【映画】「完全なるチェックメイト」感想・レビュー・解説
『「医者に見せるべきじゃないか?」
「偉大な才能が薬で破壊されてしまう」』
天才と狂気は、紙一重だ。
『チェスは、4手進めば4000億の選択肢を考えなければならない。だから精神状態は、限界を越える』
ボビー・フィッシャーは、天才だった。間違いなく天才だった。
《ブルックリンのダ・ヴィンチ》
《500年に一度の天才》
ボビーは、そう称された。
『モーフィーは、米国市場最高のチェスプレーヤーだった。ボビーが現れるまでは。』
モーフィーは、21歳にして欧州のすべてのプレーヤーを破る驚異的な強さを誇っていた。しかし心を病んだ。毒殺されると思い込んでいた。そして、26歳の時に自殺した。
『毎週弟から手紙が届くの。内容が異常なの』
妄執に囚われたボビー。自分の乗った飛行機が爆破されると思い込み、部屋中のものを壊して盗聴器を探した。ボビーの姉は、ボビーを精神科医に見せたがっていた。しかし、ボビーのエージェントである弁護士のポールは姉を説得する。『狂気が生む、美しい世界』を見るためだ、と。
米国人として初めて、世界選手権の決勝に進出したボビー。相手は、ソ連の絶対王者・スパスキーだ。24局の対戦で、世界一を決める。
『グランドマスターたちも困惑している。誰も彼の意図を読めない』
その第六局。ボビーは、誰も見たことがないチェスを指した。初手から。入念な準備をしていたスパスキーは翻弄される。局面がどう動くのか、誰にも理解できない。そして、負けを知ったスパスキーは、対戦相手には普通しない拍手をボビーに対して贈った。
『第六局は、今でも史上最高の対局と言われている』
将棋のスーパースターである羽生善治氏の発言を思い出した。ある時から彼は、勝敗にこだわらなくなったという。もちろん、負けるために指すわけではない。しかし、勝ち負けではない新しいステージに、羽生善治氏は進もうとしていた。
誰も見たことのない局面を見たい。
知らなかった新たな局面に出会いたい。
羽生氏の関心は、そういう方向へとシフトしていったという。
ボビーに同じような気持ちがあったのか、僕には分からない。
『対局しなくても、僕が一番だ』
ボビーの関心は常に、勝利と金に向けられていた。金は何に使うでもなかったのだろうが、彼は金を「敬意」と捉えていたようだ。そのことでポールと何度も揉める。
『ドローは大嫌いなの』
子どもの頃からボビーは、勝つことだけを考えていた。
『相手のエゴを粉砕することだ』
『負けを悟って心が崩壊する瞬間だ』
「最大の喜びを感じる瞬間」を問われて、ボビーはそう返す。彼にとって勝つことは、ただ1ポイント手に入るだけのことではない。相手の気持ちを粉々にすることなのだ。
だからだろうか?
史上最高の対局と呼ばれた第六局、スパスキーが、そして会場にいたすべての人間がボビーに惜しみない拍手を贈る中、ボビーだけ一人困惑した表情を浮かべていた。
スパスキーの心が粉砕されなかったことへの戸惑いだろうか?今文章を書きながら、僕はそう思った。お前は負けて悔しくないのか?という困惑だったかもしれない。
負けて悔しい、という感情さえ吹き飛んでしまうほど、それは凄まじい対局だったのだろう。スパスキーが全面的に、ボビーに敵わないことを悟った瞬間なのだろう。スパスキーにとってそれは、いっそ清々しい瞬間だったかもしれない。あまりの実力差に、悔しがる隙間さえなかったのかもしれない。そして、スパスキーのそんな手放しの賞賛を、ボビーはきっと理解出来なかったのだろう。
『先月まで無名だったブルックリンの若者は、今や世界中で有名人になった』
スパスキーとの対局以前も、ボビーはその名を知られていたはずだ。しかし、スパスキーとの対局で初めての1勝を上げた後、ボビーは国の英雄のような扱われ方をする。「愛してるわ、ボビー」「国の誇りよ。米国のために勝って」アメリカ国民はテレビ越しにそう叫ぶ。
何故これほどまでにボビーは人気を得ることになったのか。
そこには、時代背景が関係している。
『これは戦争だ。イメージの戦争だ』
そう、ボビーとスパスキーの対局は、ある種の代理戦争だったのだ。
ボビーは、初めての世界選手権で、チェス界で圧倒的な強さを誇っていたソ連に抗議する。ソ連はチェスに、国の威信をかけている。だからどんなことがあってもアメリカに負けるわけにはいかない。だから彼らは、積極的にドローを狙って僕を潰そうとしているんだ、と。フェアじゃないから、棄権する。
表向き世界選手権は「友好の架け橋」として行われていた。しかし、当時は冷戦下だ。「友好の架け橋」は聞こえの良い言葉に過ぎず、実際は、特にソ連は、チェスでの勝利に国家の威信が掛かっていた。
『中国を失い、ベトナムも失いつつある。これは、勝たなくては』
ボビーのエージェントとして奔走しつつ、アメリカの上層部とも密に連絡を取っているらしいポールはそう呟く。
『ブルックリンの貧しい青年が、ソ連を打ち負かす。完璧な物語だ』
ボビーの存在は、一面では政治的に利用された。スパスキーとの対局を見るために、ニクソンは執務室にテレビを持ち込み、対局を拒否しようとしているボビーと話すために三度も電話を掛けてきた。時代が、ボビーの活躍を求めていた。ボビーは、ただ闘うだけだ。でもその勝利には、ボビーとは無関係な様々なものが乗っかっていたのだ。
もしボビーが、冷戦を脱したアメリカに生まれていたら?
もしかしたら、スパスキーとの対局は実現しなかったかもしれない。
ボビーは、狂気に囚われていた。公平でないと感じれば、世界選手権でさえ放棄してしまう。機内での料理は目の前で作らせろ。報酬を30%に引き上げろ。カメラの作動音や観客の咳がうるさくて気が散るから卓球場で対局をさせろ。ボビーは、ソ連を敵対してた。ソ連が自分を狙っているという妄執に囚われていた。自分が“不利”であるのは、ソ連側の策略なのだと常に思い込んでいた。ボビーは本当に、条件が満たされなければ対局を拒否した。
彼を対局のテーブルにつかせるのに奔走したのは、ボビーのエージェントである弁護士のポールと、かつて強豪のチェスプレーヤーで今は神父であるロンバーディの二人だ。この二人の尽力がなければ、特にポールの奮闘がなければスパスキーとの対局はまず実現しなかっただろう。
ポールはボビーのエージェント役を、無料で引き受けた。
『善い行いにより、成功者になれる』
ポールの強い動機は、冷戦下でなければ生まれ得なかったかもしれない。ボビーをスパスキーに勝たせることは、ただチェスの試合で勝利するだけでなかった。ボビーの勝利は、アメリカの勝利であり、アメリカを勝利させた男としての名声を、ポールは手に入れようとしたのだ。
もちろん、冷戦下ではないためにポールが動かなかったとしても、チェス愛好家が奮闘してスパスキーとの対局を実現させたかもしれない。それは分からない。しかし、その場合、ボビーはきっと、ここまでの伝説にはならなかっただろう。もちろん、冷戦下であるが故にソ連からの盗聴を警戒していたのだということも併せて考えれば、ボビーにとって冷戦下に生まれたことが良かったことなのか分からないけど。
しかし、ボビーが死んでも、スパスキーが死んでも、第六局の対局は残る。永遠に。チェスという盤面に、新しい世界を創造した者として、ボビーは永遠に記憶される。
そのことはボビーにとって、少しは意味のあることだっただろうか?僕にはよく分からない。
ボビーは、スパスキーとの対局後、数百万ドルのオファーを拒否し、タイトルさえも放棄して失踪した。放浪罪で逮捕されたり、アイスランドに亡命したりと、不遇の人生を送りながら死を迎えた。
『チェスは真実を探求するゲームだ。だから私は、真実を追い求めている』
ボビーの生き様は僕に、数学者のペレルマンをも連想させる。「ポアンカレ予想」という、数学上の超難問を解き明かし、歴史に名を刻んだ数学者だ。しかし、1億円の賞金を拒否し、数学者にとっての最高の栄誉である賞も拒否し、現在行方が分からない。冷戦下のソ連に生まれ、冷戦によって翻弄されたという点も、ボビーと似ている。また同じ問いをくり返してしまう。彼らは、もし冷戦下以外に生まれたとしたら、果たして歴史に名を刻むことが出来ただろうか?と。
映画を観ながら思っていたことがある。
ボビーは、子どもの頃から音に敏感だった。あらゆる場面で、その傾向が描かれる。それは、スパスキーとの対局で見せる行動を理解させるためのものだ。
ボビーはスパスキーとの対局中、カメラの作動音や観客の咳がうるさいと文句を言い、(そのせいで)集中力を欠いたために初戦を落としてしまう。それで彼は、建物の中で唯一静かな卓球場で、観客なしという条件でなければ対局をしないと言う。
『まともに闘えば、私に潰されると分かっている。それを避けるために、狂気を利用しているんだ』
スパスキーはボビーのことをこう見る。負けるのが怖くて難癖をつけているのだ、と。恐らく観客も(そういう描写は一切なかったが)、ボビーの行動は過剰だと感じていたのではないか。
しかし、例えば日本での将棋の対局を見れば、トップクラスの対局であればあるほど、対局者と少数の立会人以外、会場には誰もいないのが普通だ。観客は別室で、モニター越しに対局を観戦する。日本以外の国にそういう文化がないのか、あるいは日本も含めてそういう配慮がなされるようになったのが最近なのか。僕にははっきりしたことは分からないのだけど、ボビーの、静かな場所で対局させてくれ、という要求は、至極真っ当なものだろうな、と感じていました。
僕は、狂気にも天才にも惹かれる。『勝利を最前線で見たい』からと、ボビーのエージェントを引き受けるポールとは違って、僕はボビーの近くにはいたくないけど、僕が少しでもチェスの魅力に取り憑かれていたら、ボビーの近くにいることを選択するかもしれない。どれほどの面倒があっても、その先に、想像を超えた美しい世界が待っている。そう信じることが出来る人間になど、そうそう出会えないだろうから。