わる。

ただ、この映画の凄いところは、登場人物のほとんどが狂ってるので、「正常」が何であるのか見失ってしまう、ということだ。普通に考えれば、映画の登場人物たちを「ヤバい」と感じる観客側の感覚の方が「正常」のはずだ。しかしこの映画には、村の住民も襲撃者たちも、程度はともかく全員針が振り切れてるので、「実は自分は、自分のことを『正常』だと思っている異常者なのではないか」というのに近いような感覚になる。登場人物たちが、基本的に特別躊躇を示すことなく簡単に一線を踏み越えていくので、「正常」の感覚が揺さぶられていくのだ。

そして、その「トリップ感」みたいなものが、この映画を特殊なものにしている気がする。普通映画は、物語を理解させようとするけど、この映画はそんなこと知ったこっちゃないというスタンスだ。もちろんそういう、物語を伝えることを放棄している映画というのは他にもあると思うけど、この「バクラウ」は、観客を「狂気」の側にナチュラルに引き込んでいくという意味で、非常に特殊な映画体験だったなと感じる。

また、物語と同様にこの映画では、人物の背景もほぼ描かない。普通の映画であれば、主要な登場人物に関しては、どんな過去を持っているのかということを含め、背景的なものが描かれる。しかしこの映画では、そんな描写はほぼ存在しない。だから、例えば村の住民が生まれた時からそこにいるのか、結婚を機に移り住んだのか、あるいはバクラウを気に入って外から移り住んだのかということも分からないし、村の中でのそれぞれの役割もほぼ不明。それは、襲撃者たちについても同じで、個人のパーソナルな部分についてはほぼ描かれない。描かれても、それが何か物語に影響するというわけでもない。

普通の映画では、「これは伏線だろう」と感じさせるような意味深なシーンも山程あるのだけど、それらが回収されることはほぼない。映画を見ながら、最初の内は、「この描写については、後々何らかの説明がきっとあるだろう」と思っているのだけど、あまりにもそういう説明的な描写がないために、次第に、「これはきっと説明されないんだろう」と思うようになる。そして、そういう「説明されない不可解さ」がどんどんと積み重なっていくことによって、より映画の世界は「狂気の彼岸」となって遠ざかり、遠ざかるくせにさらに強い力でその彼岸へと引き寄せられていくような、そんな異様な感覚に囚われました。

映画を「体感する」というような表現があって、これは一般的には「映画館で見る」とか「3Dで見る」というような、視覚を中心とした感覚器官を揺さぶるという意味で使われるだろう。しかしこの映画の「体感」は、脳髄を直接揺さぶるような感覚だ。マジで意味不明だけど、なんとなく時折思い出してしまうだろうなという予感を抱かせる、狂気の映画。

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