【映画】「1987、ある闘いの真実」感想・レビュー・解説

無駄だと分かっていても、僕は闘う側にいたい。
いつもそう思っている。

「正義」が、人によって違うということは、充分理解している。
だから、人がそれぞれの「正義」に沿って行動することは正しいことだし、自分とは相容れない「正義」を、「相容れない」というだけの理由で排除したくもない。
ただ、その「正義」を実現するために、人間の尊厳を奪うようなことがあってはいけない、と僕は思う。

「正義」の実現のために、法を犯さなければならないことはあるだろう。
何故なら、法こそが絶対的に間違っている、という状況だってあり得るからだ。
だから、法を犯すような犯罪行為があったかどうか、という基準で判断するつもりはない。

しかし、尊厳を奪っているかどうかは、明らかに判定できるはずだ。
「正義」の実現のために拷問をしたり、「正義」の実現のために人を死に至らしめたりすることは、どんな「正義」を実現する場合であっても、絶対に間違っていると僕は思う。

だからそういう、「正義」の種類に関わらず明らかに間違っているものとは、僕は闘い続けたい。

たった30年前の話だ。
たった30年前に、まだこんなことが起きていたのか、という衝撃があった。
しかし、その感想もまた間違っているのだろう。
何故なら、今この文章を書いているまさにこの瞬間にも、この映画で描像されているようなことが、世界中のどこかで、間違いなく起こっているからだ。
この映画を見た直後の僕は、その事実に、心が痛む。

権力の横暴は、直接的な暴力という形でなくても発露されることは多々あるだろう。
恐らく現在の日本にあっても、直接的な暴力以外の形で、権力の横暴が様々な場面で繰り広げられているはずだ。
私利私欲のためにそうしている人ももちろんいるだろうが、その人なりの「正義」の実現のためにそうしている人だってやはりいるだろう。
「正義」に対抗する唯一の手段は、自分なりの「正義」を持つことしかない、と僕は感じる。
だからこそ、僕自身も出来ていないし難しいなと思うのだけど、政治に関心を向けなければいけないよなぁ、と感じさせられた。

内容に入ろうと思います。
1987年の韓国は、チョン大統領による事実上の独裁政権だった。大統領の配下にある治安本部(通称・南営洞)は、反共のアカ(スパイ)を摘発する部署であり、警察組織の中でも絶対的な権力を持っていた。その所長である脱北者のパクは、強大な権力を有し、パク所長に楯突いて生き残った者はいない、と言われるほど恐れられていた。
1月14日、南営洞の面々がソウル大学の学生パク・ジョンチョルを拷問中に死なせてしまう。彼らは、公安部長のチェ検事のところへ急行し、即時火葬するための書類にハンコを押すよう迫ったが、チェ検事はそれを拒否した。翌日解剖してから火葬すること、遺体に触ったら公務執行妨害だと脅して。

遺体には明らかな拷問の痕が残っており、解剖されれば拷問死が明るみに出てしまう。治安本部は圧倒的な権力を駆使してこの問題に蓋をしようとするが、そう簡単にはいかない。
検察に出入りしていた記者が、検事がそれほど重大なことだと思わず発した言葉から、ソウル大の学生が拷問死した事実を知り新聞で報じた。新聞社には軍人が押し寄せ混乱が起こったが、新聞各社は、当時報道機関に通達されていた「報道指針」を無視し、この事件の真実を暴くように記者に命じた。
解剖を担当した医師は、上司の命令を無視して診断書に「心臓麻痺」とは書かず、また学生の死亡を確認した医師は、自らの所見をこっそりと記者に伝えた。
形勢が悪くなったと見るや、警察は南営洞の二人をスケープゴートとして逮捕し、事態を収めようとするが、裏切られたと感じたスケープゴートの二人が反旗を翻すような行動を取る。また、南営洞の面々は刑務所でも横暴を繰り返し、その規則違反を繰り返す様を見て、刑務所所長はある英断を下すことになる。スケープゴートの二人が収監されている刑務所には、5.3仁川事件で逮捕された東亜日報の記者が収監されており、そこからの情報が、ごく普通の女子大生であるヨニの手に渡ったことで、状況は大きく進展することになる。
数多くの人間が、軍事独裁政権の打倒のために、自らの命を危険にさらして行動を続け、やがてその民主化運動の波が政権を打ち倒すことになる…。
というような話です。

これは凄い映画でした。少し前に、同じく韓国で起こった「光州事件」を扱った映画も見ましたが、この映画で描かれ出来事と時期的には凄く変わるわけではないと思います。本当に、まだまだごく最近の話で、韓国という、色んな意味で身近な国でこんなことが起こっていたという事実に驚愕しました。

映画の冒頭で、「事実を基に、フィクションを織り交ぜた作品だ」というクレジットが出てきたので、もちろん描かれていることすべてが事実ではありません。ただ、拷問で亡くなった学生の名前や遺影の写真などは実際のものを使っていたりと、かなり現実を踏襲している作品だと思いました。僕の感触では、女子大生のヨニ周辺の話はフィクションが多そうだけど、それ以外はかなり忠実に現実をベースにしているんじゃないかという気がしました。


こういう、人間を横暴さによって締め付けるような歴史を耳にすると、「何でそんなことが出来てしまうんだろうなぁ」という気持ちになります。誤解されそうなので先に書いておきますが、これは、「自分だったらそうならないのに」という意味ではありません。僕はこれまでに色んな本を読んできて、権力に命じられれば、ごく一般的な人でも残虐なことが出来てしまう、ということを知っています。だから、「何でそんなことが出来てしまうんだろうなぁ」というのは、「イメージできないけどどうせ自分もそうなってしまうんだろうし、だとしたらそれはとても怖いことだ」という感覚があります。

南営洞で拷問をしている人たちは、正直ちょっと欠片も共感できませんが、例えば軍人が、暴徒化する市民に対して警棒を振りかざしたり、催涙弾を直接当てたりするようなのは、もしかしたら自分が同じような状況になればやっているかもしれない、と思ったりはします。本当に、心の底からそうはなりたくないけど、でも思考停止ではなく、そうせざるを得ないような状況があったとすれば、やむを得ずやるかもしれません。だから僕は、出来るだけ、少なくとも僕自身はいつでも闘える状況でいよう、と意識しています。

僕の価値観では、パク所長の苛烈なスパイ狩りには正直賛同は出来ません。ただ、スパイというものの怖さや、彼らがどれほど国益というものに多大な影響を及ぼすのかという知識が僕にはないので、それを知らないままパク所長を糾弾する権利はないかもしれない、とは思います。また後半で、パク所長が何故それほどの苛烈さを発揮するのかという過去の辛い経験が明かされます。たとえそういう経験をしたからと言って、拷問をしていいことにはなりませんが、その経験を踏まえつつ、「命懸けでスパイ狩りをしている」という発言に繋がっていくんだろうなぁ、という感じはしました。

パク所長の「正義」を全否定することは出来ないけど、それでもやはり、拷問はダメだと感じます。

正しいことだけで「正義」が実現できない、ということはもちろん理解しています。ただ、人間の尊厳を奪わなければ実現できない「正義」なら、捨ててしまえ、と僕は思います。

「1987、ある闘いの真実」を観に行ってきました

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