【映画】「シーズンズ 2万年の地球紀行」感想・レビュー・解説

2万年前まで、地球は氷河期だった。氷河期を生き抜いた生物は、ジャコウウシやトナカイなどごく一部。人類も、どうにかこうにかその氷河期を乗り切った。
1万年前、太陽を回る地球の軌道が変わり、氷河期が終わりを迎えた。地球は段々と暖かくなり、氷河期を乗り切った生物たちは、寒い環境を求めて大移動する。
そして地球は、森に覆われるようになる。生物にとって、春の時代だ。
四季折々、様々な生物が様々な姿を見せる。森という豊かな環境に支えられながら、草食動物は草を食べ、肉食動物は他の動物を喰らい、おこぼれに与ろうとする者や、冬でも実をつけるナナカマドで乗り切ろうとする者もいる。生命が誕生し、どうにかアピールして親から餌をもらい、通過儀礼を経て大人になる。群れの掟に従い、また、一人で狩りをし、厳しい冬を乗り越えて、また春を迎える。
人間も、まだ自然の一部であり、森の中で他の動植物と一緒に暮らしていた。
しかし、徐々に人間が他の動物と違う生き方をするようになる。文明を発達させ、森を切り開いて農業を始め、やがて鉄を生み出して戦争を始める。生物にとって冬の時代である。
この生命の2万年の営みを、動物たちの豊かな表情を捉えながら、大自然の中で生きる者たちの姿を映し続ける映画だ。

僕はこの映画に対して謝らなければいけないことがある。

映画を観ながら僕は、こんなことを考えていた。

(凄い映像満載の映画だな。よくもまあ、これだけ迫力のある映像を集められたものだな。これは凄い…って、あれ?今の映像、どう考えてもCGなしじゃ無理だよな。あれ、こっちの映像もそうだ。どう考えたって、これはCGでしょう。普通に考えても、こんなシーン、撮れるわけないんだから。そうかぁ、全部実写なのかと思ってたけど、やっぱCGもあるんだな。
でも、仕方ないか。これだけの映像、全部実写で集められるはずないしな。きっとこの映画は、世界中のあらゆる人が撮影していた映像を集めまくって、その中からストーリーとして使えそうな映像を組み合わせて一つの物語にしたんだろう。そうする中で、どうしてもこれは必要な映像なんだけど、そんな映像ないんだよなぁ、ってものも出てくるだろうし、それならCGで作るしかないもんなぁ。

でも、たとえ一部でもCGがあると、他のCGに思えない映像も、もしかしたらこれもCGなのかも、ってちょっと思っちゃうな。ちょっとそこが残念だ。実写だけで貫いて欲しかったなぁ)

で、映画を観終わった後、すぐネットで調べてみました。
そうしたら、この映画、全部実写だって言うんです。
マジかよ!って思いました。ありえないだろ、と。

例えば、僕が一番最初に「これは実写じゃ無理だ」と思った映像は、こんな感じです。
イノシシがオオカミに追われて猛ダッシュをしている。両者とも、狩られるのを避けるため、獲物にありつくため、全力ダッシュだ。その映像を、真横から並走するように撮影している。映画やドラマなんかで、馬が疾走するのを横から撮ってるみたいな映像だ。
普通に考えて、この映像を撮るためには、地面にレール上のものを設置してカメラマンを載せて、イノシシやオオカミの動きに合わせてそのレール上を移動しないと撮れないはずだ。しかし、野生動物に演技指導して撮ってるわけがないので、「どこでイノシシとオオカミのダッシュが起こるか」なんて誰にも分からない。たまたまレールを設置した場所に、たまたまイノシシとオオカミがやってきて、たまたまその映像を撮れた、なんてことは起こりえないでしょう。だから僕は、これはCGだと判断したのでした。
でも、CGじゃないんだそうです。ホントに?

僕が勘違いしていたことは、実はもう一つありました。
僕はこの映画を、「脚本よりも前に先に映像の素材が存在していて、その映像の素材の中から全体のストーリーを作れそうな映像を選んで脚本を書き、この映画を作った」と考えていました。
しかし、ネットで調べたところによると、実際は真逆だそうです。この映画は、まず最初に詳細な脚本が存在し、どんな映像が必要であるかをすべてリストアップしてから、その必要な映像を撮りに撮影に向かった、というのです。

考えられますか?そんなこと。

ただ、そう考えれば、先ほどのイノシシとオオカミの追いかけっこの映像は、一応納得できます。あらかじめあの映像を撮るつもりでいたのなら、レールを設置して準備していたことに違和感はありません。恐らく生き物の専門家らと、この森のどこにイノシシがやってきそうか、どのルートでオオカミが追いそうかなどを事前に徹底的に調べ尽くして、ベストだと思われる場所にレールを設置したのでしょう。確かにそう考えれば、一応筋は通ります。

とはいえ、そうやって求めている映像を撮るのには、膨大な時間が必要でしょう。狙った通りの場所にイノシシとオオカミがやってくることなんか、ほとんどないのではないかと思います。それでも、そういうやり方で彼らは、必要な映像を押さえていったのです。


この映画には、オオカミの群れが馬の群れを追いかけ狩りをしようとしている映像が出てきます。ネットで読んだところによると、これまでオオカミが馬の群れを追うことは知られていたけど、映像で撮られたことはなかったのだそうです。そう考えると、この映画の制作陣は本当に頭が狂ってるなと思うのです。何故なら、今まで映像で撮られたことがない「オオカミが馬を追う場面」を、映像を撮影する以前、脚本の段階から既に撮ると決めていたことになるからです。妥協しない映画製作人の気概が伝わってくる感じです。

そんなわけで、CGじゃなきゃありえないだろ、と思ってしまうほど、映像は凄いです。撮るのが不可能だ、と感じられる映像ではなくても、ほとんどの映像が動物を至近距離で撮っています。もちろん、遠くからでもズームで撮れるでしょうが、ズームすればするほど、動物の動きに対応することが難しくなります(ズームで撮れば撮るほど、カメラを僅かに動かしただけで画面が大きく動いてしまうから)。撮影する側の心理としては、動物たちがどんな動きをするか分からないのだから、なるべく近づいて撮ろうと考えるのではないかと思います。どこまで近づいて撮っていたのか、それは分からないけど、とにかく至近距離で動物を撮影した映像はもの凄い迫力で、圧巻です。ヒグマ同士がメスを巡って戦ってる映像など、とんでもない迫力で、ちょっと怖いぐらいでした。

ナレーションでストーリーを伝えるのですけど、ただ動物の生態を紹介するに留まらず、それぞれの生物が森という環境の中でどのような役割を果たしているのかという説明もされます。群れを作る生き物、単独で生きる生き物、狩りをする生き物、狩られる生き物。様々な生物の論理が映像で、そして語りで描かれていき、自然というものの壮大さを演出してくれます。

ただ、僕はちょっと疑問に感じてしまう部分もあります。これは、映画に対してではなく、動物学についてです。
たとえばナレーションで、「イノシシが水たまりで泥を全身に塗るのは、ダニやノミを落とすためです」みたいなことを説明されます。でも、僕は、ホントかよ?って思ってしまうんです。誰がそれを確かめたんだ、と。動物がその行動の意図を自ら説明してくれるなら分かるんだけど、もちろんそんなわけはない。じゃあ、イノシシがダニやノミを落とすために泥を塗ってると判断したその根拠はなんなんだ?と思ってしまうんです。ただ遊んでるだけって可能性もあるでしょうよ。
他にも、「オオカミの遠吠えは、仲間とのつながりを確かめるためのものです」みたいな説明がされるんだけど、これもホントか?と思ってしまいます。そんなの、オオカミが喋れない限り、確認のしようがないと思うんだけどなぁ。「オオカミが遠吠えをする」というのはもちろん事実だけど、「オオカミは仲間との繋がりを確かめるために遠吠えをする」というのは事実かどうか怪しいと思ってしまうのです。まあ、そう説明されている以上、なんらかの根拠があるんだろうとは思うんですけどね。

映画には、本当に時々、人間も登場します。初めは、他の生物と同じ自然の一部として、しかし道具を使い始める頃から次第に人間は自然とは離れていき、やがてオオカミを家畜化して、人類の最良の友と呼ばれる犬を生み出したりもする。人間はどんどん、自然を追いやり、破壊する存在になっていく。映画の最後では、その現状に警鐘を鳴らすようにして幕が下ろされます。人間というのがいかに異質な存在であるのかということが、非常に伝わってきました。

映画の最後に、「この映画では、動物に一切危害を加えていません」という表示が出ます。これは、ラスト付近で登場する、人間が家畜を襲うオオカミを銃殺するシーンが出てくることへの対処なのだろうと思います。しかし、CDを使ってなくて、動物に危害を加えてないとしたら、あの走ってるオオカミを銃撃して倒れさせるみたいな映像は一体どうやって撮ったんだろう?とまた疑問が過ぎるのでした。


とにかく、映像の凄さは圧巻です。CGかもと思っても、CGではないそうです。自然の営みを間近で観察しているかのような錯覚に陥る素晴らしい映像を、是非堪能してください。

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