【映画】「GODZILLA 怪獣惑星」感想・レビュー・解説

「ゴジラ」のことは、様々なメタファーとして捉えることが出来るだろう。具体的に何かというのではなく、それらを総体として捉えれば、それは「そこにあり続ける絶望」と表現できるだろうと思う。人類にとってのゴジラは、そこにあり続ける絶望だ。何故そこにいるのか、何故攻撃するのかなど、様々なことがよく分からないまま、そこにあるものとして捉えなければならない。

それは、肌の色だったり、出自だったり、これまで辿ってきた歴史だったりというような、自分の努力ではどうにも変えがたいもののメタファーとして捉えられるだろう。

それらとどう向き合うのかということを問われ続ける人生もあるだろう。闘うのか、諦めるのか、共存するのか、逃げるのか…。目の前にはいくつも選択肢がある。あるように思える。しかし、そういう圧倒的な絶望の前では、人はなかなか意味のある決断をすることが出来ない。

それが集団であればなおさらだ。個人であれば、個人にとって意味のある決断は様々に違い、決断して行動するという選択そのものが大きな意味を成す場合もあり得る。しかしそれが集団であれば、集団全体の総意としては、なかなか意味のある決断を導きにくい。人類の歴史は、そういう愚かな選択の歴史だったとも言えるだろう。

ゴジラ映画の初期シリーズを、僕は見た記憶はない。ゴジラが映画の中で、どんな風に描かれてきたのかという変遷を、僕は知らない。しかし、あくまでもイメージではあるが、当初ゴジラは、「とにかく圧倒的な強さを持つバケモノ」的な扱いでしかなかったのではないかと思う。もちろん、ゴジラが、ビキニ環礁での水爆実験を背景に生み出された存在だ、というぐらいの知識は持っている。だから、ゴジラの存在に製作者側が込めた思いというのはもちろんあっただろうが、しかし映画の中では、ただのバケモノという扱いだったのではないかと思う。物語の主眼は、バケモノに右往左往させられる人々の姿と、それに立ち向かう人々の勇敢さを描くことにあっただろう。

しかし、僕が知っている庵野版「ゴジラ」と本映画では、ゴジラというのはただのバケモノではない。つまりそれは、「ただ倒せばいいだけの存在ではない」という意味だ。ゴジラの出現とその対処が、未来にどう影響を与えるかという、長いスパンでゴジラが捉えられるようになったのだ。倒すという短期的な選択肢だけではなく、未来の時間まで含めた長期的視野でゴジラと向き合う人々の姿が描かれている。

ゴジラが「そこにあり続ける絶望」である以上、簡単には排除は出来ない。排除する可能性は当然模索しつつも、排除できない可能性についても検討し、行動を起こさなければならない。そしてそのことが人類に、新たな覚悟を強いることになる。

『ゴジラは我々から地球を奪っただけではない。正義や優しさ、そして人間としての最低限の誇りさえも奪われたのだ』

巨大過ぎる絶望と向き合わざるを得ない時、人は何を思い、どう行動するのか。未来、という時間軸を想定することで、人間の様々な行動が浮き彫りになる。

内容に入ろうと思います。
ハルオ・サカキ大尉は、中央委員会の決定に背いて拘束された。数千人の生き残りを乗せた宇宙船で過ごし始めて20年。居住可能な惑星を探し出せる可能性に賭けて地球を捨てた彼らだったが、亜空間航行を繰り返し、地球から11.9光年離れた場所までやってきても、居住可能な惑星を見つけられる可能性は僅か0.1%。ようやく見つけた、タウイー星と名付けた惑星は、居住可能性はゼロではないものの、その環境最悪だろうと予測された。中央委員会はそのタウイー星に先遣隊を送り込む決定をした。サカキ大尉は、そのことに激昂したのだ。何故なら、選ばれた先遣隊は老人ばかり。居住可能性の低い惑星に老人を送り込むことは、口減らしをしたいという思惑しか感じられなかった。だからこそサカキ大尉は反抗し、船内で拘束された。
きっかけは、20世紀最後の夏のことだった。突如地球に、無数の怪獣たちが現れた。人類は抵抗を続けたが、最後に現れた、ゴジラと名付けられた怪獣は、まさに規格外だった。「最悪の悪夢」「破壊の化身」と呼ばれたゴジラは、熱核弾頭150発の一斉攻撃さえも耐え抜く強さで、人類のみならず他の怪獣すらも蹴散らす破壊力を持っていた。そんなタイミングで地球にやってきた、移住を希望する別の惑星の種族(住んでいた惑星がブラックホールに飲み込まれてしまった)が、移住を受け入れてくれればゴジラの駆逐を約束すると言ったが、しかしやはり果たせず、生き残った地球人は別の惑星への移住の可能性を夢見て宇宙へと飛び立った。
船内での生活は、飢え・乾き・寒さに苛まれた最悪なもので、誰もが、こんな状態で何故生きているのか分からないと感じるほどだった。中央委員会は決断を迫られていた。予測では、不快指数を二倍に引き上げても、船内の備蓄はあと8年で底をつく。居住可能な惑星が見つかる可能性はほぼない。だったら、地球に戻るしかないのではないか―。
決断を間接的に後押ししたのは、投稿者不明のまま公開されたとある論文だ。それは、過去のゴジラとの戦闘データから、ゴジラの弱点を導き出したと主張するものだった。それは、囚われの身だったサカキ大尉がずっと個人的な関心から続けていた研究であり、非常に困難ではあるが、ゴジラを倒せる可能性を示唆するものだった。

地球をゴジラから取り戻す―。船内時間20年の間に、1万年以上の時が経過していた地球を舞台に、今ゴジラとの決戦が始まる…。
というような話です。

これは面白かったなぁ!虚淵玄が関わるアニメは、なんとなく結構見る機会があるんだけど、やっぱり面白い。この映画もとにかく、圧倒的な世界観が冒頭から怒涛のように展開され、既存のゴジラ映画とはまったく違う切り口からゴジラを描き出すものでした。

まず彼らは、ゴジラから逃げた者たちだった。ここがまず、これまでのゴジラ映画にはなかった部分だ。もちろん、僕らが生きている世界よりもかなりテクノロジーが進んでいないと不可能な選択肢なので、SFとしてしか描けない(ゴジラの存在自体がSFなのだが、ここでは、庵野版「ゴジラ」が、現実の官僚制度の中でゴジラといかに対峙するかを描いているのと対比するつもりでSFという言葉を使った)。しかし、そういう設定にすることで、物語の幅がグンと広がるのだ。

あまり深くは描かれないが、20年の宇宙漂流が人々に与える影響は大きい。飢え・乾き・寒さは前述の通りだが、20年の間に、地球の存在をほとんど記憶していない者、あるいは宇宙船内で生まれ地球をそもそも知らない者も出てくる。現実にゴジラと対峙した世代(サカキ大尉は若いが、しかしゴジラと対峙した世代である)と、ゴジラも地球も映像でしか見たことのない世代とのギャップが当然生まれることになる。

また、中央委員会が船内を統べているが、このトップに対する不信感や軋轢も生まれることになる。中央委員会は、全体のバランスを見て様々な決断をしなければならない。人も備蓄も限られている中で、出来る選択は多くはない。時には、犠牲を前提としなければならないこともある。しかし、全体ではなく個人個人に目を向ければ、それらの決定に承服できない人も多々出てくるだろう。冒頭の、タウイー星への先遣隊派遣も、その一つだ。


そんな風に、逃げる、という選択をしたことで、ゴジラや地球に対する様々な思いを持つものが出てくることになった。普通なら、ゴジラと対峙し闘う決断をする、という枠組みの中でしか人々の行動や価値観が広がっていかないはずだ。しかしこの映画では、逃げる決断をしたことで、様々な価値観が生まれる。

そしてその中で、最も急進的な考えを持つのが、サカキ大尉だ。誰もが忘れたいと思っている記憶と向き合い、ゴジラを倒せるはずだという信念の元、諦めずに研究を続けるサカキ大尉のような人間がいる。通常のゴジラ映画であれば多数派であるはずのサカキ大尉のような存在が、この映画では少数派になってしまっている、という構図が非常に面白い。

また、時間スケールが長く取れることも、この設定の魅力だろう。彼らは、亜空間航空(要するにワープみたいなこと)を繰り返すことで、長い距離を船内時間では一瞬で飛び越すことが出来る。しかしあくまでもそれは船内時間に限ってであって、船外では11.9光年離れた地点から地球へと戻るのに相当する時間が経過している。この時間感覚の差が、ゴジラの存在を記憶しながら、その1万年後の姿を見ることになる、という状況を生み出すことが出来るのだ。これもまた面白い設定だ。1万年という時間は、途方もない時間だ。その間にどんなことが起こっていても、それを不自然に感じさせないほどには。何が起こってもおかしくはない、という自由度を設定の中に組み込むことで、作る側も見る側も、物語の展開に対して様々な可能性を持つことが出来るようになった。

そして、これは他のゴジラ映画でも同様だろうが、あまりにも圧倒的な存在感故に、人的損害を前提にすることなしに計画が立案出来ない、という部分も、物語の振れ幅を大きくさせる。死ぬことがある種前提となっている作戦に従事する覚悟を持たせることが出来るし、またいつどのタイミングで誰を死なせるのかという自由度もある。

こういう要素が絡まりあって、この映画は実に良いものに仕上がっていると感じました。

さらに、アニメ映画だ、という点も素晴らしい。アニメはもちろん学園モノなども描かれるが、やはり、通常の映画であればCGを使わなければなかなか撮影できないような映画の場合により強さを発揮すると感じられる。ゴジラの存在も含めて、すべてが違和感なく物語の中に溶け込んでいる感じで、こういう作品を見るとやはりアニメの強さを感じるなと思います。

この映画の場合また、主人公であるサカキ大尉の描かれ方が実に良い。中央委員会と対峙して拘束され、その後一時的に保釈するという形で作戦に従事する。実に強い信念を持っていて、無謀であると分かっていながら打てる手を尽くす姿が素晴らしい。盟友であるメトフィエスの存在も非常に良かったと思います。

ゴジラの世界観が、こんな風にして派生していくのは非常に面白いと思いました。

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