【映画】「”隠れビッチ”やってました。」感想・レビュー・解説

タイトルからイメージする映画とは、少し違っていた。
だからダメだったわけでも、だから良かったわけでも別にないんだけど。
全体的には、凄く面白かった。

僕が、あぁいいなぁ、と強く思ったシーンがある。具体的には書かないが、主人公が、「知らなかったんだよぉ」と泣きじゃくる場面がある。あの場面で、そこまでに至る、すべての物語が繋がった、という感じがした。

つまりそれは、彼女が”隠れビッチ”だったことには、意味があった、ということだ。もちろん、彼女にとって。

観客は、しばらくずっと理解できない。なぜ彼女が、”隠れビッチ”を続けているのか、ということが。もちろん、男を弄ぶのが単純に楽しいから、なんていう可能性は常にある。しかし、観ていると、どうもそうではなさそうだぞ、と感じてくる。何かあるな、と。でも、それが何なのか、よく分からない。いや、もしかしたら、普通は分かるのかもしれない。そういえばかなり早い段階で、主人公の姉だか妹だかも言っていた。でも、それが具体的にどう繋がっていくのか、僕には分からなかったのだ。

彼女が「知らなかったんだよぉ」と言ったことは、人生のどこかで何らかの形で気づくことかもしれない。それは、自分自身の体験としてでなくても、何か物語に触れるとか、他人のそれを見てとか、そういうことから実感できることだってあるだろう。

しかし、彼女には、その機会はなかった。そして、「無かった」ということが説得力を持つような過去があるのだ。

なんとなく、昔の自分に似ているかも、と思う部分もあった。

僕は子どもの頃からずっと、「サラリーマンにはなれないだろうなぁ」と思ってきた。今でも確かにそう思っている。ただ、大人になってみて、サラリーマンとして働く人々を見ていると、「あれ、こんなんでもいいんだ」と感じる機会は結構あった。こんな感じでも、サラリーマンやってていいんだ、と。

子どもの頃の僕は、何から影響を受けたのか分からないが、サラリーマンになることをちゃんと捉えすぎていたのだと思う。ある基準みたいなものを勝手に設定して、自分はそこには到達出来ないからきっとサラリーマンは無理だろう、という判断をしていた。大人になって理解したことは、子どもの頃に設定した基準は、どうも間違っていたということだ。いや、今でも、サラリーマンは無理だと相変わらず思っているのだけど、子どもの頃ほど恐れているわけではない。

彼女も場合、「愛」というものの基準を、大きく捉えすぎていた。そして、それがあまりにも大きなものだったから、「私はそこに到達できない」と思って、「男から愛情をもらってチヤホヤされるだけ」という立場を自ら望んだのだ。気持ちは、分からないではない。子どもの頃の僕の判断と、構図的には同じだからだ。

自分に何が欠けていたのか、自分の何がダメだったのかを理解する過程で、再び過去が彼女を苦しめることになる、という構成も、非常に上手かった。彼女の人生が丸ごと、一点に集約されていく展開は見事だ。冒頭の振る舞いだけ見ていたら、誰も主人公に共感することは出来ないだろう。しかし最後まで見れば、”隠れビッチ”の時期も必要だったんだよね、という風に受け取ることが出来る。

【私も成りたかったな。誇りと信念を持った大人に】

欠落を認識出来ていないところから、その欠落を自分の弱さとして受け入れるところまでの激動を体験する女性を描き出す物語だ。思っていた以上にシリアスな展開で、予想を裏切られた。

内容に入ろうと思います。
荒井ひろみは、男に「好き」と言わせることを生きがいにしている女だ。服装やメイクなどを清楚系にまとめて、男のタイプ別に責め方を変える。ただし、セックスはしない。男に「好き」と言わせれば満足で、「付き合おう」と言われると、振ってしまう。そうやって、「男にチヤホヤされている自分」を感じることで、自信をチャージする。彼女は、それで満足している。同居している姉(だか妹だか)と、関係性が不明な男(なのか男じゃないのか)の3人暮らしで、他の2人からは、いい加減そんなやり方を止めた方がいいといつも諭されている。
ある日、職場で知り合った男性に、いつになく興味を持ち、いつものやり方でアプローチする。安藤くんは、頭は悪いけど夢に向かって頑張ってるし、ひろみと一緒にいると楽しいと言ってくれる。いつもみたいに「好き」って言わせて終わりにするのはちょっと…。ひろみの中で何かが変わりつつあって、安藤くんに触発されるようにして、昔からの夢だったイラストレーターの道へと邁進する…はずだったのだが…。
というような話です。

冒頭からしばらくは、ひろみのなかなかのクズっぷりが描かれていきます。ある種、爽快さも漂うようなクズっぷりで、嫌悪感は特にないんだけど、ただ、振り回されている男のことを考えると、可愛そうだなぁ、さすがに酷いなぁ、という感じです。しかも、男の前ではおしとやかに振る舞うひろみは、家では、鼻をほじり、ぽりぽりと足をかき、がらっぱちな喋り方をするという、男の前では見せない振る舞いをします。

さて、そんななかなか酷いところから、物語は段々と変わっていきます。映画の中での”隠れビッチ”時期は非常に短くて、割と早い段階で安藤くんと出会い、それまでと違う関わり方をするようになります。とはいえ、そこからまた色々あるわけです。その辺りの展開については触れないけど、冒頭でも色々書いたように、ひろみの人生がすべて集約したような展開は上手いと思います。

ひろみの姉(ということにしよう)も、そこまで深くは描かれないのだけど、ひろみ同様、恋愛的にはちょっと厄介さを抱えています。かなり最初の方で、ひろみは姉のことを「ヤリマン」と呼びます。ひろみは、セックスはしないけど男を弄ぶ。姉は、セックスはするんだけど男から大切に扱われない。どちらもなかなかに難しさを抱えていて、しかもお互いが自分のことを正しいと、そして相手のことを間違っていると考えています。ここに謎の男が加わって、どういう関係性なのか不明な3人の共同生活が行われているわけですが、その3人のやり取りもなかなか面白いです。

あと、この映画、男が観たら結構怖いだろうなぁ、と思います。まあ僕も男なんですけど、僕は女子の中に混じって、女子から男扱いされないのが上手いので、まあまだ大丈夫かなと思っています。普通の男だったら、たぶん、ひろみのような女性の振る舞いを見抜けないだろうな、と。女性が見れば明らかなんだけど、男には分からないんですよね。でも男って、謎に「自分は大丈夫」っていう自信を持っている人が結構いるから(だからセクハラとかパワハラとか問題になるんだけど)、この映画を観ても、俺は大丈夫って思うかもですけどね。

最近ニュースで、未成年の少女を大人が家に泊める(そしてそれが誘拐として扱われる)というケースがよく報道されます。個人的には、男に下心があるとしても(っていうかあるだろうけど)、少女の側が、「ここだったら安心」と自分で思える逃げ場があることの方が大事だと思っているから、そういうニュースを見る度に難しいな、と感じています。法律上「誘拐」という扱いになってしまうし、実際に本人の意志に反して監禁しているケースだってあるだろうから、実情はともかく、形式的にひっくるめて男の側を罰する、という仕組みは仕方ないと思います。ただ、それによって少女の側の逃げ場がなくなったら、それはそれでまた別の問題として表面化するだけだろうなぁ、と思います。

なんでこんな話を書いたかと言えば、結局のところこれらの問題は、自己評価の高さが関係してくるからです。自己評価が低いからこそ起こってしまう問題はたくさんあります。僕自身もそこまで自己評価が高いわけではないし、自己評価が低い人にもたくさん会ってきたので、自己評価を高くすることの難しさは理解できているつもりですけど、自己評価が低ければ低いほど、損したり危険に晒されたりする世の中だから、勘違いでもいいから、自己評価を高く持ってほしいなぁ、と思ったりします。

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